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眩しい、とセレナがまぶたを開いた時に、真っ先に目に飛び込んできたのは、薄いレモンイエロー。
カーテンレールにハンガーで引っ掛けられているワンピース。腰より下には白いレース糸で編まれた大柄のマーガレットが並んでいる。
シュミーズと一体化しているのか、既に重ね着させてあるのか、白とレモンイエローが半々。日常使いには派手だが、他所行き用の服として使えば派手過ぎない。
(私に? もしかしてルイスさんから?)
セレナはドキドキする胸を両手で抑えながらベッドから降りて立ち上がり、ワンピースに近寄ろうとして、足がスースーすると足を止めた。
部屋を見渡して気がつく。自分が眠っていたのはルイスのベッドだ。彼はもういない。
それでセレナのベッドの布団カバーやシーツが剥がされていて、ベッドが綺麗に整えられている。
それに、カーテンの向こうから注がれる日の光がやけに明るい。
(今は何時? 脱がされた服とかはどこ?)
セレナは少しばかり途方に暮れたが、色々な疑問よりもワンピースへの興味の方が強かった。
(着ても良いのかしら?)
おずおずとワンピースへ腕を伸ばし、手を止める。
(こんなに素敵なワンピースはお出掛け用にするべきね)
セレナは両手でそっとワンピースに触れ、背伸びをしてハンガーへ右手を伸ばした。
しかし、カーテンレールは高くて手が届かない。セレナは台にしようと椅子へ近寄った。それで、机の上に昨夜ルイスの机上に置いた花瓶があるのと、封筒の存在に気がつく。
(セレナへ?)
封筒を手に取り、裏返す。無記名だ。机の引き出しからハサミを出して、封筒を開ける。
【ワンピースは貴女の友人達からの結婚祝いです。驚かせて欲しいと預かり、部屋に飾りました。ルイス】
文字を目で追い終わると、セレナはぼんやりとワンピースを見つめた。
(皆からのお祝い……。嬉しいけど、そっか。ルイスさんからではないのね……)
セレナはワンピースから花瓶へと目線を移動させた。飾られている黄色とオレンジ、それから白を基調とした花々のうち、小さめの白いマーガレットを2本手に取る。
(ふふっ。花束だけで十分なのに、私って欲張りね)
マーガレットを抱きしめて、セレナはベットに腰掛けた。
(良かった。優しい人で。それに……)
どうやら自分は夫に恋をしたようだ、とセレナは更にマーガレットをギュッと強く握りしめた。
(どんな顔でおはようございますって言えば良いのかしら)
足をパタパタ動かしながら、シミュレーション。
笑顔で挨拶をすれば、きっと昨夜と同じ優しい声で「おはよう」と返してくれる。それで、笑ってくれるに違いない。
セレナはドキドキ高揚する気持ちを深呼吸で抑え、マーガレットを花瓶へ戻し、着替えた。
そして、途中で気がつく。
(朝食に洗濯!)
妻としての最初の仕事は朝食作り。義父になったジュベールが離れで二人で暮らすと良い、と知人の大工に頼んで離れにミニキッチンを注文して増設してくれた。
入籍したら離れがセレナとルイスの夫婦の主な生活場。洗濯や風呂が一緒でも、食事と就寝は別々。それが1ヶ月間の同居時、お客様扱いだった時とは違う新しいジュベール服屋での生活。
着替え終わったセレナがミニキッチンへ行くと、ダイニングテーブルにパンと冷めたスープ、それにサラダが用意されていた。
慌てて確認すると、洗濯も終わっている。義母にすみませんと謝ると「何のことだい?」という返事。
洗濯を任せてしまったことだと告げると、洗濯をしたのはルイスだと判明。セレナは少し悩み、食事を済ませてからルイスを探すことにした。
(素朴な味のスープ。お義母さんの味付けとはかなり違うのね。なんだかルイスさんらしい)
食事をしながら、セレナはご機嫌。気を利かせて起こさないでくれていて、食事を用意し、洗濯までしてくれた。
(とっても優しい人で良かったわ。惰性で結婚したのに好きになれて、おまけにうんと優しいなんて私は世界一幸せ者かも)
ニヤケながらパンを頬張る。セレナは逆もそう思って欲しいと、今日何をするべきかあれこれと考えた。
感謝して褒め、昼食と夕食で自慢の腕を披露し、夜は昨夜の疲れを労うマッサージなんてどうかなど。
