3.悩みの種
平民ロッテに代わった貴族女性を孤独に隔離することに成功した愛人は、益々横柄な態度を取るようになった。当主の寵愛と跡取りを身籠っていることが彼女の強みとなったのだ。
結婚は隠し続けられるものではない。先代には体調が落ち着いた頃(という設定)の時期に会わせた。悪阻などなく元気に過ごしていたが妊娠の発覚から結婚の時間差を考えるといろいろ誤魔化す必要があり、更には元は平民の為貴族淑女の教育が必要だったからだ。しかし間に合う訳もない(本人に全くやる気がない)為、先代との面会では微笑ませ横に携えるのみで対応した。
そんな愛人の存在は、徐々にカミルの悩みの種となり始めた。
無邪気に歯を剥き出しにした笑顔が可愛らしく、プレゼントを渡せば何でも喜んで受け取ってくれる姿が愛らしかった。側にいられることが幸せだと言い、苛立つことなど皆無だった愛人は、妊娠すると徐々に変わり始めた。
生まれてくる子どもは伯爵家の跡取りになるのだろう?と聞かれた。平民との婚姻は出来ないため婚外子として認め育てることは出来るが跡取りにはできない、仮に貴族女性を妻に迎え養子として迎えれば出来ないこともないが、ロッテは子どもを自分の子どもとして育てることが出来なくなると話をした。それには納得がいかなかったようだ。なぜ愛する人との子どもを手放さなければならないのか、そもそも生まれてくる子どもは血筋では跡取りなのにお腹を痛めて産む女性が妻になれないのはおかしいと。ロッテを愛していたカミルは2人を側に置ける方法はないかと思案した。そこでロッテが提案したのだ。自分の身分の所為なのであれば、貴族女性の戸籍自体をもらえば良いと。カミルはそれを安易に受け入れてしまったのだ。もし先代に正直に打ち明けていれば、ロッテをどこかの貴族の養子に迎えてから婚姻を結ぶという方法もあったであろうに…。しかし今となってはそれも難しかったであろうと理解できる。ロッテは貴族教育の重要性を理解していない。貴族の責務も全くだ。地位があるから偉いというわけではない。地位があるからこそ相応の人になるための努力をしなければならないのだ。教育が理解できなかったロッテはとにかく淑女らしくなれなかった。謙虚な態度も見られない。これではパトロンも見つかるわけもない。結局は入れ替わりが最善の策といったところだろう。
ここで事件が起きる。伯爵邸で静かに暮らしていれば問題はなかったのだろうが、夫人も夜会に招待されてしまったのだ。先代が息子アードルング伯爵の結婚を触れ回ってしまったのだ。招待された夜会はそこまで重要なものではなかった為体調が芳しくないと断ろうとしていたのにあろうことか愛人は参加したいと言い出した。伯爵夫人なのだから当然だろうと。カミルは仕方なく帯同させた。とにかく傍らで微笑むだけで離れぬようにと言い聞かせて。挨拶をして回っていると、とある侯爵に捕まった。カミルが話し込んでいると傍らにいたはずの妻がいない。辺りを見回し妻を見つけたが時既に遅かった。あろうことか侯爵夫人に話しかけている。
「あちらにいらっしゃる侯爵様の夫人でらっしゃると聞きましたわ~。私もお話に入れてくださいますか?」
半端な言葉遣いに身分不相応の行為に、侯爵夫人と談笑していた婦人らは固まってしまった。慌ててやってきたカミルは低頭した。
「申し訳ございません、侯爵夫人!妻は少々マタニティブルーが続きまして邸に籠っていたものですから、徐々に外に慣らしていく予定だったのです」
妻の腕を掴み抱えながらペコペコと頭を下げるカミルに、当の伯爵夫人は踠いて何やら反論していたが、貴族淑女らしからぬ行いに、鬱では仕方ないと侯爵夫人は許してくれた。
しかしこの一部始終が噂にならないわけがない。アードルング伯爵に嫁いだユリアーネ・ベルンバッハー元伯爵令嬢の評判は地に落ちた。
以降、カミルはアードルングの信用回復に奔走することになる。
