Ⅰ年 「三百二十プラス一」 (5)知らぬが仏
主人公「駿河轟」は、第一中学校の一年生。
初めて目にした「応援団」に興味を持ち、同じクラスのスペイン系クォーターの三条さんと、そのまま「入団」。
どきどきの応援団生活初日の帰り際、背後から不意に声を掛けられた。
どきりとして声の主を振り返ると、入学式前に、教室まで案内をして呉れ、握手までした、あの《靨の可愛い》先輩だった。
「あ、…、あ、あ、失礼します。先日は有り難う御座居ました。今後とも、どうぞー、よ・ろ・し・く・お願い致します。失礼します。」
普通の口調でなら、まだ年齢相応の御礼も言えようものが、応援団の作法通りとなると咄嗟のことで満足に口も廻りやしない。
「私、三年の小林美恵。宜敷くね。いやぁ、入団して呉れたんだ。嬉しいなぁ。」
先輩は、目をぱちくリとさせ、相変わらず靨を浮かべた可愛らしい笑顔なのだけれども、《応援団》の上級生というイメージが重なると、どことなく凛々しさというものが感じられるような気がした。
「失礼します。全力で努力致しますので、よ・ろ・し・くお願い致します。失礼します。」
「あぁ、良いよ。学校出たら、私の前だけでは、其の《失礼します》と《気をつけ》は。」
「有り難う御座居ます。」
「学校慣れた?」
「迚も忙しいです。」
「最初だし、凄く疲れるでしょう?」
「はい。」
「大丈夫。私だって三年生になれたから。小学校と違って、いろいろ不思議なこともあるでしょう? 何か、聞き度いこととかある?」
中学校で最初に知り合った故か、それとも可愛らしくさっぱりとした物言いの所為か、どちらにしても小林先輩には、此方の心が癒される不思議な魅力があった。
「あの、一つお聞きしても良いですか?」
「なあに?」
「新人が二十七人、二年生が二十八人で、幹部の三年生が十四人というのは、何故でしょうか?」
「人数のバランスが変だ、ってこと?」
「はい。幹部の皆さんが他の学年の半分なのは。」
「これから試験があると分かると思うけど、一中は全ての試験で生徒全員の順位が出るの。」
「はい。」
「《応援団は、須く一般生徒の模範とならねばならない》、というのが創設以来の団の不文律なのよ。」
「はい。」
「単に成績が良ければいいのとは鳥渡違って、努力する根性、っていうのかな。例えば試験なら、前回より三十番以上順位が下がったら次の試験まで休団。総合順位が百番以下になったら其の学年中は停団、つまり三年なら退団ね。二百番以下になれば、学年を問わず、即、退団。」
「ゲ! あ、…失礼しました。」
「良いのよ。ゲェでしょう。此の春の補習後の試験で大量に百番以下に落ちてね。それで残ったのは十四人。今の二年生二十八人というのはよく残っている方よ。」
「そうなんですか…。」
「他にも、生活指導で生徒手帳への赤文字記載、つまり遅刻や服装違反、持ち物違反とかね。これが学年のうちに五回以上になったら、これも即、退団。」
「うわ。 あ、…また失礼しました。」
「うわでしょ? 他はね、一年生は定期戦前の特別練習、通称《特練》がキツくて辞めるかな。」
「いやぁ、そうとは知らず…。」
「大丈夫。しっかりやっていれば必ず残れるから。陰でいろいろ言う人もあるけれど、団員達で決めた約束事だし、なんだかんだ言って、同級生の皆で助け合っていくし、それでこそ、固い結束が出来ていると、私は思っている。」
「勉強になりました。有り難う御座居ます。」
「どう致しまして。それじゃ、私は此方だから。頑張ろうね。」
「はい、失礼します。」
毎日の宿題や予習、復習に従いていくだけでも大変なのに、これはもっとエライところに入って了ったと、其の日の帰り途は、ずっと気分が滅入った儘だった。
* * *
応援団の練習は週三回、月・水・金だけ。放課後の二時間、基礎トレーニングと応援の技術を練習する。基礎トレーニングは一時間。三キロのランニングに始まり、柔軟に筋力、主に持久力を高めることを目的にした練習が続く。