朝食後、洗い物を済ませましたセレナはルイスを探した。彼は作業場でパターンを引いていた。結婚式の翌日は作業場の方も店舗の方も臨時休業。なので、他には誰もいない。
出入り口にいるセレナからはルイスの後ろ姿しか見えない。そのピシッと伸ばしたまま腰を折ったというような背中に、セレナはおずおずと挨拶の言葉を投げた。
「あの、おはようございます」
ルイスは振り返り、目を細め、眉間にシワを作った。
(どうしましょう、怒ってる……)
(ワンピース、気に入らなかったのか……)
不安げな眼差しの新妻に、ルイスは小さなため息を吐いた。
友人からの結婚祝いとは嘘も方便。実際は、可愛い婚約者の顔を思い浮かべてデザインして作り上げた一点物。友人からなら偏見のない感想を聞けると嘘をついたのだ。
ルイスはセレナが普段着なので落胆を隠せなかった。
(昨夜、嫌がるのに強要したからやはり嫌われた……。泣いていたもんな……)
強い罪悪感でルイスはセレナの顔が見れず、背中を向けた。手を動かし、仕事のフリ。本日何枚目かの新作の服のパターンを引く続きをする。
「昨日は疲れたと思うので、ゆっくり過ごすと良いでしょう」
自分が作ったワンピースを着ていてくれたら、歩み寄ってくれる気持ちがあるかもしれないと勇気を出せた。
「素敵な結婚祝いですね。よくお似合いです。よければ出掛けませんか?」という台詞を眠れない夜から今の今まで、心の中で延々と練習していたのに、セレナがワンピースを着なかったので使えず。
母親や年配の従業員の女性以外との接触回数が少ないチキンハートのルイスに、その場その場で気の利いた台詞を言えるような甲斐性はない。
一言「今日は休みですし疲れがなければ散歩しませんか?」で済むのに。
「朝食や洗濯、ありがとうございました。今からはしっかり働きますのですみません」
「いえ別に。元々していたことなので」
休んで大丈夫ですという気遣いから出た言葉だったのだが、ルイスのこの返答はセレナには「期待していません」という嫌味のようだと感じさせた。
ルイスの淡々とした抑揚の無い声のせいで余計に。
「そうですか」
カチン、ときたセレナは作業場から退室。
(何よ! 昨夜はあんなに優しかったのに⁈ あれよあれ。男はそういうことをする時だけ優しくするってミーシェが言っていたあれよ!)
傷ついたせいで余計に怒りは強い。セレナはプンプン怒りながら、母屋で食材を入手しつつ離れへと戻った。ミニキッチンでエプロンをして腕を組む。
「料理は得意よ。自分の淡白な朝食とは違うって驚かせてやるわ」
このセレナの気合は空回りする。
張り切ってパンを焼き、サラダとエビグラタンとパンプキンスープを作り終わってルイスを呼びに行ったのにルイスは不在。
母屋のリビングで読書をしていたジュベールに「息子なら釣りに出掛けた」と告げられて落胆しつつ苛立った。
(出掛けてきますとか、昼食はいりませんとか無いわけ! せっかく作ったのに……)
セレナは1人でエビグラタンをがつがつ頬張って口の中を少々火傷。
一方、ルイスは昼食前に釣りから帰って「釣ってきた魚を夕食に」と話しかけるつもりが海辺の林で椅子に座って夜まで爆睡。
「お昼ご飯は何ですか?」で話しかけるキッカケになるのに、それを思い付かずにわざわざ釣りに行く残念な男である。
おまけに寝てしまって手から離れた釣竿は海のかなたへ流れていった。つまり魚は0匹。
何せルイスは一晩中セレナの寝顔が可愛いとか、もう一回とか、世界で一番幸せだとかセレナを抱きしめつつ顔を眺めて眠らなかったからだ。
帰宅したルイスを待っていたのは焼き直して食べた、絶品でほっぺたが落ちると思ったエビグラタン、濃厚なパンプキンスープ、口直しになるサッパリしたサラダ。
しかし、褒めるべきセレナは既にふて寝。
(愛らしくて働き者で、やり手の商売上手な上に料理まで素晴らしいとは、そりゃあ俺になんて興味ないよな……。いや興味は多少あったはず。そうでなきゃさすがに結婚しない。泣かせたからか……)
ますます自信を失くしたルイスに、既に眠っている妻を起こして料理の腕を褒めたり、ましてやがっついて襲うなんて度胸はあるはずもなく。
こうして、メディウム通りのジュベール服屋に新婚早々すれ違う、1ヶ月間挨拶しか会話しない夫婦が誕生した。