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つい先週のこと  作者: 雪森十三夜
第六巻 補綴・十三夜「中学校・高等学校編」
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高等学校編・一年 お顔とお尻(二)

 駿河轟は「第一中学校」から「第一高等学校」に進学が決まった一年生。中学校ではベーデこと「三条亜惟」らの女子と共に「応援団」に属し、それなりに充実した学校生活を送ってきた。

 卒業式の帰り道、駿河とベーデは互いの想いを告白し、交際がスタート。

 今日は、卒業して間もない四月。二人はまだベーデのホームグラウンド「渋谷」を中心にデートを重ねる毎日。二人は渋谷から道玄坂、松見坂上、駒場へと道を進め、お気に入りのバスの車庫までやってきた。

 川沿いに並んで、バスの後部がずらりと眺められる。


「どのお尻がお好み?」

「んー、最近は、味のあるのが少ないからな。あれだ。」

「どれ?」

「あの、少しバス同士の間が空いている所から右に二台目の鳥渡後ろに下がって停まってるやつ。」

「ああ、丸くすとんと落ちてるやつね。」

「そうそう。」

「何で?」

「あれはさ、ほら、他にも同じように一番後ろの窓が左右開きになっているのがあるだろう?」

「さっきの新型のもそうね。」

「そうそう、でも、新型のは上の段の窓が台形だ。」

「確かに。」

「あれはほら、弓形を半分にしたというか…。」

「ああ確かに上方は弧を描いてるわね。」

「でね、その弧を描いたタイプも二つあって…。そうそう、ほら、その二台先。」


 ベーデは、心持ち背伸びをして眺めている。


「ふんふん。ああ。同じ感じ。」

「でも、少うしだけ違うのが分かるか? 俺が先刻言った方が弧が少し歪なんだ。」

「はぁはぁ…。成る程。鳥渡左右に狭い分、気持ち角張ってるわ。」

「だろ? それにその下の左右開きの窓も違うの分かる?」

「ん? ああ、弧が綺麗な方は、その弧に沿うような感じの窓ね。で、貴男が好きな方は、直線的だわ。」

「だろう? 何か妙にこう、円と直線が一緒くたになっていて、『一筋縄じゃいかないぞ!』って主張しているみたいでさ。ああいう感じが好き。」

「例えたら、それが私?」

「そう…だな。一つ一つのパーツに魅力があって、全体でもまた他とは違った趣がある。」

「へぇ。成程。んふふ。」


 彼女はまた一足先に、機嫌良くスキップ気味に、今度は池尻方面へと向かう左の道に曲がる。


「あら、まだ、おでん。」

「買う?」

「ん~、歩いた分だけ小腹が空いたわね。」


 食品店の店先で売られているおでんを何種類か買い、袋に入れて貰った。

「少し先に神社があるから、其処まで行こうか。」

「ええ。」


 小高い丘の上に僕が途中まで通っていた小学校がある。


「まあ、二宮金次郎。水の流れる小山もあるわね。」

「奥の方にさ、大きな柳の木が何本か生えていて、その横に石垣があってね。柳の枝を何本か束ねて掴んで、石垣の上まで上がってからぶらーんと…、」

「あはは。ターザンね?」

「そうそう。」

「何処でもやるわね。小学生は。」


 ベーデは両手で蔓に捕まるポーズをして悦に入っている。


「その柳の木の近くにある通用門を出るとさ、小さな文房具屋さんが在って、昆虫採集セットとか売ってたな。」

「今はあまり見ないわね。昆虫採集セット。」

「何処に行っちゃったんだかな。あ、此方、此方。」

「お墓じゃないの。大丈夫?」

「此処を抜けると神社への近道なんだけど、止めとくか。」

「近道だ、って知っただけに止めておくわ。ふーん、井戸もあるの。」

「お墓参り用だよね。」


