3-49.オウ・ハッピイ・デイ
明けて翌日。時候はすっかり落ち葉の季節から、冬の色合いに変わっている。
今日はティフェとディドアが交代で周辺偵察する以外は、予定がない。……なんというか、のんびりとした穏やかな日。
他拠点のメンバーからの連絡もない。……本当に静かな日。
「コバタ兄さん。午後から4人で出かけてみましょうか。
なんだかんだ、朝夕の食事時以外は揃うこともないので、親善にはいい機会だと思いますよ。
……双子ちゃんたちも、今日は兄さんに甘えたそうな雰囲気でしたし」
「そうだね。その提案は嬉しいよトゥイ。
……偵察任務に4人全員で行く体裁で、ブラ付いたりゴハン食べたりしようか。そういう日を経験しておくのはいいことだと思うし。
トゥイに頼りきりでスマナイけど、おいしいお店をまたお願いできる?」
「いいですよ。
落ち着く感じの店でゆっくり食べたいですね。せっかく女が3人揃うんですから、食事は勿論のこと、良いデザートも欲しいところです。
コバタ兄さんは何か食べたいものはあります?」
「一応、メインは肉系希望してみるけど、基本女の子優先で考えて欲しいかな。
あんまり嫌いな食べ物とかないから、美味しければ俺は問題ナシ」
「なら、ふたりにも希望を聞いて決めることとします。
……多分、第一希望はコバタ兄さんの『両腕』ですね。ひとり一本ずつ」
トゥイがジョークを言ってきた。俺もそれにノッてボケてみる。
「食べられちゃうのかー。怖いなぁ。
……トゥイはどこの部位にするわけ?」
「なら、兄さんの首でしょうか。しがみ付いて牙を立て、血を啜るとしましょう。
後ろにおぶさりましょうか、それとも前からがいいですか?」
俺の両腕にぶら下がる双子二人と、首にしがみ付いてくるトゥイか。……想像するとかなりヤバイ絵面だな。
俺の表情を見て、トゥイはその無表情の裏で笑ったようだった。
そして夕刻近く。
右腕にティフェ、左腕にディドアを擁して俺は歩いていた。トゥイはそんな俺たちの様子を後ろから歩いて見ている。
トゥイはさすがにオトナなお姉さんとして、双子に譲る姿勢のようだ。
「お兄ちゃん、大型肉だよ、骨付き大型肉ー。テンション上がるよねー」
ディドアはダウナーから、ややダウナーにテンションを上げて言った。
「今まで、外から見るしかなかったお店! お兄様、本当にいいんですの?」
ティフェも興奮気味だ。……偵察任務で見張るしか出来なかったお店なのかな。
「ふたりとも、勘定は何も問題ない。支払いは俺にバリバリ任せとけ。
トゥイのおかげで、個室の席を用意して貰えているからな。
ドレスコードも厳しくないから、気楽に楽しもうな」
実際、今日の服装は一応いいものは着て来たものの、4人とも堅苦しい格好というわけではない。……とても贅沢な状況と言える。
俺は後ろにいるトゥイを振り返り、改めて感謝の目を向ける。
「トゥイ、ありがとな」
「トゥイお姉ちゃんありがとー」「トゥイお姉さま、ありがとうございます!」
俺たちからの感謝に、トゥイは少し微笑みを浮かべた。
「まぁ、貴重食材の卸先として長く世話をしましたからね。
感謝されるほどではないですよ。信用があれば無理難題ではないんです」
トゥイはそう言うが、それにしてもスゴイ人脈だな。頼りになり過ぎる。
夕暮れの街角は、仕事帰りの人々が行き交っている。どこか穏やかな喧騒。
≪……祈れ!
今このとき、戦うときは来たのだ!
そう、我ら、我らが罪を。
…………我らがッ! 罪を!
今、いま……ッ!!
そう、罪に盲いて見えぬ目を……ッ!!
その閉ざされた眼を……ッ!!
祈れ……ッ!!
罪深きを……ッ!!≫
……なんだ? 遠くから女の声が聞こえてくる。かなり大声だ。
選挙演説とか? なんか宗教系っぽい? どこから演説してる?
こっちは政教分離ってわけじゃないから、やはり何かの演説か?
ウイアーン帝国でもこういうことやるんだ? ……帝国なのに?
