令嬢は巻き爪が痛すぎて困っている。
※巻き爪の描写があります。
「メリリアーナ・フラガリア・アナナッサ伯爵令嬢! お前との婚約を破棄し、新たにこの心が清らかなリリス・シトラスとの婚約を結ぼう!」
「ちっ……………あっ、私のお父様に言ってください。では、失礼します」
条件反射のようにメリリアーナは舌打ちをした後、口を抑えた。
そして何もなかったという顔をして自分の婚約者にそう言い捨てて場を去った。
「ま、まてっ」
自分の元婚約者が何か言ってるが誰が待つだろうか。
巻き爪が痛い。
婚約破棄とかそういう場合ではない。
いや、王宮での夜会の他の貴族が居る前で婚約破棄を言い出す婚約者は正しくイカれている。
けれど、そんなことがどうでもよくなるくらいメリリアーナは苛立ち、焦り、やるせない気持ちだった。
巻き爪が痛いのだ。
メリリアーナは夜会会場の中心から外れ、静かな廊下を抜け、奥まったバルコニーに出た。
夜の冷たい外気が頬を気持ちよくなでる。
ここなら誰も来なそうだ、とメリリアーナは短く安堵のため息をついた。
貴族令嬢としては、はしたないけれど我慢できずにハイヒールの靴を脱ぐ。
両方の親指の爪が仲良く巻き爪になって、片方はまたちょっと化膿していた。
患部が少しストッキングに張り付いている。
爪が指に食い込んで痛い。
頭痛や腹痛と違ってずっと痛い。
ドレスの隠しに入れていた小瓶からポーションと痛み止めが混ざったものを飲んだ。
医者が調合したものだけれど、指の末端だからなのかなんなのか痛み止めが効きにくい。
メリリアーナの指はやっぱり痛かった。
「もうやだ……。どうしたらいいの」
メリリアーナはぽつりと思わず呟いた。
やるせなさに涙も少し滲む。
そんなこんなで巻き爪に集中していたから、自分に近づく人影にメリリアーナは気付かなかった。
「あの……、失礼します。大丈夫ですか? もしかして……」
「えっ……」
メリリアーナが顔を上げると心配そうな顔をした、あまり顔に見覚えのない令息が居た。
ーーー
メリリアーナ・フラガリア・アナナッサ伯爵令嬢は、アナナッサ伯爵家の跡取りだ。
15歳になって社交デビューしてから1年がたつ。
跡取りの子供の常で小さいころから領地経営を学んできて、小さいころから釣り合う家柄の決められた婚約者がいた。
だから社交界では他の貴族令嬢のようによさげな貴族令息を探す必要もなく、決められた婚約者のエスコートで人脈を広げることが主な目的だった。
しかし、小さいころからの婚約者はそうではなかったようだ。
同年齢で同じく婚約者は決まっているのだから、他の貴族令嬢に目を付ける必要はないのに社交デビューした途端、あちこちふらふらと遊び始めた。
挙句の果てが、この度婚約破棄となってしまった。
もちろんこんな事態に陥る前に、メリリアーナの父親はメリリアーナに警告していた。
「アナナッサ家の跡取りたるもの、将来は領地を治め、人心を掌握するのだから、男の一人や二人や三人操れなくてどうする?」
と。
メリリアーナも父親の言いたいことは分かっていた。
しかし、男の一人や二人操れない事情がメリリアーナを苦しめていたのだ。
それは社交デビューと共に、貴族でとしては公式の場に出るための必須の装備が原因だった。
先の尖ったハイヒールだ。
先の尖った踵の高い靴は、メリリアーナの足先を歩くたびにギュッと圧迫し痛かった。
どんな良い靴屋にオーダーしても、最新の流行の尖った靴のデザインでメリリアーナの足の指先が変な風に丸まる。
特に親指が酷かった。
爪が押されて完全に指に爪が刺さっていた。
しかも爪はそのまま伸びる。
更にいけなかったのは、その刺さった爪が痛くて無理にメリリアーナは刺さっている爪の部分を切ってしまったのだ。
結果、さらに爪が丸まってもっと根元の方から指に刺さり、指を傷つけることとなった。
なんなら、消毒しても化膿している状態となる。
メリリアーナはようやくそこで家に医者を呼んだ。
しかし、医者は巻き爪の対処は慣れていなかったらしい。
治癒魔法を唱えた後、ワイヤーで爪に穴をあけて丸まらないように引っ張る方法を取った。
すぐその時だけは楽になる。
だが、慣れていない為なのかワイヤーがすぐに爪から外れた。
何度も爪に穴をあけて失敗し、爪がさらにボロボロになり丸まり分厚く固まって事態が更に酷くなった。
医者からは、諦めてポーションと痛み止めを調合してもらうだけに留めた。
医者からさらに勧められた治療としては、両足の親指を切断して、部位欠損を治すエリクサーを飲む事だった。
メリリアーナはその治療はさすがに怖くてできなかった。
それにエリクサーは高額だ。買えないわけではないけれど少しためらう。
