邂逅 2
僕への忠誠心だったのか、それとも、自分の主であるジュリアの不貞を恐ろしく思ったのか、エリーは自分が処罰を受けるとまで言い出した。
僕はしゃがみ、今にも自ら首を差しださんとするエリーを止めるために、真実を伝えた。
ずっと前から知っている上に、それを承知していること。
しかし、カインは僕が許していることを知らずに深く苦悩していること。
ジュリアと僕は共犯のような関係で、女性として愛したことはなく、二人が相思相愛であることは僕にとって安らぎを感じるほどなのだ、と、できるだけ優しい言葉で伝えた。
エリーは蒼白なまま、震えを止めて戸惑っていた。
僕は何度も言う。
これでいいんだ、僕たちはそれを受け入れて、幸せなのだ、と。
そして、君に負担を強いてしまって申し訳ない、ときちんと伝えたつもりだった。納得してはいなかったが、事情はわかってくれたと思ったし、聡い彼女は受け入れがたい事実ではあるがそれを実状として受け止めたのだと思う。
まさか、彼女がジュリアにそのことを聞いている瞬間を、僕の失脚を狙う者に聞かれてしまうなど知る由もなく、僕は一人見張り台に立ってのんきに海を見下ろしていた。
反対勢力がなにを担いでいるのかを調べている最中だった。
僕に子供はおらず、そして兄弟もいない。遠縁は全て手中にあり、僕に忠誠を誓っていたし、そうであり続けるように十分な見返りを与えていた。僕が椅子を降りたとして、次にそこに座れるような器を持つ者はいなかったはずだ。しかし、それでもここ一年ほど不穏な空気がまとわりついていた。
その正体が分かったのは、皮肉にも死の間際だったわけだが。
あっという間にジュリアが不貞を働いていることが知れ渡り、カインは潔く時が来てしまったとそれを認めた。当然僕は立場上二人を表立ってかばうことはできない。僕にできることは、知れ渡ったときには二人をともに安息の地に送る、とジュリアとしていた約束の為、なるべく穏やかな最後になるように、家臣たちを言いくるめることだった。
死を待つ古い塔の中に幽閉されて二日。
食事を抜かれ、身を清められていよいよ明日に毒で眠らせることになっていたその前夜、僕は誰にも言わずに忍び込んだ。見張りを一人残らず静かに気絶させ、かび臭い塔のドアを開けて、ジュリアとカインとエリーに逃げろと言おうとした。
言葉にできなかったのは、背後から刺されたからだ。
僕を見てほっとしたジュリアの顔が、自分のしでかしたことに恥じていても会えたことを喜ぶカインの顔が、覚悟を決めていたエリーの顔が、一様に愕然としたものに変わったのを、僕は倒れた床の上で腹が熱くなるのを感じながら見ていた。
誰かが僕の名を叫び、それに動揺したように僕を刺した男が僕のマントをはぎ取り、酷く焦って「リオ様になんて言えば」と口走ったのを聞いて、僕は、ああ、そうか、とようやく気づいたのだ。
父が外に子供を作っていたことを。
そうして僕は、彼が僕を殺してしまった証拠隠滅の為、目撃者を次々と手に掛けていく様子を動けないままに見ていることしかできなかった。身体に力が入らず、寒気がやってきて、目の前が暗くなっていくその瞬間まで、彼らに詫び続けた。
うまくやれなかった。
全ては僕のせいだ。
せめてもの懺悔に、彼らの死を見届けた。
それが、僕がしなければならない最後のことのように思えたのだ。
そうして、誰かに頼む。
そこに慈悲深い誰かがいるのなら、どうか彼らを争いのない平和なところへ連れて行って欲しい。どうか、再び出会えるように。幸せな人生を、最後まであるいていけるように。
どうか。
どうか。
○
「で、僕は死んだのさ」
僕が話をまとめて隣を見ると、佐伯樹里は顔をしかめて僕を見ていた。
「え、君の記憶と違う感じ?」
「……いいえ、全く一緒よ」
「なんだ。よかったあ。確認のしようがなくて、昔は僕の痛い妄想かも知れないと悩んだこともあったからさ。ああ、すっきりした」
「なんでそんなに脳天気に語れるのよ」
まるで恨み辛みでも聞かせるような声に、僕はからからと笑う。
「だってただの前世だもの。終わったことだよ」
「どうして」
「ん?」
「どうしてそんな風に受け止められるの」
鼻をすするような気配に、僕は得意の「見て見ぬ振り」をする。
「気に病むことはない。全ては甘い僕が招いた事態だった。だから、君はなにも悪くなかったよ。それに、僕がみたところ、君らは即死だったと思う。苦しまなかったと思ったんだけど、どうだった? そこだけは約束を守れたかな」
「……本当にあなたは」
はあーっと深いため息を吐いて、彼女は目元を拭った。
「苦しくなかったわ」
「そっか。腕のいい暗殺者で良かった」
「……もう、馬鹿馬鹿しい」
「ふふ。本当にね。言ったろ、ただの前世だって」
「あなたはその記憶で困っていることはないの」
「あるねえー、あるある」
「どんなことよ」
「小都子や啓人が、前世の僕の人となりを重ねているところかな。今の僕は煩悩だらけで、人に慕われるようなことはしていないよ。身分なんてここにはないはずなのに、ふとそれを感じると寂しくなる」
僕だって彼らに前世を重ねている。
けど、僕が彼らをフラットに見ているのに対して、小都子も啓人も、ただの高校生である僕を敬おうとする。
「仕方ないわよ」
僕の苦悩らしきものを、佐伯樹里はあっさり蹴っ飛ばした。
「あなた、自分はふつうだって言いたんでしょうけど、全くふつうじゃないから。顔は昔のまんま整ってるし、言葉の使い方が上に立つ者のそれよ。態度とか、姿勢とか、ものをみる視線とか、全くもって、ふつうじゃないわ。三十分くらいしか話していない私がそう感じるんだもの。周りの人間にとっては、あなたはなんか知らないけど高貴な雰囲気の、田舎にそぐわぬ男子高校生よ」
「ええー」
「尊大なのよ」
「そう?」
「諦めなさい」
今日小都子に言った言葉をそのまま返されて、僕は笑うことしかできなかった。
そうか、僕は尊大な男子高校生なのか。
それじゃあまあ、仕方ないのかも知れない。