3-43.変態さん、いらっしゃーい
ティフェとのデートの翌日、昼下がりの落ち着いた時間。……室内にはもうすぐ焼きあがるであろうクッキーの匂いが漂う。
昨日の夕飯時、ティフェがディドアに『喫茶店で食べたクッキーが美味しかった……と思うのですが、その場で色々とあったせいで頭から味の記憶が飛んだ』と話した。ディドアは『上質なクッキーなど食べた覚えがない』と羨ましがった。
そこへトゥイが『材料もオーブンもあるんだから、作り方を調べて、作ってみれば良い』とアドバイスした。
そんなわけで今日の午前中、双子姉妹は情報収集と菓子制作を行なっていた。
……そんなノンキで平和な感じの日、だったのだが。
来訪者アリ、との合図が監視を行なっていたティフェから邸内に送られた。
当然だが、この屋敷に尋ねてくる人間などいない。訪問販売の人間か、食べ物を乞う人間くらいだろう。こちらでは新聞勧誘や宗教勧誘はない。
この小宅の門扉が開く音。……やがて、玄関ドアが外からノックされる。
ディドアにバックアップに入って貰いながら、俺は来訪者にドアを開けた。
「よっ、ニィちゃん元気だったか?」
ボサボサ頭の変態がそこにいた。キーアベルツだ。
「こんにちわ。年上の弟は要りません。あなたが来るまでは元気でしたよ。
……やっぱ、出て来ちゃったんですか」
「あそこの娘さんがさ、ニィちゃんの一家に移ったってことでさ。
オレもそろそろ保留されずに処分されちゃいそうだったんで」
そんな会話をしていると、ディドアが後ろから声をかけて来る。
「お兄ちゃん、排除対象じゃないんですか?」
後ろを振り返って見ると、トゥイも玄関先の様子を見に出てきている。
「ディドア、残念だが排除は無理。強い。……それに敵意なさそうだし」
俺が顔を向け直すと、変態男・キーアベルツは目を見開いていた。
「……ニィちゃん、オマエ。あの娘に『お兄ちゃん』とか呼ばせてんの?
え、騎士子ちゃんや前に見た娘さんたちだけじゃなく、あの娘もそーなの?」
この変態にすら冷静にツッコミを入れられるとは……。確かに尋常な状況ではない。血の繋がりがない相手に『お兄ちゃん』と呼ばれるとはそういうことだ。
「ええと。……何しにいらしたんですか。
あなたくらい強い人なら、ウチを頼るまでもないでしょう?
どこか野山にある洞窟とかで暮らして頂けばいいのではないですか。
ていうかまだクーデターやるつもりなら、今度こそ処断されますよ」
「いや、そーいうつもりはない。あれは手段であって目的ではない。
今日来たのはちょっとした恩返しだよ。ニィちゃんは命を救ってくれたからね。……騎士子ちゃん持って行きやがったけど。
……お茶飲みたいなー。可愛い妹さんが淹れたロマンあるお茶飲みたいなー!」
「お茶は構いませんが、ウチに入れるからには紳士的にあってくださいね」
ティフェが大きめの盆にティーポットとカップを載せて運んでくる。
「お兄様、お茶の用意ができました。
まずはお客様……ディドア、まずはおじ様へ」
ティフェは両手が塞がっているので ディドアが俺たちに配膳してくれる。
ふたりは基礎的な教養はあるものの、使用人として働いた経験はないようでメルの手腕に比べるとかなり初々しい感じだ。
並べられたティーカップに、ディドアはお茶を注いてゆく。
「はい。おじちゃん、まだ熱いから気を付けてね
お兄ちゃんも、はい。……トゥイおねーちゃんも、どうぞ」
「コバタ兄さん、この方はどういうお知り合いなんです」
トゥイは俺の横に座り、こちらを覗き込むように尋ねてくる。
「ニィちゃん……ロマンを謳歌し過ぎじゃない? どうなってんの?」
変態中年は俺の正面の席に座り、ディドアからの給仕を受けている。
俺は、この場にいることが突然ツラくなってきた。ついさっきまでは義妹に囲まれるステキな夢空間だったのに、外部のオッサンが混じるとこうなるのか。
俺は、混入した異物に語り掛けることにした。
「……で、ご用件は? キーアベルツさん。
過去にはフォルクト王国にその人ありと謡われたスゴ腕の執行官だったのに、クーデター組織に身を落とし、あまつさえ捕縛されてしまっていた『北のクソ犬』と呼ばれるあなたが何の御用なんです?」
トゥイへの説明も兼ねて、相手のプロフィールを話しておく。トゥイは無表情の裏で相手のことを察したようだ。……ああコイツがそうなのか、という雰囲気。
「ニィちゃん、ひとつ訂正な。
『白馬の王子様』だ……ッ。俺のふたつ名はそれ以外認めない。
……でもまぁいいや。
いいお茶だね、これは。香りが素晴らしい。んー、おいしい。あったまる」
キーアベルツがお茶を飲んでいるところに、遅れてお茶菓子が運ばれてくる。焼いて間もない、まだあったかいクッキーだ。
「きた、クッキーきた! わぁい、クッキー! おじちゃん、クッキー大好き!