それに根本的な対策を考えないと、またハイヒールを履いたら元の木阿弥だろう。
そんなわけで言い訳かもしれないが、メリリアーナはずっと巻き爪の痛みに苦しめられ続けていて、スムーズにコミュニケーションができないでいた。
メリリアーナとて、巻き爪が起こるまでは美しく朗らかで聡明な令嬢と称えられていた。
それが痛みで表情は硬くなるし、姿勢もよくない、常に意識のどこかに巻き爪の痛みがあってうまい言葉選びもできない。
そんな状況では婚約者をうまく操るという事もできなかった。
前から近かったわけでもないが、婚約者の心が徐々に離れていくのを感じていた。
幸い屋敷内では、ヒールがなく比較的足の指周りに余裕のある履物でいるために、なんとか跡継ぎになるための勉強や父親の執務の一部代行はできていた。
もちろんメリリアーナはこのままで良いとは思っていなかった。
『やっぱり指切断後にエリクサーしかないのかしら……』
そんな風にメリリアーナが一人で思い詰めている矢先の出来事だった。
冒頭のように夜会にて皆の前で婚約破棄を宣言されたのだ。
ーーー
「あの……、失礼します。大丈夫ですか? もしかして……」
「えっ……」
そして逃げ込んだバルコニーにて、見慣れない貴族令息に声をかけられた。
メリリアーナはとっさに持っていたストールを足先にかける。
「ごめんなさい、はしたない所をお見せして」
メリリアーナは恥ずかしさに頬を染める。
「あ、勝手にご令嬢の足を見てすみません。もしや……と思いまして。初めまして。名乗るのが遅れました。僕はレーロッタ辺境伯の次男でライルズ・ルナ・レーロッタです」
「初めまして。私はアナナッサ伯爵家のメリリアーナ・フラガリア・アナナッサです。申し訳ありません。足を痛めて休んでおりましたの」
ずきずきと痛む指に耐えながらメリリアーナは微笑んで見せた。
高い魔力と武力で国境を守る有名なレーロッタ家だ。愛想よく接しておくに越したことはないだろう。
レーロッタ辺境伯令息は、銀髪に水色の目の、男にそう形容していいのかは分からないが清楚で慎ましやかな美貌の男だった。
茶色の目に茶色の髪の貴族としては平均的な顔のメリリアーナは少しコンプレックスを刺激された。
もっとも、巻き爪で弱っているからそんな思考になるだけなのかもしれないが。
「あ、あの違っていたらすみません。チラッと見えただけなのですが……」
「はい」
「……もしかしてそれは巻き爪では?」
「少し見ただけで分かるものなのですか?」
メリリアーナは医者もあまり治療に慣れていなかった巻き爪を、一目見ただけの辺境伯令息がすぐに言い当てた事に驚いた。
遠慮がちなレーロッタ辺境伯令息の視線がメリリアーナに向けられる。
「とても痛いでしょう? 実は僕の姉がきついブーツの履きすぎで同じような状況になったことがありまして。それで思わず声をかけた次第なのです。あの、それで間に合っていたり、差し出がましいと感じたら申し訳ないのですが、僕は金属よりの土魔法と水魔法を使えまして、あの、それで巻き爪を改善する方法を考えて、姉も良くなったので、アナナッサ伯爵令嬢もいかがでしょうか? その令嬢の素足を見るのはマナー違反だとは……」
「喜んでお願いしたいです、レーロッタ卿」
食い気味でメリリアーナはレーロッタ辺境伯令息の言葉に言葉を被せた。
辺境伯令息にしてはちょっと頼りない言葉が続いたような気もするけれど、内容としてはメリリアーナにとって飛びつきたい内容だった。
そんなうまい話があっていいのかというようなものだ。
「分かりました。すぐ行いましょうか」
しかし、レーロッタ辺境伯令息は力強く頷いてくれた。
メリリアーナは弱い火魔法を発動して(メリリアーナの使える魔法は火魔法だけだ)、自分の足元を照らした。
巻き爪を治療してくれるという事は、医療行為だ。
恥ずかしがってもしょうがない。
メリリアーナはガバッとストールをとった。
メリリアーナの白魚のような華奢な足が露になり、無残な巻き爪がレーロッタ辺境伯令息に晒される。
レーロッタ辺境伯令息は真剣な表情でメリリアーナの足元に屈んだ。
はたから見ると二人の様子はなんだか倒錯的な光景に見えなくもなかったが、真剣な二人に突っ込むものは誰もいなかった。
「まず、水魔法で患部を浄化します。化膿や炎症を起こしているものを取り除いて清浄な状態にするのが先です。そして部分的に適度に冷やします」
レーロッタ辺境伯令息は一つ一つ説明しながら丁寧に対処をしてくれる。
レーロッタ辺境伯令息の水魔法が、メリリアーナの足を綺麗に洗い流し浄化していく。
それだけでもメリリアーナは楽になった気がしていた。