 坂を下りきって、目黒川の手前を右に折れると直ぐに三宿神社がある。境内の石段に座って、おでんをつついた。


「あはは、丁度良い温かさだわ。」

「お、最初に玉子からいくか。」

「あら、ちくわぶが好きなの?」

「何か、知らないもの頼んでたな。何だそれ?」

「すじ、よ。知らないの?」

「知らない。鳥渡呉れ。」

「良いわよ。はい。」


 ここで人生、初めて親以外からの《アーン》をしてもらった。


「何か、欲しいものあるか?」

「んんん、その三色つみれの一番上を頂戴。」

「良いぞ、ほい。」


 更に、人生初めての《アーン》をしてあげる。

 格別の感動はなく、もぐもぐと食す時間が過ぎる。


「幼稚園の時、いや、もっと前かな、其処の橋の端っこに雨水を川に流れ落とす小さな穴が空いていてさ。」

「ふんふん。」

「夕方の買い物の時、わざと、じゃなかったんだけど、サンダルの片方を川に落としちゃってね。」

「あらら、大変。」

「流れもあって、もう拾えやしないし、母にえらい叱られた。」

「ふーん。」

「そのサンダルはさ、歩くと音がするやつでさ。」

「知ってる。キュッキュッって。」

「そうそう。俺にとっても青いお気に入りのやつだったんで、俺はそれを失くしたのが哀しいのに、何故こんなに哀しんでいる俺を母親は怒るんだろう、って不思議だった。」

「小さな頃から随分冷めてるのね。」

「あと、買い物に行くとき、上を見上げれば電線がある。」

「まあ、普通にあるわね。」

「頭上を走る電線が、まるで玉電や都電の上の架線みたいに見えてさ、ずっと見上げて歩いていたら、『馬鹿みたいにぽかんと上を見ているんじゃありません』ってまた叱られた。」

「そりゃ叱るでしょうよ?」


「でも、大人はなんで、この面白さに気が付かないんだろう。なんでこの面白さを楽しんでいる俺を怒るんだろう、って不思議だった。」

「ほう…。」


 彼女がもっとネタがあるだろう? という顔をしているので、話を続ける。


「更にね。」

「まだまだありそうね。」

「テレビで理科の実験か何かを機嫌良く見ていたら、買い物に連れ出されたわけさ。」

「それでまた怒ったの?」

「否、買い物から帰ったら、実験が終わっていて、別の番組になっていてさ。」

「当たり前じゃないの。」

「何うして俺が見ていないのに、勝手に番組が終わるんだろう、って不思議だった。俺が見ていないときは、テレビもやっていないもんだと思ってたんだな。」

「変な奴…。んふふ。」


 おでんを食べ終えて再び歩き出す。


「この雑貨屋さんにさ、プラモデルも売ってたんだけど、どういう訳か、常時部品が一つ足りなかったんだよな。」

「それは、どう考えたって、どういう訳か、常時部品を一つ失くしちゃったんだよな、と言った方が正しいわよ。きっと。」


 彼女は、こちらにとっては長年の謎であったことを、いとも簡単に「つまらない落ち」に持ち込んでいく。


「此処の床屋さんな。」

「貴男、思い出話の宝庫ね。民話の語り部?」

「床屋さんって、小さいときは補助椅子を載せたでしょ? 頭がちゃんと背もたれから出るように。」

「私はワカメちゃんじゃないから、小さい時から美容室だったけれど、あったわね。」

「小さい子ってじっとしていられないから、玩具を貸して呉れるんだな。店の奥に鳥渡入った物置にそうした玩具置き場があってさ。」

「貴男のことだから、特にじっとしてなかったんでしょうね。」

「それで、捻子を巻くと、汽車が走って飛行機がぐるぐる廻るブリキの玩具が好きでね。」

「それで静かにしてたの?」

「あんまり静かに集中してるもんで、剪られ過ぎても文句を言わなかったんだな。大概、終わってから『何故こんなに短くした!』と怒鳴りまくって、毛生えトニックを掛けて貰うのが常だった。」

