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2-09.【??????】長い話・ひとつめ

作者からの注釈:

この文内では特殊な表現をしています。

<>内の言葉は『上書き、もしくは追加された言葉』です。

ここに出てくるオジサンが『本来思うはずだった言葉』はルビ部分になります。

 50も近くなると自分がもう終わりかけてきているのを感じる。まだ大きな支障は抱えていない。しかしめっきり衰えた。白髪まじりの頭。半分爺さんだ。


 今はラートハイトにて、地教団員に混じりながら日々を過ごしている。自分の本来の目的を隠しながら。


 若い頃から『放任・執行』派閥だった。時代の不利に逆らうため、自分が思い立ったのは『大きな成果をあげて派閥を復権させる』ことだった。


 自分には政治の世界で戦う能力はない。もともと光教団の『執行者』として汗と泥、血生臭い現場仕事をこなしてきた。政治側で頑張っているのはケルティエンズだ。


 もっとも、アイツも上手くはいっていない。中央からは外されて地方にトバされているんだから。あのバカっぽい感じなんとかならんのかな。


 結局、自分も何とかしようと頑張り続けて、成果が出ないから外法に訴え出ているというのが現状だ。まったくもって情けない。




 自分の取った方法は、術式表の蒐集だった。分けられ、秘されたこれを集めて研究していけば打開策はきっと訪れると信じた。研究の機会が閉じられているから、さらなる発展が望めないのだと、そう思った。


 しかし、火・水・風・光の四つが集まり、研究を続けているのだがパッとしない。もう若くない。昔のように溢れ出る思考や発想は消え失せている。結局蒐集すらまだ完遂できていない。


 術式表は戦火に染まったこの周辺ですべて集めた。これが各派の回収班に建物と一緒に燃えたと思って貰えれば幸いだ。気付かれたりしたら終わる。


 名前も、身分も、自分自身の外面もすべて作って20年も経つだろうか。もはや昔の自分が少し曖昧だ。もはや架空の人物として生きることに慣れてしまった。


 『両手法掌』の良い所は、間抜けでない限り他教団にも簡単に溶け込める点だった。潜入に非常に向いている。


 地教団に潜り込む機会は、戦火の拡大とともに訪れた。人員が不足し、新たに有志を募集し始めたのだ。


 自分が配属されたのは地教団・ラートハイト支部、その女子孤児院だった。最初ここの内部は女性団員のみで運営されていたが、人員が大きく削れた……つまりは死んだため、贅沢は言っていられなくなったらしい。


 しかし地教団は性に合わない。孤児院の防衛任務や輸送任務はまだいい。だが自分に割り当てられた主要任務がガキの世話とは……。子供もないままの自分が、親を失った子供の面倒見。皮肉めいている。


 自分も地教団員みたいに、子供を見れば笑顔が溢れて止まらない変態になれれば楽だっただろう。周囲から浮かないよう今は作り笑顔を貼り付かせているが、子供相手に何故笑わなくてはならんのか。


 でもまぁ、物分かりが良くて礼儀正しい子供にまで悪く思ったりなどはしない。人間愛などないにしても、手間がかからないのはありがたい。


 困るのは、クソガキ。うるさい奴や蹴ってくる奴、まぁ子供なんてそんなもんだ。仕方ない。自分が一番嫌いなのが不愛想なガキだった。過去の自分の姿を50近くにもなって思い出させられ、嫌な気分になる。


 あるとき、書庫の奥深く、術式表の在処を探っているときに後ろから声をかけられた。驚きと自分の衰えを感じた。


「何やってるの?」


 黒髪に黒い瞳。真っ白な肌をした子供。いつもほどんど喋らず不満げな顔をしている奴だ。不愛想で無口な奴がわざわざ声をかけてきたのがなんとも困る。


 お前さぁ、普段近付いても来ないし、話しかけても返してくれないくせにいらん時だけ声かけて来るな。すごい困るんだよ。……仕方ない、応対しよう。


「おや、どうしました?


