密かな再会
どうして小都子でないと駄目なのか。
そんな葛藤はずっと昔に終えた。
僕が小都子を好きでたまらないのは、前世の思いを引きずっているだけで「東雲朝」として「鹿山小都子」を好きではないんじゃないか、と悩んだこともあった。
けれど、どこを好きかと考えれば考えるほど、それは晴れていった。
僕を「アーサー様」とたまに間違えて、恥ずかしそうにしているところ。
照れたときほど睨むような素振りで僕を見るところ。
黒い髪を耳にかける仕草。
意固地なところも、人を思う心も、ふと気が抜けたように笑う顔も、僕に向ける気持ち全てが恋しい、と体中が叫んでいた。
僕が小都子を思う気持ちに、前世の影響がないと言えばうそになるだろう。
けれど、あのころの僕は、エリーを憧れのような気持ちで、言ってしまえば偶像崇拝に近い感情で愛していた。恋ではなかったと思う。エリーの全てを欲しがったわけではない。ただ、僕の救いであり、希望であり、幸福を象徴する存在だった。
彼女が結婚を望めば、送り出せただろう。
せめていい嫁ぎ先を、と自ら選ぶくらいには、彼女自身だけを愛せていた。
今小都子にそんなことを言われたら、僕がどうなってしまうのか、自分でもわからない。
思えば、前世の僕はつまらないくらい理性的で、合理的で、自我を極力押さえ込んだ理想的な王だった。澄ました顔の下で小都子が欲しいと子供のように暴れている今の僕とは、似ても似つかない。
僕は恋をしているのだ。
前世の僕とは違う想いで、苛烈に。
小都子という幼なじみを独占したくて、振り向いて欲しくて、ひたすらに恋焦がれている。
○
夜の鋭く冷えた空気が、頬を刺す。
僕が散歩に行ってくる、と連絡すれば、隣の家の二階の窓の黄色いカーテンは開き、小都子が手を振ってくれた。寒いから気をつけてね、と返事が来る。
夜に散歩をする癖を、小都子はどう見ているのかは知らないが、そっとしておいてくれる。
趣味が前世と同じことに、呆れられてはいないだろうか。
丘の上にある公園は、ほとんど人が寄りつかない。
僕らの家は住宅街からは離れているし、石段を上ってまでブランコとベンチしかない小さな公園へ行く者はいないからだ。幼い頃は僕と小都子だけの秘密基地だった。
ベンチに腰掛け、待つ。
丘の上の公園と言っても、田舎の夜景なんて大層なものでもない。けれど、僕は見下ろした海が月明かりに揺れているのを見るのが好きだった。
「昔も今も、似たようなことをしているのね」
後ろから声をかけられて、僕はコートのポケットに手を突っ込んだまま前を向いて返事をする。
「唯一、一人になれる時間だったから」
「皆が寝静まった後に、一人でぶらっと使っていない見張り台に立ってたわ」
「知ってたの」
「ええ。皆知っていましたよ。あなたの思うようにさせてあげたくて、黙っていただけです」
「気を使わせたね」
「知っていらっしゃったでしょう」
知っていた。
けれど、知らないふりをするべきだったから、そうしていただけだ。
「……久しぶりね」
ベンチに回り込んできた佐伯樹里は、黒いロングコートみ身を包んで、それから思わずというように流れるような所作で僕に頭を下げた。一秒たって顔を上げ、舌打ちをする。
「ああ、駄目だわ。染み着いてる。気を抜くと口調まで戻るわ」
「そう? 淑女の礼をしなかったのだから及第点じゃないのかな」
「忌々しい」
「ふ」
僕が思わず笑うと、彼女は遠くを見るような見慣れた目で僕を見下ろした。
「変わりないわね、アーサー」
「そちらこそ、相変わらず綺麗だね、ジュリア」
嫌味が伝わったのか、彼女は思いっきり顔をしかめて隣にどかりと腰を下ろした。
「昔の名前で呼むのはやめて」
「君こそ」
「だって、私はあなたの名前を知らないもの。今の名前は何なのよ」
「朝。東雲、朝だよ」
僕の自己紹介を聞いた彼女は、鼻で笑った。
「なんだ」
浅いため息を吐く。
「そっちも似たような名前を付けられたのね」
「まあね。こっちは母も同じだよ」
「あら幸せじゃないの。いいお母様だったわ」
僕は夜の空気を吸って空を見上げる。
きらめく空が、密かに会う僕らを見下ろしている。
「今もいい母で、ちなみに父は昔は僕の叔父だった人だよ。前世の僕の父は本当は王弟である叔父だったのかも知れないね」
「……うわ、どう反応していいのかわからないこと言わないでよ」
反応からして、僕らの両親は変わらず前世と同じ人物であるらしい。
道理で似た名前を与えるはずだ。
「本当に、あなたは変わらないわね」
「そう? 僕は僕だよ。ただの東雲朝さ」
「そういう強さが、変わらないのよ。体育館にびっしり入ってる生徒の中であなたを見つけてどれだけ驚いたか。一人だけ、光ってるんだもの。ギラギラと、昔のように。どうして周りはあなたがいるのに平気そうにしているの?」
僕は笑う。
彼女も、僕が光っているように見えたらしい。
「見知った顔ばかりだろう」
「本当にここは、イヤになるくらい知った顔が多いわ……あの子も、いるのね?」
小都子のことだ。
僕は頷いた。
佐伯樹里と階段下で目があったほんの数秒の間、僕は確信した。
彼女は前世の記憶を僕と同じように持っている、と。
そしてそのことを、彼女も瞬時に感じ取っていたこともわかった。
だからわかる。
自分の記憶が正しいのか、確かめたいのだ。
「どっちから話す?」
僕が聞くと、彼女は「あなたからお願い」とあっさりと主導権を渡してきた。
臆病なところは昔と変わらない。
それにしても、懐かしい声だった。