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 セレナがブラウスとスカート姿に着替え終わったまさにその時ドアが開いた。


「誤解と聞こえたので花瓶に……」


 ドアを開けたルイスが目を丸くして固まる。ドアを閉め、片手に持つ花瓶を両手で持ち、何度か瞬き。それからルイスは眉間に皺を作った。


「どちらへ?」

「まあ、素敵な色合いの花瓶ですね。ありがとうございます。誤解と口にしたのが聞こえていて良かったです。探しに行こうと思っていました」


 セレナが近寄ろうとすると、ルイスはますます険しい表情になった。酔いで赤い肌が赤黒く変化していく。

 陶器製の白い花瓶と生けられた花で笑顔になっていたセレナの顔が曇る。彼女は数歩前へ動かした足を止めた。


「あの……」


 戸惑うセレナを無視するように、ルイスは無言で顔を背け、花瓶を彼用のベッドサイドにある机の上へ置いた。次は近くのミニタンス上にあるスタンド式の光苔ランプにカバーをかける。

 その後、ルイスは俯きながらセレナの方へ移動。

 返事がない上に、空気が重苦しいので、セレナは視線を彷徨わせ、両手を胸の前で握りしめて下を向いた。


「女性は夜ふけに外へ出るべきではありません」

 

 ルイスは淡々としながらも、僅かに怒りが滲んでいるような声で告げ、セレナの横を通り過ぎ、もう一つのスタンド式光苔ランプにカバーをかけた。

 カーテンが閉められた部屋が真っ暗になる。カーテン越しの月明かりだけが部屋と2人を微かに照らす。

 セレナの視線は床からルイスの背中へ移動。普段の快活さはすっかり鳴りを潜めた彼女の手は、おずおずとルイスの背中へ伸びた。


「夜道も歩き慣れています」

 

 振り向いたルイスの体に、セレナの指が軽く擦れた。彼女が(あっ……)と思った瞬間には、その小さな体はルイスの腕の中。

 セレナが何か感想を抱く前に、彼女はルイスの大きな両手で頬を包まれて唇を塞がれた。

 そのキスは、唇に唇をそっと優しく押し付けるようなもの。あまりにも突然だったキスに彼女は目を開けたまま停止。

 まるで前触れのない土砂降りのように、幾度とないキスが始まった。

 ルイスが顔の向きを変えながらキスをするたびに、キスをする音が静寂な部屋に響き、鼻と鼻が擦れ合う。


 唇が離れ、耳元に顔を寄せられた時


「セレナ……」


 低いが穏やかな声で名を呼ばれた。


(名前……。初めて呼ばれた……)

 

 頭に彼の手が触れたので、セレナはますます体を強張らせた。胸の前で手を合わせて手を握り締める。

 ルイスの大きな手がセレナの頭を優しく撫でた。そうっと頬にキスをされ、頭をヨシヨシと撫でられ続ける。


「セレナ……」


 耳元で甘い響きの声で囁かれ、セレナはおずおずと目を開いた。

 暗闇のせいでルイスの表情は見えない。しかし手はそっと頭を撫で続けてくれている。実に優しい、気遣いに溢れた動きだ。

 セレナはおずおずとルイスの背中に腕を回し、腕に少し力を入れた。


(変なの……。心臓がこんなに煩いのに……、息も苦しいのに……。妙に冷静な気がする……)


 ぎゅっと抱きしめられる。

 彼女はこの胸の高鳴りを以前にも知っていた。父の手伝いで出入りしていた貴族の屋敷で働いていた若い庭師の顔が脳裏に過ぎる。しかし、顔立ちも輪郭もすでに曖昧。


『今度出掛けませんか? 2人で。ぜひ2人で』


 懐かしい初恋。あの遠い日、デートに誘われた時の幸福感とよく似たトキメキ。

 父の急逝で叶わなかった約束。挨拶やたわいもない短い雑談しかしていない。

 けれども真摯な瞳で庭の手入れをする彼の横顔が大好きだった。それなのにその顔がボヤけている。

 まぶたの裏に映るのは、服飾作りに没頭するルイスの横顔や、先程自分の名前を呼んだルイスの真摯な表情。

 耳の奥で燻るのは甘ったるくて優しいルイスの声。


『セレナ……』

『貴女に永遠を誓います』


 ああそうかとセレナは理解した。なぜこの結婚から逃げ出さなかったのか。

 頭の中で勝手に繰り返されるルイスの台詞に、胸の奥がますます締め付けられて、セレナの目頭からツーッと涙が流れ落ちた。

 

 ☆★


 ルイスのシャツを渡され、セレナは上半身を起こし、戸惑いつつも彼のシャツを着た。


(シャツ……。ラベンダーみたいな匂いがする……)


 何か言おうと思案し、チラリ、チラリとルイスの様子を確認してみる。しかしルイスは背を向けて無言でズボンを履いているので声を掛けるのは気が引けた。


(私も……。どこ……。っ⁉︎)


 背後から抱きしめられ、セレナは硬直した。


「体は辛くないです?」


 耳元で囁かれ、セレナはコクコク、コクコクと首を縦に揺すった。喉にものがつかえてしまったように声が出ない。

 徐々に鎮まっていた動悸が再度激しくなる。

 ぼやっとしていたらルイスと同じ布団の中。後ろから腰を抱かれて包み込まれているような体勢。

 

「セレナ、おやすみなさい」

「は、はい……。おやすみなさいませ……」


 ほどなくして、ルイスの寝息が聞こえてきた。

 しかし緊張に高揚でまるで眠れない。


(体が大きいから、呼吸も大きい……)


 セレナは夜が明けるまで、ルイスの寝息や心臓の音を聞き続けた。

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