2-14. へ 帝都郊外
明日には船が帝都に着く。
クィーセの件はまだケアが必要だ。しかし、あの後クィーセは、逃げ場のないはずの船内から消えた。ララさんが言うには、海に落ちたとかではなく、アイツが本気出せば限られた場所でも隠れるのは余裕、とのことだ。
今夜は俺は一人で寝ていた。
フィエには対応しようとしたものの、自分の婚約者が幼女に甘えていたということが余程ショックだったらしい。のうみそがまだ俺の話を聞ける状態でなく、ララさんが付き添っている。
アーシェはこれを独占の好機と見て俺に近付いてきたが、ククノが拘束して引っ張っていった。
そしてクィーセは、今しがた俺に覆いかぶさって来て、俺を仰向けに直し、頬を一発殴ってきた。棒術などの訓練によりタフになっていた俺は、それが『力いっぱいの女の子パンチ』であると感じた。気絶や痛みを与えることを狙ったような技術的な殴り方ではない。
「言い合いで負けたから暴力か。クィーセ。
俺はクィーセが好きだから痛くないぞ」
もう一発殴られる。ちょっとテンプル揺れた。クィーセのおっぱいも揺れた。
「クィーセ。ここにいてもっと殴ってくれ」
クィーセが寝間着の中に手を入れてきて、なんか肋骨の辺に指を食い込ませる。クッソイタイ。
「ちょとちょと、それはヤ、いた、アェッ」
「…………」
クィーセは無言のままだ。ある程度いたぶられてから、それは終わった。
クィーセが覆いかぶさってくる。頬を痛くない程度に噛まれる。噛んだ歯の間から舌で舐められる。
俺はクィーセ会って間もない頃に『ご挨拶のキス』された反対の頬だな、と思った。なんかそんな気がする。
「……俺、喋らない方がいい?」
クィーセが小さく、頷いたのが見えた。
(略)
「……、これで望みは叶わないんじゃなかった?」
こんなこと聞くのも無粋かもしれないが、あまりにずっと無言だったものだから言葉が出た。俺はお喋りなのかもしれない。……普段考えていることを全て口に出したら、きっと俺はかなりうるさい人間だ。
「ウソ言っちゃいそうだから、喋らない」
「そっか。……じゃあおやすみ。クィーセ。
……………約束。……次もまた、しよう」
俺は、あまりに無言なクィーセがちょっと心配になって『逃げんなよ』と釘を刺しておいた。肩わきに抱えたクィーセを、もう一度抱え直す。
クィーセは、小さく笑った。……内心を見透かされた苦笑いに思えた。
船はウイアーン帝都に着いた。
俺は上陸までにフィエを直し、ララさんにフィエ介護の礼をし、アーシェに魔法乱用について深く謝り、クィーセとは無言のままに、その左手を握った。
ククノはやれやれと言った表情で見守ってくれている。
【よくやった。
それで、いろいろあったがこれからどうする予定なんじゃ?】
ククノは上陸に当たって多少変装している。異国の姫から、日焼けした子供という印象に変わっている。長く美しい髪は目立ち過ぎるのでまとめてバンダナ内に隠してしまったし、服も踊り子っぽい薄着のから平服に着替えている。そろそろ寒くなってきているから、妥当な服装ではある。
「……ククノさん、あんた色々やってる割になんか抜けてません?
その確認を今頃するんですか」
【目の前に大問題を抱えているときに、それ以外を対処はせん。
目の前に大斧が振り下ろされたらまず避けることに全力じゃろう?
考えてる暇がなかっただけじゃ】
「人が多いですし、あとで話しますね」
アーシェの姉(34)の旦那の邸宅に向かう間の馬車で考えた。
フィエは外面だけ見ると清純だが内面は意外とエッチで、ララさんはクールな顔しているのにロマンチスト。アーシェは一見お堅く澄ましているが中身は……まぁアーシェだ。
クィーセは近付くと意外と無口な子だ。……女性の外面だけを見て中身は判断できない。意外な面を見せられるけど、まぁこれはこれでといった感じだ。
クィーセは内気な子供のように、手はぎゅっと握ってくるのに身を寄せて来たりはしない。……なんかこの感じいいね。意外と恥ずかしがり。
俺が優しい瞳でクィーセを見つめていると、港エリアを抜けて郊外方面へ、中心部から離れていく。
人がみっしりといる場所の喧騒が無くなり、ややのどかな感じになってくる。
「そういえばアーシェはこれから行く先って行ったことあるの?」
「二度あります。アルメピテお姉さまは騒がしさを嫌って、子育てがしやすく空気も良いやや郊外に新居を求められました。
旦那様もよく理解を示され、夫婦仲は良いようです。6人の子を儲けています。今は全員、それぞれの仕事先に送り出し終えています」
「じゃあ、旦那さんと今ゆっくり出来ているんだ」
なんか、当初心配していたようなことは起こらなそうだな。夫婦円満で子育ても終えていて、今はご主人と一緒なんだし……。
「アルメピテお姉さまの旦那様、ソーセス様は大変忙しい方なのです。今も帝都中央で頑張られているはずです。
ですが子育て中は最大限努力して家族との時間を作られた立派な方なのですよ」
夫や子供が近くにいない有閑夫人……? あれ、エロマンガ的には古典的な題材では。夫子供近くにいても関係ないタイプのやつも多いけど。
フィエは当然のこととして、クィーセまでもが俺を不安げな目で見る。心配していないのはアーシェと、どうでもよさそうなララさんとククノ。
アーシェが雰囲気に気付き、慌てたように取り繕った。
「だ、大丈夫ですよ。アルメピテお姉さまは『旦那様の子供以外産まない』と公言されるほどですし…………あ」