「私、貴男の子どもが心配だわ…。」

「で、その毛生えトニックの商品名がさ、《ヨウモトニック》ってえらいまた直接的な名前でさ。」

「あははは。幼稚園前から毛生えのヘアトニックとか、やっぱり変な奴だわ。」


 彼女はご機嫌で、もっともっと、という顔で急かす。


「風呂桶が壊れると、此処の銭湯だったな。」

「そう言えば、何でだか知らないけど、昔はお風呂の釜ってよく壊れたわね。」

「今のように頑丈に出来てなかったんじゃないか? 木製の風呂桶も多かったから。」

「今よりも単純だったでしょうにね。単純だけに、あっさり造り過ぎでいたのか知ら? あら、こっちにも路地。」

「此処を入っていくと、別筋の商店街。」


 右側に折れると下の谷商店街だ。


「今日はどっちに行くの?」

「今日は本筋を行こうか。」

「彼方に想い出は?」

「ん~、彼方は此方よりも道が細いからさ、路地裏って感じで駄菓子屋とか豆腐屋とか小さな店が多かったなぁ。」

「それで?」

「駄菓子屋で五円だったかのプラスチック製の小さな戦争車両を買った。」

「へぇ。」

「ジープとか戦車とか、色々。プラスチックっていうより固いビニールかな?」

「私も駄菓子屋さんでリリアンとか買ったわ。」

「あとは夕方に屋台のおでん屋さんが来たな。」

「手元で鐘を鳴らして?」

「そうそう、あれはこの辺から其方にかけても一緒か。」


「あら、材木の良い匂い。」

「ん、この辺も変わらないな。そうそう、其処の肉屋で買い物をしている間は、焼き鳥の串を一本食べて待ってた。」

「お黙り菓子の代わりね。」

「身体が弱かったからレバーばっかりだった。」

「はぁ?」

「お菓子は此方の店だな。問屋さんで、渋谷の東急プラザの地下にもあるだろ?」

「太子堂って、ああそう言えば此処が地名ね。」

「其処の日本蕎麦屋のさ、暖簾。」

「何?」

「幼稚園に入る前かな。父親と一緒に歩いていて俺が《きそむ》って読んだんだ。」

「あらま。」

「そうしたら『あれは《きそば》と読む』と教えられてね。」

「漢字の崩し字、それとも変体仮名っていうの? よく《きそ》まで読めたわね。」

「幼稚園の時には、詳しい意味は分からないでも新聞は読めたぞ。」

「英才教育でもしたの?」

「否、なんだか、その辺にある本を片っ端から読んでるうちに字を勝手に覚えたんだと。」

「そんな神童も、今じゃただの人ね。」

「字なんか、別に早く読めなくたって困りやしないさ。」


「此処、よく来たラーメン屋。」

「美味しいの?」

「極めて普通の中華そば。全く捻りがない。でもそれが美味しいと思う。」

「へぇ。」


 お気に入りのサンダルを落としてしまった目黒川の少し上流に位置する茶沢通りから少し入った処にあるラーメン店に入った。


「私も記憶は良いほうだけれど、それにしても、いつもながら貴男、よく細かいところまで憶えているわね。」

「流石に毎日とまではいかないけれどな。」

「毎日を憶えているのはいつから?」

「中学校に入ってから、かな。」

「小学校は?」

「此方の小学校に居た時のことは大体憶えているけれど、転校してからの記憶は十日分も無いんじゃないかな。」

「何故? 此方に居たのは低学年の一時期で、殆どはその後の小学校の方が長かったんじゃないの?」

「自分で憶えようとしていなかったみたい。つまらなかったんだろうな。」


「ふーん、私と同じかもね。」

「お前も、転校したのか?」

「転校はしないけど、小学校はつまらなかったから、記憶に殆ど残ってない。」

「そうか。」


 ラーメンの出来上がりを待つ間、横に置いてある占いの玩具にコインを入れた。


「獅子座なんだろ?」

「あら、勝手に私を占うの?」

「ほら。」


 出てきたプラスチックの玉をベーデが割る。


「中吉…。」

「お? 俺は…、小吉。」

「どっちの方が良いの?」

「どんぐりの背比べだな。お、来た来た。」

「何か、日常すぎて笑えないわ。あら、美味しい。」

「だろ? さっぱりしてて長ネギが良く合う。」

「ラーメンを食べて、占いが中吉で、って複雑ね。」

「大吉だって日常の積み重ねだろ。」

「そうなのかしら? そういう特別なものって、或る日突然、降って湧いてくるんじゃないの?」

「土台がなければ《或る日突然》だって来ようもないさ。」

「ふーん。考えたようなことを言うじゃないの。」

「偶にな。」


 彼女は満足そうに中華匙の上に麺を乗せ、お行儀よくラーメンを食べていた。


 可成り細かいです。ベーデさんも駿河君も。

 ベーデさんのこの「マニアックなバス好き」を男子が知ったら、もう少し違ったタイプの男子が近寄ってきたかも知れません。駿河君の場合は、「余計にややこしい」で敬遠されたかも知れませんが。

 この当時でのバス好きというのは、鉄道好きほどの市民権は無かったように覚えていますが、さらに女子の「乗り物好き」という子も珍しかったように思われます。

 さらに駿河君の真骨頂「無駄な記憶の正確さと深さ」。二人共「封印」しているところがあるようですが、そこは、また、別の講釈でお話しすることになります。

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