 迷ってしまったのですか? こちらは大人のひとが来る場所ですので、いつもの通り広間や中庭で遊びましょうね」


「……何をしていたの?」


 内気な子供が何かに興味を示したというのは業務上有り難いが、何で不正行為をしているときに興味持ってくるんだ。


「すこし、探し物をしていただけですよ。


 さぁ、みんなのところに戻りましょうね。地母神様のもとでお遊びなさい」


 めんどくさい。さっさと誘導しよう。なぜここまで来た。……本当にそうだな、何でここまで入ってこれた?


「ええと、どうしてこんな奥にまで入って来ちゃったのです?」


「おじさんがいつもの作り笑いしていなかったから、気になった」


 ……そうだね、作り笑いだね。面倒なのでほぼいつもニヤケ顔しているからね。


「なにか悪い事をしていたんでしょ」


 勘がいいな。こういう<勘があるのは大切(ガキは面倒)>だ。良いことだ。執行官に向く。自分も昔は半分勘だけでいろいろ成果をあげていた気がする。


「これでしょ」


 その子供が持っているものは、地教団マーク付きの術式表。……何だこの子は、探し物をしているときに見付けてくれる系の妖怪か。


「ああ、それです。ありがとうございますね。


 あっ、ほら。隠さないで渡して下さいね。大事なものですから」


 小さな子供のくせに見事なハンドリング。やはり執行官に向いている。こんな感じで杖を扱えるなら有望だ。


「イジワルしないで下さい。ほら、困ってしまいますよ」


「悪いことしていたでしょ。なら渡せない。悪い人は増やしちゃダメ」


 善を説かれる。確かに自分は悪事を働いている。


 かつて執行官だった頃は『悪しき魔法使いは滅ぼさなければならない』と心から思っていた。抱えた自己矛盾。それを救おうというのか。しかしそうはいかぬ。超法規的措置。道理を曲げてでも成さねばならぬことがある。


「ええと、悪いことではなくてしっかりしまっちゃおうとしてですね」


「大人なのに今まで全部ウソを吐いているから、渡さない」


「ウソではないです、ウソではないのです。大人はウソ吐きではないのです」


「間違ったことをしている」


 どうしよう。何で年端もいかない女の子に完全に負けているんだ。やはり衰えすぎてしまったのか。今も鍛え続けているのに、身体が劣化したせいかこの書庫の空気が良くないのか、やけに息が乱れる。


「だ、大丈夫です。ウソは吐いていないですから」


「いつも『教え』ではウソは吐かないように、って。あれはウソ?」


「言っていますね。でも、おじさんはウソを吐いていません」


「おじさんのウソツキ」


 怒鳴ったり怒ったりする気が起きない。それは自分が嘘吐きで間違ったことしているのは、多分その通りだから。さすがにそれは誤魔化すのは卑怯に過ぎる。


 ……まずいな。時間がかかり過ぎている。誰かが通りかかったら、今の状況は非常にまずい。地教団的にすごくマズイ。


 ……人気のない所に、息の荒いおじさんと内気な女の子。


 『管理・裁決』の世の中であっても、地教団には治外法権というか、問答無用の不文律がある。『手を出した奴は、殺れ』


 ……地の魔法は割とエグイ死に方をする。潰れて内臓を吐いたりする。


 自分の人生は、そんな風に終わるのか?


 ああ、地母神様は見ているのかも知れない。こんな状況で誰か複数人が歩いてくる音がする。キィエルタイザラとかじゃないよな? アイツに見つかったら死ぬよりもっと辛い責め苦をされる。


「ここの隙間、ここだよ。入って」


 いつの間にか隠れ場所へ入った女の子から声がかかる。自分にも隠れろということか。確かにここに居るのはマズイ。隠れよう。




 足跡が過ぎ去り、自分と女の子は隠れ場所から出る。


「危なかったね。おじさん」


「……なんでこんな隠れ場所を知っているのですか」


「魔法を使いたくて、なんどもコッソリ忍び込んでいた」


 <この子は(このガキ、)魔法への(普段から)好奇心を持っている(そんなことしてる)>のか……!