アーシェまでもが、俺に対して不安げな表情を見せる。今まで俺に『不妊』の呪いがかかっていることは秘密にされていたが、クィーセの暴露があったことで仲間内の共通認識となっている。
「あの、俺はそんな気持ち一切ないですよ。
そもそも、俺のその……情報は俺たちの中でしかないでしょう」
ククノが呟く。
【寂しがり屋だったら、まずいのぅ。
若き頃は夫を愛し、それに充実した頃に子を成し、子を愛するようになる。
この二つを充分に行なった者は、幸せな良妻賢母と言えよう。
……今は両方が近くにないとなると、のぅ?】
何だよ、不安になっちゃうんですけど。
ソーセス邸に到着したのは昼下がりのことだった。
アルメピテ奥様は、困ったことに大変美しゅうございました。もう6人産んでるのこの人? なんで体型維持できてるの? 下着とかで矯正してるかもだけど。アーシェの一族って自己管理能力高いよね。こわいなーこわいなー。
美しい黄金色の髪の毛はふわりと、そしてアーシェと同じ明るい青緑の眼。さすがに加齢ゼロパーセントではない。しかし何というか……良い加齢をしている。
若作りはしていない。年齢相応の身嗜みの美しさで、落ち着いている。
雰囲気は少し寂し気というか、幸福な人生を歩んできたらしい割には薄幸顔をしている。……こりゃ旦那さんも頑張って幸せにしようとするだろう。
【お主、既に危険領域じゃぞ。見つめる秒数が長かった】
ククノに釘を刺される。フィエに『やっぱ好きそうやん』という顔をされる。
「ごきげんよう、初めまして皆様方。
よく来ました、アーシェル。……私の小さな妹。
ああ、久しぶりに会えたわ。会えてとても嬉しい」
ひしと姉妹は抱き合う。……お姉さまの方はギューッと強くアーシェを抱き締めている。アーシェはちょっと、微妙に引いた姿勢だ。
アーシェから事前に聞いた情報だとねえやは15で嫁に行き、16で初子を産んでいる。……ウチのお姉さまは、ちょっとウザいと言いますか、赤子の頃の私に『自分が授乳した』とやたらと私に目をかけてくれるのです、とアーシェは言っていた。
アーシェの両親は結構な御歳と聞くので、嫁ぎ先から実家に戻って乳母代わりをしていたということか。
……姉妹間で授乳かぁ……。
俺たちはお忍びということもあって外部からの招待客はないが、夜には歓迎会を開いて頂いた。立食パーティだ。お姉さま手ずから作られたものが割と多い。しかもシェフによって作られたものと遜色ないし、一部は明白に美味しかった。
俺が一番気に入ったのは、ちょっと地味な野菜と肉の煮物料理だった。地味だが食べ続けても飽きない不思議さがある。船上での食生活は野菜が不足しがちだった。こういう料理を身体が求めている。すると奥様からお声がけ頂いた。
「気に入って頂けて良かったです。一番上の子がそれを好きで。
コバタ様がお食べになっているときの感じが、あの子にそっくり」
「……はは。
ああ、一番上って男のお子さんだったんですか。アーシェと同じくらいでしたっけ。いやー、俺とは似ても似つかないのでは」
「いえ、女の子ですから。少しやんちゃなところがある子で……」
ちょっと待てよ。奥さん嬉しそう過ぎてちょっと怖い。アーシェの一族って美形に特化した弊害出ているよ。勘違いさせるよ。
フィエが『やっぱあかんやん』という顔をする。ララさんが高級酒のお代わりを要求する。アーシェはエロ踊りをしようとするククノを止めている。クィーセはララさんに酒を付き合わされているが、黙って杯を開け続けている。俺はなんだか嫌な予感がして、振り返った。
大広間の扉が、まるで弾けたように開かれる。赤みが強くほぼ橙にみえる金の髪。一族を象徴するかのような明るい青緑の眼、やんちゃさは年経ても変わらなかったことを察せられる力強い笑顔。
「歓迎会と聞いて、我慢できずに駆け付けた!
久しいな! アーシェル! 我が乳姉妹よ!」
乳姉妹? ああ、同じ乳を飲んだ間柄ってこと? ……デカいから別の意味かと思ったよ。なんか新たに来た。来ちゃったよ。
愛情深き奥様が長女を抱き締めに駆け寄っていく。後ろからすっと、俺の空になった杯を置くための盆が差し出される。
「あ、有難うございますね」
使用人の方が相手とは言え、ちゃんとお礼を言うのはマナーだ。雇われの身を粗末に扱ってはならない。
俺は振り返ったことを後悔した。さっきまで男の使用人さんに世話を受けていたのに、俺の後ろにいたのは古式ゆかしいメイドさんだった。かなり背が低く俺を上目に見て微笑んでくる。
落ち着いた色合いのピンクアッシュのショートボブ、なんかフリフリ付きのカチューシャ。細い鎖付きの金縁丸眼鏡の奥には黒く美しい瞳。いかんな。これは悪いご主人様には近づけてはいけない清純さ。アカン奴やと一目でわかった。
メイドさんはにこりと笑って、お代わりはいかがです? と細く儚げな声で告げた。これを断れるなら苦労はない。もちろんお代わりは頂いた。
……ウイアーン帝都ってやっぱ都会なんだなぁ。人が多い。
アーシェのお姉さまでこの館の奥様のアルメピテ様、その長女ハーレンケンセ様、その家のメイドさんメルスクさん。
なんだろう、神は何を考えて俺の行く先に美人を配置しているんだろう。
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反応を頂くのは簡単なことではないと分かっているのですが
読んで頂けているのかちょっと不安です。
よろしくお願いします。