「そして金属と土魔法を組み合わせたもので親指の爪を全体的にカバーして引っ張ります」
「っ……」
そこは繊細な操作なのかレーロッタ辺境伯令息は患部に手をかざして、若干額に汗をかいた。
真剣すぎる表情でメリリアーナも、指先がくすぐったいような気がするが声を出さないように息を詰める。
ややあって、親指の指先から爪の圧力が和らいだ。
「わぁ……」
その久しぶりの解放感にメリリアーナは声を上げた。
指先から化膿した様子も消えている。
キラキラと光る金属と魔力で親指の爪がコーティングされていた。
「しばらく水の浄化と土と金属魔法が持続するように魔力を込めておきました。これで大丈夫だと思います。指先にクッション性も持たせたので靴を履いても大丈夫ですよ」
レーロッタ辺境伯令息の言葉に、メリリアーナは恐る恐る靴に足を入れたが、痛くなかった。
正確にはまだちょっと違和感はあるが、ずっと痛すぎたさっきまでに比べたら全然耐えられるレベルだ。
信じられない。
メリリアーナはレーロッタ辺境伯令息に後光が差して見えた。
「ありがとうございますっ。どうお礼をしたら良いのか。何でも仰ってください」
メリリアーナは久しぶりに心からの笑顔で、レーロッタ辺境伯令息にお礼を言う。
何でも、という言葉は貴族らしくなかったがメリリアーナは本当にレーロッタ辺境伯令息になら何でもしていいと思った。
「いえ、その、僕も美しい令嬢が困っている様子なのを助けたかった……というのも、あの、あるので」
レーロッタ辺境伯令息は頬を染めてはにかんだ。
メリリアーナはそんなレーロッタ辺境伯令息の様子に、婚約破棄を言われたとはいえまだ婚約者がいる身でときめいてしまった。
いけない、私。
メリリアーナは少し首を振って思いを振り切る。
その後、メリリアーナとレーロッタ辺境伯令息は初対面の貴族としては無難な会話を交わした後にその場で別れた。
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メリリアーナが家に帰ると、婚約者からは婚約解消の書簡が届いていて父親からは少し叱られた。
しかし、父親もメリリアーナから婚約者に婚約破棄を一方的に宣言された時の様子を聞くと、
「もちろんあちらが有責で慰謝料をもらわなくては!」
と怒りを見せていた。
元婚約者はメリリアーナの父親にこてんぱてんに金も地位も何もかもむしられていた。
もちろん、元婚約者有責での婚約破棄になった。
メリリアーナとは言えば、それからの日々は巻き爪で苦しんだ日々が嘘のように快適だった。
レーロッタ辺境伯令息には家の方にお礼状とお礼の品物を贈らせてもらった。
もっともそれで巻き爪の治療をしてくれた事に報いているとはメリリアーナも思ってない。
何か力になれることがあれば協力したいと申し出た。
レーロッタ辺境伯令息は、
『それならまた夜会でお会いした際には一曲踊ってください』
との控えめな申し出があった。
メリリアーナはそんなレーロッタ辺境伯令息の申し出にも心がときめいてしまうのであった。
それからは頻繁に二人の間で手紙のやりとりがあり、時々はわざわざレーロッタ辺境伯令息が訪ねてきて、メリリアーナの足の指に巻き爪予防の追加の魔法をかけてくれた。
メリリアーナの父親とは言えば、我が子が交流し始めた辺境伯令息の方がメリットが大きいと思ったのか、二人のやりとりにノリノリで賛成だった。
「さすが次期伯爵メリリアーナよ。人心掌握に長けているな!」
といい加減な事を言うのであった。
ーーー
そして、手紙で示し合わせた王宮で開催される夜会で、メリリアーナとレーロッタ辺境伯令息はまた顔を合わせた。
メリリアーナは優雅な微笑みを浮かべ背筋をきちんと伸ばして、レーロッタ辺境伯令息に向かい合う。
レーロッタ辺境伯令息は、そんな最初に会った時とは見違えたようなメリリアーナを、眩しいものを見るような目で見た。
「一曲踊っていただけますか? メリリアーナ嬢」
「喜んで。ライルズ様」
お互い名前で呼び合い、優雅にダンスを踊る。
巻き爪が解消されたメリリアーナのダンスのステップは驚くほど軽やかだった。
そしてダンスが終わると、ライルズが水魔法にて解けない氷の花を作り、メリリアーナに差し出して跪いた。
「僕と結婚してください、メリリアーナ」
「はい」
メリリアーナは笑顔で頷いた。
とても晴れやかな清々しい笑顔だった。
巻き爪が痛かった経験から書きました。
本当に巻き爪は痛いです。
読んで下さってありがとうございました。
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