でも、なんか変だ。……叫ぶ女の声。まるで悲鳴……危険信号。
<上だッ。上を見るんだ! ……あの塔。その天辺ッ! ……その上ッ!>
<不吉な塔からの災いが、落ち来たる。
狂える女の涙が今、滴り落ちる>
「ふたりッ、退避行動ッ。アレから遠ざかるぞッ!」
「「了解」」
俺の両腕から双子の手が離れる。俺は振り返り、トゥイの手を掴む。
「トゥイッ。手を離すな、俺の側から離れるなッ。ついて来いッ」
俺はこういった時の移動力に優れないトゥイを誘導する。
「何ごと、いえ。わかりました」
俺たちは『声が聞こえた方の反対、塔から遠ざかる方向』へ走って向かう。
街中だ。地面が石畳で厚く覆われ、『早駆け』の魔法は使えない。
……空気の揺れ、そして『魔力感知が低い俺ですら分かる』ほどの、圧倒的な魔力の奔流。
あまりに非現実的過ぎる現象。『近場にいる魔法使いの多くですら、これまで未経験の現象』だ。……不意を打たれ、唖然としてしまうほどの。
大きく、大きく、目が回るようにユラユラと揺れる視界。
突然の薄暗さ。
夕日が落ちた? 山陰か建物に隠れた?
違う。まだ日は空にある……それが日蝕のように欠け、すぐ消えた。
薄闇。
塔の上空。
不思議なもの。
見たことがないもの。
それは…………大きな雫。
とてもとても………………大きな。
月よりよほど広く、空を占める雫状の水塊。
信じられない………………有り得ないほどの質量。
それが塔の上……………………………………空に浮かぶ。
裁きの大水、世の中を飲み込む水、陽の光を遮る程の水。
とんでもない現象、普通有り得ないこと。異常な大魔法。
なぜ、あんなものが存在してしまうのか、わからない。
あまりにも分厚過ぎ、それが水であると思えない。
世界がゆっくり動いている。音すらゆっくり。
早く逃げろ、走れ、アレの近くは危険だ。
トゥイもティフェもディドアも。
アレが落ちたら終わりだ。
俺はトゥイの手を引き、人波を縫うように逃げる。……必死で前を見て、とにかく先に進んでいくことだけを、ひたすらにそれだけを。
逃げなければ死ぬ。絶対に死ぬ。
魔法自体は『満月』による魔法反射で防げるだろう。如何な大魔法であろうと。
問題となるのは『魔法で出来た水で、勢いを付けられて流されたモノ』だ。瓦礫や家財が砕けたもの、アレの水圧に押し潰されて命を失った人間もそう。
大通りにいるのはダメだ。水の勢いをモロに食らうことになる。
建物のスキマは危ない。きっと崩れる。
高台に避難したいが、頑丈さと高さを兼ね備えた建造物は近くにない。
なら、少しでも先に進んで、安全な場所を見付けないと。
……安全は望めないにしても、せめて死なない場所に。流されない場所に。
アレはきっと……以前、話に聞いたことがあるヤツだ。
13年前に、フォルクト王国軍を半壊させたというケルクキカの大魔法。……単身で行ない得る魔法とは信じられぬ、軍や街すら滅する大規模破壊。
「ふたりッ! いるなッ?!」
俺は、手首を握って所在が分かるトゥイ以外のふたりに呼びかける。
「います!」「ここです!」
周囲の人混みではなく、思ったより近くからふたりの声がした。
人々はまだ、すべてがあの異常に気付いているわけではない。
ちらほらと、俺たちと同じく距離を取ろうと逃げる人間はいるが多くはない。それらは周囲から奇異の目で見られている。
群衆の多くは魔法が使えず、魔法感知もできない普通の人々だからだ。
「あそこの大岩の影ッ!
着いたら俺に抱き付けッ!
トゥイもだぞッ! しがみ付けッ!」
「は、はいッ……!」
これは正しい判断か? まだ、もっと遠くに逃げられるんじゃないのか?
いや、大岩は『一塊になっていて崩れない、質量があって動かない』んだ。
ここで3人を守る。魔法反射だけでなく、俺に出来る事なら何でもする。
生き残れ。俺の大切な人たちを死なせてたまるか。死んでたまるか。
俺が好きな女の子たちだ。
こんなに尊く、失いたくない存在。
『財』を失ってたまるか。俺はケチなんだ。
水流如きに、ディドアもティフェもトゥイもやれるか。
放してたまるか。傷付けて損なってたまるか。
俺はこの娘らと、いずれ子を成す。
幸せに暮らし、寿命まで。
暗闇。さきほどから変わらぬ轟音が、いっそう近場に。
人の声などより、パキバキガリゴリ、ガンガン、ガツン、ゴンガン、ゴンと。
ザザザ、ガギン、ゴン、ザザザザザザ、ガン、ペキッ、ザザザ、ザザザザザ。
ズズズズズズズ。ドドドドドドドドドドドドド。ゴン、ガン。ドドドドドド。
『満月』の魔法反射は、大質量の水さえ防いでいた。
とはいえ、なにか流れ来るものがないか、集中して警戒しなければ。
命が危うい状況。寒さが大気だけでなく、水からの冷気でも感じられる状況。
だけど、柔らかくてあったけえ。吐息もあったかい。
俺の財宝は、こう言う良さもあるな。貴金属や宝石などより素晴らしい。
こんな時でさえ……俺、やっぱスケベニンゲンなんだな。
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