 何といい心構えだ。ピンときた。『放任・執行』派閥は君のような人材を求めていたんだ。えーと、この子の名前は……。


「……クィーセさん。いけませんよ、そんなこと。ちゃんと正式な手続きの上、魔法は得なくてはいけません」


「ウソ、つかないでよ。


 じゃあ、これは何?」


 …………水教団の、術式表ですね。それは。


 いざというとき離脱するために、常に服の隠しポケットに術式表は隠してある。それが仇となった。先ほど一緒に隠れた時にスリ取られたのだ。


 ……負けだな。自分はもうおじさんだ。自己認識的にはもうお爺さんだ。<輝かしい未来を持っているであろう>この子に勝てないというのは道理だ。


 こうして自分、おじさんは小さな女の子に敗北したのだった。


「あたしにも魔法を、使えるようにしてくれるなら内緒にするよ」


「…………なぜ、知りたいのです?」


「あたしは誰より強くなって、みんなを守りたい。


 使えるものは使っていきたい。隠すべきじゃない」


 素晴らしい。これ以上の志は存在し得ないだろう。『放任・執行』と『執行官』の姿を見事に表している。


 ……その時ひとつの不審を抱いた。自分はなぜ、こんなに寛容な気持ちになっているのか。こんな子供、この子に譲歩する必要は何もないはずだ。


 しかし。


 自分はこれから先に、何かの見通しが立っているわけではない。もう目標まではたどり着ける気がしない。


 …………<それを譲るために、(自分にはもう、)この子はいる(無理な)>のだろうか。




 数日後、自分が作った隠し部屋にはクィーセの姿があった。


 しかし実際、子供というものは扱いが難しい。素直で積極的であるのならば苦労は少ない。しかしクィーセは不愛想で内気だった。


 なにを考えているか分からない相手、しかも子供というものは理性が少ない。気軽にこの部屋の秘密をバラしたり、大きな声ではしゃいだりしないだろうか。


 この部屋も、そんなことになったら放棄するしかない。重要なものは常に身に付けて、ここから出ていく準備も行なわなくてはならない。


 しかしながら気の迷いとはいえ、教えることを約束したのだから守らなくてはならない。数多くの不実を積み重ねている身だからこそ。


 ……クィーセは静かに学んでくれた。子供らしくないと言えばそうかもしれないが実に都合の良いことだった。


「おじさん、質問」


「……質問をするのなら、先生と呼びなさい」


 子供らしい教育もしていかなければならないようだ。なんでこうなった。何で気の迷いを起こしてしまった。わからない。


 そして授業が終わり、クィーセを帰した。


 授業は思ったよりうまくいった。クィーセがしてくる質問は的確だった。的外れだったりふざけていたりしない。……このまま続けても大丈夫、か。


 …………いや、今の自分は正気ではない。自分の人生が終わりかけていることを悲観して、年端もいかない少女に希望を託している。正気ではない。


 荷物をまとめて出よう。もうここでの作戦は破綻したものとみなす。手近な重要品だけをカバンに詰めて用意を完了する。


 そして……部屋を出ようとして何か視線を感じた。振り向く。もしかしたらクィーセがどこかに隠れているのか。


 ……いない。そうだ、今ごろはきっと大広間で食事のはずだ。いくら何でも腹を減らしてまでこんなところに潜みはしないだろう。


 じゃあ、何だというのだろう。……自分自身が、まだ行くなと言っているのだろうか。わからない。……分からないと感じているときに無暗に動いてはならない。


 <ここにはまた来なければならない>




 クィーセとの出会いから1年後、熱心に授業を受け続け、初めてクィーセが魔法に目覚めた。『早駆け』だ。これは重宝する。


 移動はなによりも『執行官』に必要だ。やはりというか、見事なまでに適性が合っている。ここが地母神殿であることも関係するのだろうか。


「クィーセくん、これは素晴らしい成果です。


 攻撃の魔法ではありませんが、これほど素晴らしい魔法はないでしょう。


 ……しかし、これは訓練するのがかなり目立つ魔法。折を見て……いや。


 残念ながら、僕は目立つ行動は出来ないのです」


「先生。あたしは目立たないように自主的に練習します」


 クィーセはよく出来た子だった。最初の印象をこの一年で大幅に修正した。この子は頭がいい、神童ではないかと思う機会も増えた。


「そうですか。良い子です。練習の際は十分に周りに気を付けるよう。


