3-05.【アルメピテ】秋空はやがて、冬空に
……ないものねだり。それを叶えてしまったことへの後ろめたさ。
愛する夫。この家を私の居場所としてくれた人。私を信頼して、多くの弱さを見せて預けてくれた人。……誰よりも愛おしい人。
コバタ様。夫が私を見かねて差し向けた方。私の持て余した気持ちを楽にしようと救いを差し伸べてくれた方。……とても、お優しく愛多き方。
……揺れていた私の心は、今こうして少しずつ落ち着き始めた。
そうして、気付くのだ。自らを見失っていたことに。……初心であったあの頃のように、私の悪癖が再発したことに。
ああなった私はひたすらに、求め続けてしまう。そう『足ることを知らないこと』を、まるで美点であると思い込もうとするかのように。
それが良い意味で作用するならともかく、今のこれは……悪い意味となる。
思えば、昔からこうだった。今までは何とかうまくいっていただけ。
夫と初めて会ったのは15のときだった。夫は随分年上であったから、お話が合うかすら不安だったし、小娘と侮られるのではないかと恐れた。
実際にはそんなことはなかった。夫は私を尊重してくれた。私との共通の話題を探し、この家に留まることを強く望んでくれる暖かい人だった。
心配性が起こした不安に過ぎなかったと、私は胸をなでおろしたのも束の間。
……恐れがもっとも高まったのは、夫との初夜においてだった。
夫の肉体が示した状態、それを恥じたような悔いたような夫の顔。……私に対して魅力を感じていないのではないか、ということはもっとも恐ろしい事だった。
しかし、夫からの打ち明け話を聞いて、私はとても気が楽になった。
性癖に起因する不能であるならば、それに対処する方法が分かっているのであれば、それは私にとって怖くもなんともないことだった。
何より怖かったのは夫に『求められていないこと』だったのだから。
『自分がされて嬉しいことは、他人も嬉しく思うはず』という破綻した論理。
私は『求められるのが嬉しい』からこそ、自分以外にも『求めてしまう』。
この破綻した私の論理。夫はそれを夫婦の話し合いの中で修正してくれた。
「いいかね、アルメ。
私にとってはきみに求められること、それはとても嬉しいことだ。夫婦の間柄においてはきみの在り方は私にとっても嬉しい。なにより充足できる。
しかし。
しかし今、きみのお腹にいる子には求め過ぎるのに私は反対だ。……親子という間柄においては、私は『与える』をことを主眼に置いていきたいんだ。
……きみと多くを語り合った中で、私が強く共感したことのひとつは『親と自分の関係』についてだ。
我々は『親から多くを求められてきた』から、人間としてよく成長できた。……だが、自分自身に感じる『歪み』もそこに起因しているのも事実だ。
だから私たちはなるべく『与えるだけ』に留めていかないか。……これから何人も産まれるであろう子供たちが、自由に生きていけるように」
私としても、夫からの提案は嬉しいものだった。
我が子たちにはひたすらに与えて、自由に生きていけるようにする。……それはきっと新しい世代への教育として相応しく思えた。
そして今、6人の子供たちはきっと、健やかに育ってくれた。
年月はあっという間に過ぎた。幸せで満ち足りた団欒と子育ての日々。
そして末の子が私の手を離れたとき、私は大きな空虚を感じた。
夫は肉体的に衰えを自覚しており、更には政治の混迷から多忙を極めていた。私の気持ちの捌け口は大きく減っていた。
……そう。私は役目を終えて、これからゆっくり枯れ果てていけばよかった。
とっくに大人となり、母親と言う立場を持っているのだから。
でも、でも。
まだ枯れ切っていない。まだ私は『与えられるし』『求めてもいる』のだから。
……妹のアーシェルに恋人が出来たということ、それが倫理的に不貞なものであると知った時は大きな驚きを覚えた。
そして、恋人を伴って我が家へと訪れると聞いたとき、その意図を量りかねた。
なぜ、恋人との旅行先にウイアーンを。この家への滞在を選んだのだろう。
到着したアーシェルから、私が納得いくだけの説明はなかった。
モヤモヤとしたよく分からない気持ち。落ち着かない気持ち。
……きっと、まだ若く自由なままであるアーシェルに私は嫉妬したのだ。
アーシェルは『これから』で、私は『もうこれまで』なのが悲しかった。
賑やかな客人たちの到来。
快適に過ごせるよう、客人に惜しみなく『与える』ことには満たされた。
新しく出会った人たちとの会話は新鮮であったし、楽しかった。
事前に想像していたような、価値観が合わない相手ではない。
家は笑い声や音楽に溢れ、踊りを学ぶ若い娘たちの姿……。団欒の色合い。
私に興味と好意を向けてくれる、年齢の離れた女の子たち。
再び訪れた、笑顔に囲まれる日々。……回春の感覚。
……そして、あの夜に嗅いだお香。
香りに誘われるままに覗き見た、若き男女による情熱の光景。
昼間には私に親しく話しかけてくれる若者たちによる……夜の情景。
私が夫と結婚したときと年頃を同じくする、うら若きフィエエルタ。
かつて私より乳を授けた妹で、今は夜の情熱を瞳に宿すアーシェル。
そして他ふたりの恋する娘たち、彼女たちが見つめる先はひとつだった。
優しげで、異境的な風貌の恋人。
……そして私は、その熱に焦がれてしまった。
色あせた花とて、身を焦がして紅く揺れる花を咲かすことは出来るのだ、と。
その炎の熱を抑えきれずに、コバタ様に強く『求めて』しまった。
月夜の秘めやかな訪い。それを迎い入れた私。
コバタ様が、私を求めてくれる視線。それは熱く強く、逞しく私を貫く。
もう私は若くないというのに、コバタ様は純な瞳で愛でて下さる。
それは体の芯から燃えるような、肉が溶け果てるような悦楽。
コバタ様は若くひたむきで、少し自信なさげで繊細なのに。
なのに、とても。……とても。
求められれば、私の身の内から止めどなく悦びの声は溢れ出る。
幾度となき放心、すぐにまた繰り返す高揚。……共に果てる永き一瞬。
そして私の唇が誘えば、直ぐにその勢いを取り戻してくれるコバタ様。
力強く抱きしめられて、その愛を奥深く受けるとき、私は多くを満たされた。
『求められること』『求めること』『与えること』をそれぞれに満たされた。
……コバタ様は、素敵な方。
そして、彼の恋人たちも私にとって……憧れる年下の女性たちだ。
……あの素敵な娘たちに対抗心なんてない。もう、私はオバサンですもの。
でもちょっとだけ、欲しかった。
あの娘たちが味わっている『今、この時』と言う感覚が。
……秋空のように移り変わる心。若き頃の落ち着かない心持ち。
それを味わうのはもう『かつて夫と共に得て、充足した』はずだった。
そう。
もうとっくに、私は得ていた。持っていないものではなかった。
……貪欲にもまた、欲しがってしまっただけで。
……考え直そう。
コバタ様との関係で燃やす情熱はきっと、毒の火になってしまうのだから。
私は既に一度、夫から与えられているんだから。
ならば、私がするべきは。
そっと、身を引くこと。
……あの若き恋人たちに与えるべきは祝福であって、妨害ではない。
『これから』を長く、楽しめる人たちなんですもの。
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