其処までは体育の授業の延長のようなものなので、なんとか従いていけるのだが、応援の技術練習になると不慣れな分、途端にきつくなる。一年生が覚える程度の腕振りは単純でも、其の持続時間が尋常ではなかった。スタンドでの応援指導を想定しているので、横に動き、走り回りながら、手を叩き、拍手をし、最前列の中央で指揮をとる《センターリーダー》の動きを其の儘映した役をする《バクセン》(バックセンターの略…最前列で幹部が出す応援の指示を、スタンドの最上段でリーダー部・女子部・吹奏楽部全員に指示し直す《鏡》の役割)の団員の姿を見ながら、一般生徒に伝えて盛り上げる、という練習をする。(文字で書いていても長ったらしくて些とも要領を得ない。)
練習では実際に居もしない一般生徒相手というのもキツイが、始めた許りでバクセンの指示もよく分からず、次の動作が止まって了う。すると即座に幹部の竹刀が腰に飛んで来る。まあ注意喚起するための《ペシン》程度で、思いきり叩かれるわけではないのだが、叩かれるかも知れないという恐れと、反対に不意に叩かれた時の驚きで、精神的にビクりとする。勿論、何度も叩かれていればヒリヒリともしてくる。疲れて息をついていれば、頭から柄杓で水をかけられる。
これが四十五分間続き、最後の十五分間が女子部と吹奏楽部も入った全体練習。そして、集合、解散。
週にこれが三回。そして学校からは其様なことには関わらず毎日大量の宿題。
* * *
中学校の一年生は、つい此の間まで小学生。中学校の三年生は、次は高校一年生。三年間での成長が一番大きい時期でもある。
僕ら一年は、応援団とは言ったところで、どう見ても漫画の四頭身~五頭身程度の坊っちゃん、嬢ちゃんでしかない。それに比べて、上級生は、格段に見た目が違っている。先ず、体格からしてしっかりしている。学生服姿では一年生より細く見える二年生でも、ジャージを腕まくりしたときの筋肉は、一年生とでは比べものにもならない。三年生ともなれば、さらに顔つきもしっかりとして、筋肉は更に言うまでもない。小学校では男子より遙かに体格が良かった女子でも、三年生の女子の先輩の大人びた雰囲気や体格には到底敵わない。
それは、一言でいえば「出来上がっている」ものと、そうではないものとの差だった。練習で見る「出来上がっている」ものの美しさは、そうではない僕らにとってのささやかな憧れであり、また励みの目標でもあった。
* * *
また、応援団の上級生は、自分たちの勉強もありながら、僕らの勉強の面倒もよく見て呉れた。中身そのものは自分達で教え合えるが、それ以外の効率のよい勉強方法や、無駄のない生活の仕方等々。色々と事細かに教えて呉れた。団が休みの火、木、土は、積極的に団員が集まり、上級生が下級生の面倒をみる。上級生は上級生同士で自習をする。特に、土曜の午後は、二年生が一年生を徹底的に指導した。
そうした中で、徐々に信頼関係が築かれていく。
僕は定期試験で、なんとか五十番前後をウロウロしている状態を維持出来た。三年生になって幹部として応援団に残るためには一〇〇番以内でなければならない。末長さんの話では、団長の八幡さん、小林さんは一〇〇番どころか、二年生の三学期から常に二〇番~一〇番以内だという。片や宿題を忘れないために登下校の電車の中でも只管問題集を解いているか、其の最中でさえ気づかないうちに寝てしまっている僕には、先輩方のような成績をとることは俄かには信じられなかった…。
三年生では、午後に行われる五教科(国数英社理)の授業は八つのホームルームとは別に、試験の成績で前半四クラスと後半四クラスが夫々習熟度別に四つのクラスに編成される。その筆頭クラスになる一組と五組だけは授業時間も七〇分に伸び、先生は講義をしないで最初に問題を黒板に書き、其の儘教室を出て行って了う。それを生徒が解く。一番に解けた生徒は黒板に模範解答を書き、最後の一〇分で先生が戻って他の解法等を解説するのだそうだ。
誰よりも身なりがきちんとしている八幡さんも小林さんも、常時制服の袖だけチョークで薄汚れているのは、其の所為だと末長さんが教えて呉れた。『常に上を目指す』ストイックな手本が、直ぐ目の前に存在していた。
第一印象に忠実に「入団」してしまった駿河君。
自己紹介に度胸試しに驚いていたらば、本当の驚きはその後の「毎日」に。
入学以来、気になっていた「小林」先輩の存在は駿河君を団に留めるだけのものになり得るか。
辛いと思う現在でさえ「楽」に感じる未来がやってこようとは、まだ気づかない駿河君。