……えーとさ。取り合えず、法将マファクはオレが執行して潰すからさ、そっち方面は任せてくれていいよって伝えに来たんだ。
ペリウス共和国において法将の存在感はデカくてね。『死んだとなれば』ほぼ間違いなくペリウス軍は一時撤退になる。
ウイアーンがどうとかよりも、ヤツの葬式が重視されちゃうんだ。
シャキ、サク……うん、おいしい! クッキーも丁寧に作られていて口の中で溶けるような甘さだ。……お茶のお代わり貰える? あ、妹サンありがとねー」
キーアベルツはマイペースな感じで、言いたいことを言っている。その様子を見ていたトゥイが交渉担当として発言をする。
「法将死後の動きについての見立ては私も同意します。そうなるでしょう。
ですが『千滅のキーアベルツ』さん。あなたの実力は重々承知していますが、本当に執行など出来るのですか。空手形など貰ったところでゴミとなるだけです。
茶代にも満たない。むしろ、こちらに余分な考慮をさせるだけ……『片付けが必要なゴミ』を落として行っただけとなる」
トゥイの声は淡々としていて落ち着いている。穏やかな無表情のまま。だが内容が結構ケンカ腰ではないか、と俺は危惧した。
キーアベルツは、少しニヤ付きながら答えた。
「言うねぇ嬢ちゃん。
でもよ。オレが現役のころ、嬢ちゃんはまだガキだ。直接見てもいないし、その時代の雰囲気を感じていない。……それじゃ、実力なんて知りようもない。
『重々承知』ィ? 伝え聞いただけで分かった気になっちゃダメだろ?」
年季のある人間から『若造扱い』されたら俺には返す言葉はない。……だが、トゥイはまったくペースを乱さない口調で応対した。
「そうですね、同感です。
風聞というのは信用し過ぎてはいけないものです。私は何より『実績を重んじる』人間でありたいと思っています。
あなたの誇る実績を、今の時代に見なければ、判断などつけようもありません」
トゥイの言葉に、キーアベルツは少し警戒を見せた。危険を感じたらしい。
「……嬢ちゃんの言いたいこと分かったよ。
え、そっちから注文付けてくるつもりなの? オレに何かやらせようっての?」
「可愛らしい双子姉妹が淹れたお茶は、本来コバタ兄さん専用です。……菓子も店から買ったものではなく、手ゴネで作り、丁寧に焼き上げた自家製です。
安くない。……まさか、価値を理解もせずにそれを食べ、飲んだのですか」
トゥイの言葉に、キーアベルツは大人しくなった。
「……いや、価値は分かっていた。この違いが分からぬほど愚かではない。
この区画に入る前から察していた。手作りお菓子が焼きあがって間もないのだろうと。一帯を監視する女の子もその制作に関わっていたであろうと。
しかし、突然舞い降りたラッキーと思っていたのだが、このクッキーは……」
「キーアベルツさん。そもそも『注文はそちらが先に付けた』のをお忘れですか。
玄関扉前で『可愛い妹さんが淹れたロマンあるお茶飲みたい』と、あなたがそう言ったからこそ、この茶と茶菓子は出てきたのです。
そしてあなたは存分に食べ、お茶もお代わりされた。……まさかとは思いますが、単なるラッキーとしか認識されていなかったのですか。
……あなたがおっしゃる『白馬の王子様』とは、無礼者のことを指すのですか」
トゥイは今もなお平静な表情で、落ち着いた声で話している。……その言葉は、内容だけは非難めいていたが、相手をツメるようなトーンではない。
……だが、その言葉にキーアベルツは追い込まれて見えた。
トゥイは非難の言葉を発しているが、感情的ではない。反論して声を荒げたりすれば『ひとりだけ勝手に怒り始めた』みたいになってしまうだろう。
キーアベルツは狂人だが、見栄やプライドは持っているようだ。この場を強引に収拾する力は持っているが、その行使は見苦しい真似になる。それはできない。
不利を察したものの、既に追い詰められた状況。黙ってしまったキーアベルツに、トゥイは『救いの言葉』をかけた。
「私の見立てでは、残念なことにあなたはまだ『優雅な王子様』には及びません。『血気盛んな騎士様』といったところです。
そして古来より騎士とは約束事を重んじるものです。
その誇り高きを、証明するために。
そしてあなたは、自他ともに認める『力ある魔法使い』なのです。
その力は、見識は、弱き者を助けるためにあるのでしょう?