「何でそんな辛気臭い顔をしているの?貴方の美しい顔が好きなのに」
「むっ!誰の所為だと思ってるんだ!何を仕出かしたかわからないのか!?」
「え?仕出かすって何よ」
「君はアードルング伯爵夫人なんだ。アードルングの顔に泥を塗ったんだよ!先代が積み上げてきた歴史に!貴族教育を受けるよう言っただろう?伯爵夫人だと言うならば淑女らしく振る舞え」
「なに、その言い方。貴方がそのままの君で良いって言ったんじゃないの!私は平民であって貴族じゃないわよ」
「都合の良いように平民に戻るな!だったら、伯爵夫人を名乗るな。夜会に出るということは伯爵夫人として振る舞わなければならないんだ。君のままで良いと言ったのは、妻としてこの邸にいるだけならばということだ。先代夫妻の前でさえ振る舞いに制限をかけた理由がわからないのか?」
「貴方が私を妻にしたんじゃないの。意味わかんない。外に出なきゃ良いんでしょ~。わたし、今の貴方好きじゃないわ~」
部屋から出ていった妻の背中を見送ると、カミルは大きな溜め息をついた。
ただの妻と貴族としての伯爵夫人では求められる事が違う。カミルはあまりにも物事を簡単に考えていた。なぜ愛しているというだけで結婚出来ないのか、貴族には政略結婚が多いこと、そして身分や家格の釣り合いをなぜ重要視するのかを身をもって学んだのだ。そして権力というものは人を変えるということ。平民だった愛人は貴族女性と入れ替わり伯爵夫人になったことで傲慢になった。自分が偉くなったと勘違いしている。
(なんてことだろう。あんなに愛らしかった無邪気な笑顔は今では下品とさえ思える)
カミルは両手で頭を抱えた。
◇◇◇
一方この頃、ロッテとして離れで生活していた彼女は一人暮らしを満喫していた。予想に反して、1日1回の従者の往来は続いていた。
(これはきちんと守っていただけてるわね)
物資が届かないことを想定し、念のため野菜の苗や種を植えて菜園を始めていたのだが、生活するためというよりは趣味で済むことになった。
(意外と楽しめてるのよね)
伯爵令嬢とは思えないほど日に焼け、手が荒れている。それでもとても充実した日々だった。
(こうやって生きているだけでも幸せな事よね。…あの人は今どうしているかしら?無事かしら?こんな形で嫁ぐことになるとは思わなかったけれど、もし、違う未来があったならば、私は彼の横に居たかったわ)
現実を淡々と受け入れ前向きに生きている彼女にも実は想い人がいたのだ。とはいえ、その彼とも結ばれる事が出来たかはわからない。
(戸籍上誰かのものになっていても、この身はまっさらで貞操を守れたことはせめてもの救いね。私の心はこれからもあの人に…)
想いを馳せた後、この日は手芸に励んだ。持ち込んだドレスも綻びをみせ始めたのだ。
(もう少し動きやすいお仕着せのような衣装もあれば良かったわ。というよりは、お仕着せだけで十分ね)
ドレスは綺麗に仕立て直し、お仕着せを数着差し入れて貰えるよう依頼した。
なぜか別邸とはいえ立派な佇まいをしている。愛人1人を住まわせる為のものだったのに、部屋は4つと応接室、ダイニング、キッチン、バスルーム、書庫が存在し、庭もそこそこ広い。彼女はキッチンとバスルームを毎日、部屋は日替りで掃除をした。
(私がこんなことをしているなんて、きっとみんな驚くわね)
ある日、庭に猫が迷い込んでいるのを見つけた。
「あら、猫だわ。どうしましょう。首輪もないし、足を怪我してるわね。とりあえず保護しましょう」
1人寂しく過ごす生活の中、久しぶりの温もりは彼女の心を満たした。
「私が飼っても良いかしら?この子は雄かしら?雌かしら?」
おそらく雌であろうということで、モニカと名付け迎え入れることにした。
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