 今日の授業は、その使用方法などの説明となりますね。


 それから、直接教えられない分、僕は見聞を広める機会を作るようにしますね。


 今、近隣の警戒任務をされているキィエルタイザラ殿は非常に見事な『早駆け』を使います。一度、その様子を見に外部に授業をしに行こうと思います」


 クィーセが目を輝かす。……それもそうか。戦火の拡大につれ、外出の機会はないに等しい。子供が外で遊べないような情勢なのだから。




 その数日後、外に出ての隠密訓練を開始した。


 自分は荷車での輸送任務を装い、その荷物にクィーセを紛れさせて連れだすことに成功した。クィーセは静かに荷物に隠れ続けてくれた。誰も不振には思うまい。


 事前にクィーセによく説明はした。これはかくれんぼのようではあるが、真面目な潜伏任務なのだと。これからも役立てることが出来るものだと。


 潜伏は『執行官』として育てるなら必須技能だ。これを教えないことには始まらない。魔法使い相手の戦闘でもっとも有効なのが潜伏からの不意打ちだ。


 魔法の派手な打ち合いなど花拳繍腿、犬畜生と罵られようと不意打ちこそが勝利につながる『執行官』の技だ。


 今回は『早駆け』の熟練者、キィエルタイザラを観察する目的もある。


「いいですか、クィーセくん。


 『執行官』は相手を必ず潰すことが求められます。


 格好良く敵を打ち負かすことより、自身の安全と敵の速やかな殲滅を考えた行動をなさい。あなたは頭と勘が良い。余裕があるときはよく考え、瞬発的には勘を有効に使えるように訓練なさい。迷いが多ければ死にます」


「わかりました。先生」


 クィーセは無表情に言った。本当に分かっているのかどうかが読めない。


 ……子供相手に、さすがに堅すぎたか? 自分はこういうのがうまくできない。しかし興味を引き付けるためにはやらねばならない。興味がある場合とない場合では学習の効率は大きく異なる。


「ふむ。ゲフン。……それでは、これより『執行官ごっこ』を開始する。


 クィーセ執行官くん、準備は良いかね?」


 我ながらよく出来た、と思ったがクィーセはきょとんと首をひねっている。


「??? ??? 先生、どうしたんですか? あたし分からないです」


 自分は懸命にやった。子供へ迎合した態度を。でも通じなかった。


「……なりきりです。実際を想定して訓練するのですよ。


 それと、一人称は『僕』になさい。神のしもべとして行動するのです」


「…………わかりました。ボク、頑張ります」


「ヨシ。良い子です。それでは行動を開始します」


 ……出だしこそ失敗したが、その後の成果はよかった。様々な実地訓練を行なった。クィーセは実践能力が高い。良い執行官となるだろう。


 その後も折を見ては外に出て訓練を行なった。クィーセは二人で行なう『執行官ごっこ』が気に入ったらしく、まるで遊びのようにせがむようになった。


 遊びではないのですよと毎回言い含めたものの、積極性が出てきた相手に説教臭いのも良くない。そして段々と、雰囲気も明るく訓練をこなせるようになった。


 その結果、能力はよく上がっていった。




 クィーセとの出会いから一年半後。クィーセは二つ目の魔法を覚え、『法指』から『法掌』となった。二つ目の魔法は『大火球』だった。殲滅力の強い魔法。


 ……自分は少し複雑な気持ちだった。クィーセは魔法の引きもいい。しかしこんな力ばかり得たら、将来的には激しい戦場で戦う他なくなる。


 『執行官』候補として考えながら身勝手なこととは思うが、クィーセにはあまり傷付いてほしくはない。……まだ若いのに戦場に命を散らすのは良くない。


 今日のクィーセは伸びてきた黒髪を後ろでまとめている。今までとは少し違った印象を受けた。内気な子と言う印象が減ったように思う。


「クィーセくん。髪型を変えたのですね。


 印象が変わりました。これは良いことだと思います。


 『執行官』は時として日常生活に溶け込んで行動するのです。


 その際に周囲にいい印象を与えた方が動きやすい。


 新しい髪形になったのですから、笑顔を試してみるも良いでしょう。


 実際、笑顔が良い人間というのは好かれやすい」


 好かれれば任務に有利になる。実際重要なことだ。真顔で黙り込んでいる人間というのは親しみにくい。つまり阻害されたり、あらぬ疑いを受けたりする。


「……笑顔ですか。おかしくもないのに笑うんですか?