そうです。今こそ私は聞きたい。
そう、馬を駆り王道を往かんとする騎士。優雅な王子となるのを夢見る騎士。
そんなあなたの、誇り高い一言を」
「……可愛い女の子からの注文なら、聞くのがオレです。
何をすればいいんでしょうか」
トゥイは交渉事に強く、キーアベルツは女の子に弱い。話が終わってみれば、キーアベルツは不安げな子犬のようだった。
「……わかりました、キーアベルツさん。
あなたの目的はふたつ。
『ペリウス共和国・法将マファクを悪しき魔法使いとして"執行"すること』
『皇帝陛下の養子・ケルクキカを悪しき魔法使いとして"執行"すること』
これに間違いはありませんね」
「……ああ。オレがすべきことはそれだけだ」
「私はあなたの目的を尊重します。
法将・マファクはその立身出世において、周囲の敵対者の多くを謀殺し、多くの謀略に関わり、現状はウイアーン帝国に向けて兵を向けている。
これを『悪しき魔法の利用』と見なすことに異論はありません。
また『傾国姫、もしくは泥のケルクキカ』と称されるケルクキカ姫。
彼女が過去にフォルクト王国に対し行なった作戦行動は、ウイアーン帝国では英雄的行動と見なされていますが、それは一方的な見解です。
協定外の虐殺。これを『悪しき魔法の利用』と見なすことに異論はありません。
以上ふたつを為すには、単身での実行は大きな困難を伴います。……実際あなたはクーデター組織に身を置くことで、それを叶えようとしました。
よって先述の2点を除き、我々への協力行動をお約束頂けますね」
「……お茶とクッキーの対価にしては、デカくない?」
「ですが『ふたりの少女が、初恋の相手を想って作ったクッキー』ですよ?
数量限定、期間限定、本来なら対象限定となるところを融通して貰えたのです」
トゥイが初めて、冷たい目で相手を見た。キーアベルツはすくみ上った。
さすがに哀れと思ったのか、ティフェとディドアからフォローが入る。
「あの、おじ様。お気になさらず。お茶菓子もまた作ればいいだけのことですし」
「おじちゃん、あんま気にしなくてもいいのですよー。
良ければ今度はおじちゃん用に焼いてあげるから。今日のだって練習作だし」
ふたりの優しい言葉に、キーアベルツはもはや言い訳が利かない。
「うん、オレの使命を尊重してくれるって言うんなら。
他は今日の償いに回すよ……何やればいいの?」
「私が書面を書きますので、それを持って所定の場所へ。
以降は現地で、指示に従うように。あなたの意に沿う形での派兵となります」
トゥイは圧倒的優位のうちにキーアベルツを送り出した。
……しかし、その後に出てきた言葉は意外なものだった。
「追い払うのが精々でしたね。無傷のまま終わって良かった」
「……トゥイの完全勝利に見えたんだけど、そうでもなかったの?」
「出来たことは口約束。それだけです。
……圧倒的に暴力で優れた相手とは結局どうともなりません。『相手の気が変わってしまえば、それだけで終わる』んですから。
物理的手段で『声を発せなく』されれば終わり。喉を潰しても肺を潰してもアゴを壊しても、命を奪ってもそれは出来るのです」
「では、トゥイお姉様が目指していた終着点とは?」
「こちらからの敵意の無さをアピールすることです。……ずっとフザケ半分のクッキー談義などしていたのはそのためです。
『相手の気が向いたときには、一定の協力が得られる』という可能性。
あとは荒事を起こさぬまま、この場をお引き取り頂くこと、ですかね。
それと単純に、話し相手に飢えているように感じました。他者からの意見の受け入れで、自我の不安定性を律しようとしていた」
「……いや、寂しいオジサンみたいに言うのはやめてあげてよ」
「そういう問題で済むなら楽なんですがね。単に話せばいいだけなので。寂しいオジサンの話相手なら、あのように怖く感じたりはしません。
あの方は……危険ですよ。普通、あんな風にトントン拍子で話を進められたり、こちらが想定した結論に従って折れたりはしないものです。
こちらの話題の誘導を先読みして、それに乗ったか。
あるいはこちらの話なんかどうでも良くて、『単に情報を得るためだけに"話しているフリをした"だけ』なのかもしれない。
いえ、それとも『あちらからの要求・メッセージを届けるためだけの会話』だったかも知れませんね」
「……トゥイは、何でそう感じたの?」
「仕事中の私と同種です。……声の調子は計算づくで、表情は顔を歪めただけ。
何ひとつ、心から出てきたものなんてない。そう見せかけただけ」
「……マジ? 確かに、凄腕の執行官とは聞いていたけどさ……。
精神性としては、変態のオジサンじゃないの、あの人?」
「……あの方は『明るい変態』を装っています。おそらく、内心からして『自分を誤魔化している』のでしょう。
実際のところはおそらく『とんでもなく暗い変態』ですよ。
それと、兄さんはあの変態を過小評価し過ぎです。……もう過去のこととは言え、法将マファクや泥のケルクキカと、同格の評価を受けているんですから。
『公的な二つ名』なんてものを持っている者は、とても限られるんです。
『闘技場の二つ名』とは全く意味合いが違うものなんです」
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