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 朝食時「セレナ・ラングウィンは新妻である。多分」と彼女は自虐的な台詞を心の中で呟いた。

 視線を落として左手薬指の細い白銀の指輪を眺める。結婚していると心の中で呟き、ため息をつく。

 結婚して早1ヶ月。新妻セレナと夫ルイスの交流はほとんどない。なにせ起床就寝の挨拶や業務連絡の会話ばかりの新婚生活だ。

 今朝もルイスは「いただきます」以降、黙々と食事をしている。ダイニングテーブルに向かい合って座るのに談笑したことは一度も無い。


(美味しいよセレナとか、毎朝ありがとうセレナとかないわけ?)


 スープを口に運びながら、セレナは心の中で毒を吐いた。名前を呼ばれたのは初日の夜だけ。セレナの不満は頂点に達している。


「ごちそうさまでした」


 スープ、サラダ、焼き立てパンを全て平らげたルイスが食器を持って立ち上がる。それでシンクで洗い物を始めた。

 セレナは少々悩んでから彼へ声を掛けた。


「ルイスさん、毎日で疲れたので今日の昼食は外食でも良いです? 友人が営んでいるレストラン、今月からメニューが変わったそうで行きたくて」


 飲みかけのスープをそのままにして、セレナは立ち上がった。ルイスの隣に移動して顔を覗き込む。ついでに彼の腕にそっと触れる。彼はほぼ無表情。ただ、目は丸くしている。


「ええ、もちろんです。どうぞ」


 どうぞ、という返事にセレナは顔をしかめた。


「昼時に用事があって出掛けるので良かったです。丁度昼食は要らないと伝えようと思っていて」

(……。あれ? タイミング最悪? どうぞって、1人で行けってことよね)


 洗い物を終えたルイスは会釈をしてミニキッチンから退室した。


(そうか。毎日だと疲れるのか。たまには外食どうぞって言うべきなんだな。美味しいし、毎食メニューが違うから楽しみだったけど……そうか……)


 ガシガシ髪を掻きながらルイスは作業場へと向かった。落胆で自然と背中が丸まる。

 彼に「妻と一緒に外食」という選択肢は無い。なにせ「初夜で嫌われた」と思い込んでいる。そしてそれを改善することもせず「嫌いな男とは接したくないよな」と何もせずに諦めモード。

 新妻の食事の美味しさに、いやそもそも自分の生活に可愛い妻がいるということに夢見心地で他の行動、つまり「毎日毎日美味しくて幸せだ」とか「ありがとう」とか「君が可愛いすぎて生活が鮮やかだ」など声を出す機能は完全ストップ。

 この国の多くの男性は少々大袈裟なくらい女性を褒める文化なのに。

 まったくもってダメな男、夫である。しかし、彼は単に思考停止して妻から離れていようと思っている訳ではない。


(しかしタイミングが良かった。今日は作業を従業員に任せてオペラのチケットを手に入れたかった。昼食直後から並ぼうと思っていたが今すぐ並びに行こう)


 ルイスの計画はこうである。これまで家族のため、特に弟の為にせっせと貯金してきた。たまには——可愛くて働き者で料理上手以下略の妻の為なら——贅沢をしても良いだろう。

 今日午後2時から、ラディアン大通りにある歌劇劇場「サンタマリアンヌ」で来週から始まる新作オペラチケット販売が行われる。

 家族全員分のチケットを買って「知人から結婚祝いでもらった」と誘えば、家族同席のデートが出来る。

 自分が作って送ったワンピースを着てくれるかもしれない。勇気を出して褒めたら何か感想が聞ける。

 しかとエスコート出来たら、オペラが楽しければ、嫌悪感を減らす事が出来るかもしれない。

 こうしてルイスは店を出て、サンタマリンヌ歌劇劇場のチケット売り場へ、鞄と簡易の椅子を持って向かった。

 

(既に予想よりも多い人が並んでいるな。良かった、朝から並ぶことにして)


 先頭から数えて30数名の位置にルイスは陣取った。初夏。朝でも日差しは中々キツい。

 サンタマリアンヌ歌劇劇場のチケット売り場はラディアン大通りの噴水広場にある。絶妙に日陰にならない位置だ。

 ルイスは簡易椅子に腰掛け、鞄からスケッチブックと鉛筆を取り出して黙々と絵を描き始めた。

 服、バッグ、靴、髪飾りに靴下。最近、ルイスは新作デザインを描きまくっている。

 次々に店頭に並べ、そのうち妻セレナが「あら、私も着てみたい服だわ」とか「これは素敵だからルイスさんに作ってもらおうかしら」なんて言ってくれないかと夢見ている。

「君に似合うと思うデザインを考えたんだ。どう?」と話しかけるのが1番効果的なのに、そういう台詞は思いつかない実に残念な男である。

 こういう性格だからルイスは気になる女性がいても空回りして、すぐ諦め、その結果親しくなれず、結婚どころか恋人も作れなかった。


 さて、その頃セレナは夫ルイスが「昼時から用事」と言っていたのに朝から出掛けたので不審がっていた。


「旦那様なら珍しく休むみたいですよ。聞いてないですか?」とは作業員、縫製係のビビ談。白髪混じりの髪をまとめながら、ビビは首を捻った。


「奥様は午後お得意様のところでしたっけ? 午前だけでも一緒に休まなくて良いのですか?」

「え、ええ。頼まれている帽子の最終チェックや包装があるの」


 仕事は探せばいくらでもある。逆に休もうと思えば休める。セレナはビビに笑顔で感謝を告げてから、個室作業場へ足早に移動した。

 入室した途端、セレナは眉間にシワを作り、イライラしながら腕を組んだ。


(昼から用事なのに朝からどこへ行ったの? 今日は休むつもりだった。時間を合わせるから一緒にそのレストランへ行こうって……)


 言えば良かった、とセレナは腕組みをやめて自分の靴の爪先へ視線を落とした。


「一緒に行きません? ああ、今日は用事があって。今月からメニューが変わったならすぐには変わらない。別の日に行かないか?」


 作りかけの帽子が山積みの部屋の中で、セレナは机へ向かい、椅子に腰掛けて頬杖をついた。


「そんなこと言うわけないか。ルイスさんは私に興味がないんだもの」


 自虐的に笑った瞬間、セレナの空色の瞳から涙がこぼれ落ちた。


「あの人、何のために私と結婚したのかしら? 後継ぎが欲しいなら手を出すだろうし……。収入を増やすため? 多分そうよね……」


 セレナと結婚したことによって、ルイスが営むジュベール服屋はオーダーメイドの顧客を手にした。セレナが帽子を売っていた相手に、ルイス——実際にはターニャ——が服もオーダーしないかと売り込んで評判が良いからだ。

 趣味が仕事のルイスは個人的にオーダーメイドの仕事を増やしたかったのだろう。

 デザインから縫製、包装まで全て自身で担っているのは楽しいかやりがいを感じているからに違いない。


「私と同じで仕事が大好きなのね。悪くないけど悪いわよ!」


 結婚して1ヶ月にして、セレナはルイスの目的が仕事だったと結論づけた。

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