 それって媚びへつらいのためのものじゃないですか。負け犬のすることです」


 クィーセは不平の顔をして、子供らしくもない反論をしてくる。


 ……しかし、言っていることは分かる。ここは戦場の中。降伏を行なった場合には、負けた相手に媚びた顔をしなければならない場面もあるだろう。


 クィーセの本当の家族も、媚びた笑いをせねばならない状況になり、そして死んだのではないかと推察した。こんな拒否的な反応は今までなかったからだ。


 ただ、それが理由でこれから先、笑わないというのも変な話なのだ。


 ……なんとかして、彼女を笑わせられないものか。ええい、ならば多少強引にでも一度笑った顔をさせてみるしかない。


「では、勝者は作り笑いもしないと言うのですか。


 この世の笑顔、全てが心からのものだとでも?


 ……すみません、詭弁ですね。


 ですが、笑った顔をしていれば勝者に見えることもあるのです。


 ……まずはフリだけでも構いません。笑ってみて下さい。


 僕が、勝者の笑いか敗者の笑いか見てあげますから」


 ……クィーセは戸惑って、少し考えた。そして笑って見せた。ややぎこちない。しかしここで認めてやらねば、誉めてやらねば次に続かない。


「ふむ。クィーセくんの笑顔は大勝利ですね。


 素敵な笑顔です。大事にしなさい。それだけの価値があります」


 クィーセは、その言葉を聞くとほころぶように笑った。間違いない。勝者の笑顔だ。自分にはもうできない笑顔だ。




 クィーセとの出会いから2年後、クィーセは既に法掌五ツまで育った。英才という他ない。恐ろしいほどの才能は、自分の心を温めてくれた。


 ……自分は無理だったが、未来に希望はありそうだ。


 もはや私の眼鏡も、近くが見辛いというクィーセに取られてしまった。最近は本を読みたいならクィーセに読んでもらう有様だ。自分が教えれば、クィーセは弛まぬ努力でそれに応えてくれる。お古の眼鏡など些細な対価であろう。


「クィーセくん、教練にはまた来なさい。もっと頻繁に鍛えても良いです。


 僕が何とか時間を空けるようにします。伝えたい内容がまだまだありますから。


 クィーセくんは優秀で教えがいがありますし、最近は討議しても興味深い。きみの慧眼には驚かされることもしばしばです。もっと語り合いたい」


 クィーセは下を向いて照れたように笑った。あの内気で不愛想な子がよくこうもなったものだ。しかし、照れすぎだろう。なにか照れるような内容があったか? 白い頬がもう熟れた果実のように赤く染まっている。


 色を帯びたクィーセの頬を見ていると、その横で揺れる耳飾りが目に入った。地教団員には手芸の趣味を持つ女性もいた。その団員の手作りの品だろう。結構人気で順番待ちの状態と聞く。それを手に入れて来るとは多少なりとも努力が要ったに違いない。褒めておくに越したことはなかろう。


「……おや? 耳飾りとは似合っていますね、素敵だと思いますよ。


 クィーセくんも女の子らしくなりましたね。お洒落でいいことだと思います」


 実際そう思う。魔法使いとは勉強漬けになり身だしなみが悪くなりがちだ。自分の弟子が自ら身なりを改善できるのであれば素晴らしい。武骨な自分では教えようがない部分なのだ。クィーセは今も頻りに髪を気にして弄っている。


 クィーセは本当によくできた子だ。有望な新世代といえよう。


「それでですね、クィーセくんも法掌五ツとなったわけですし……。


 あ、どこ行く。……せっかく授与のいい機会と思ったのに」


 自分の手の中に『鍵の証』は残ったままになってしまった。自分の持っていた証だ。法掌五ツ以上の弟子であるクィーセに、託したかった。


 ……しかし、なんで行ってしまったのだろう。




 そして結局は、二日後にクィーセが来た際に『鍵の証』を渡すこととなった。


「いいですか、クィーセくん。この『鍵の証』は実力がなければ飾りなんです。


 『執行官』とは悪しき魔法使いから人々を守らねばならないのですから」


「はい、先生」


「これは証であって、それ以上のものではないのです。


 大切なものですが、必要以上に重視しないように。


 なにより、クィーセくん。


 僕がきみに伝え、その身に具わったものにこそ価値があるのですから。


 任務に次いで、自らの身は大切になさい。


 ……まぁ、これは執行官としての心構えです。


 きみには価値がある。僕個人としてはその価値を何より優先して欲しい」


「……はい!


 そ、そういえば先生、これってなぜ鍵の形なんでしょうか?」


「真理の扉の鍵、という……まぁこれも心構えですね。


 自らの手に鍵はあるのだから、開けに行きなさいという思想です。


 『執行官』としての理念と言うよりは『放任・執行』の理念ではありますが。


 僕もそうあるように心がけています。


 クィーセくんもそのように思ってくれれば、僕もこれほど嬉しいことはない。


 …………ん? 喜んで貰えて良かったです」


 クィーセは自分の方を見て微笑んでいた。実力を認められ嬉しかったのだろう。やはりこの子の向上心は素晴らしい。


「先生、一つご褒美が欲しいです。与えて頂いたこの証とは違って、こちらから要求する形での」


「……ん? どういった内容ですか。


 僕の与えられる範囲であると良いのですが」


「先生は、授業以外はウソばかりです。ボクにはひとつでいいです。


 ボクに教えてください。先生の、本当のこと」


「本当のこと、ですか」


 ……ものや魔法知識ではなく、自分のことか。何を知りたいのかよく分からない。自分のこと? 自分のことと言われてもなぁ……。


 そもそも、もう自分は語るべきようなことを持っていない。


 …………本当に困った。語るべきことが何もない。自分は目的にばかり生きてきたせいか、話題なんて適当に合わせるためのものしか持っていない。


 自分の長考に、クィーセがこちらをじっと見つめてくる。待て待て、そんな本音を言えと言われても、遠い昔に数少ない友人と語り合ったくらいだぞ。


 ……そうだな、あいつのことでも話すか。懐かしい友人、そして……。


「僕はもう、自分で自分を語るのが難しい。


 だから……僕の本当のことは、これ以降一つも言うつもりはないですよ。


 『自分には今まで友人が一人しかいませんでした。


 メリンソルボグズのケルティエンズ、今は遠く離れた自分の友人です。


 そして嬉しいことに、この年になって新たな友人を得ることが出来ました。


 とても優秀で、おそらく一番長く語り合った相手でしょう。


 自分はその友人とこうして語り合えたことを誇りに思っています。


 クィーセ、あなたですよ。


 これが、あなたの友であるセケルメオクからの真実です』


 これが、本当のことです。以上です」


 ……あれ? 期待外れの顔をさせてしまった。そんな風な顔されても……やっぱりおじさんから友達扱いされるのは嫌だったか。


 しかし何が聞きたいか全然分からないぞ。本当のことなんて言われたって。


「ええと、あまり望みの答えではありませんでしたか?


 ごめんなさい、僕に思い付くことがなくてですね。


 代わりにもう一つ何か、物をあげますから勘弁してください」


 クィーセは不満げな顔をしながら何か考え、部屋の隅を見やる。そして短ブーツを指差した。最近は使っていないが、自分が執行官時代から長年愛用していたものだ。手入れはしっかりしている。だが、あんなんオッサンの足の匂いがする汚物だぞ……。


「え、これ? サイズ合わないですよ?


 しかも……こんな臭いのに、クィーセくんは欲しいと言う……?


 ……ああ、勘違いしてしまいました。似たような新しいブーツが欲しいんですね。なんとか取り寄せてみましょう」


「それが欲しいんです。ボク貰って帰ります」


 まだちょっと怒ったようなクィーセの口調。……あー、これは当てつけだろう。ブーツが欲しかったわけではなく、『こんなひどいもの』以下の回答しか出来なかったという当てつけをされてしまったのだろうな。


 バタン、とドアが強く閉まる。……喜んでもらおうと授与式したのに……。


 この頃、クィーセが情緒不安定だ。どうしたことか。


 ……ふと思い当たった。まぁ、男の自分には体感が分からぬ肉体現象であるし、情緒の不安定もそこから来ているのであろう。


 あまり男から触れて良い話でもなかろうし、次回来た時も何事もなかったように迎えることにしよう。

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