1
歳も歳だしと、ルイスとセレナの結婚式はお見合いを行ったレストランで、家族と友人だけを招いたこじんまりとしたものになった。
婚約して条件をつめて問題なかったので、結婚1ヶ月前にセレナ母娘は嫁ぎ先へ引っ越してお試し新生活。やはり問題はなく予定通り結婚式。
ルイスは両親やセレナの意見には全て「はい、そうしましょう」と答え続けてきた。
セレナは義両親も新しい生活も仕事も気に入って満足だったが、ルイスのこのイエスマンなところに関しては少々不安を抱いていて、誓いのキスの場面になって急に怖気付いた。
いや、ようやく自分は条件と結婚するのではなく生身の人間と結婚、彼と交流するということに気が付いた。
(そういえば向かい合ってゆっくりと顔を見るのはお見合い以来だわ……)
セレナの隣に立つルイスは無表情でぼんやりしている。セレナはヴェールを上げてもらうのに屈むのを躊躇ってしまった。ジッと体勢を変えない。
しかし、ルイスはセレナが腰を下ろしていないのにヴェールに手を掛けた。
(あれっ?)
「貴女に永遠を誓います」
(えっ?)
「この結婚はもう少し考えさせて下さい!」と叫びそうだったセレナには、思いもよらなかった台詞。
ヴェールを上げられ、そっと肩に手を置かれ、頬にキス。それから抱きしめられた。
予行練習、打ち合わせと違う。セレナは頭1個半違うルイスの腕の中で、彼のドクドクと素早く脈打つ鼓動を、体に密着している耳で感じながら驚き戸惑った。
「すごい緊張している音ね……」とボンヤリしてしまう。この後、セレナの記憶は少々ない。
ボーッとする新郎新婦を仲人兼司会のバーリーと新郎友人達がはやし立てて、夫婦を着席させて披露宴開始。
セレナは招待した友人達にほんの少しの不安を伝えながらも、前向きな考えを披露し、時折ルイスの姿を確認した。自分でしっかり考えて決めた。大丈夫と微笑む。
ルイスは「お前もやっと結婚か!」とか「嬉しいぞ!」「幸せになれよ!」など、友人達にひたすら飲まされ続け、セレナと目を合わせることは無かった。
披露宴が終わって帰宅しても、セレナとルイスの目は合わないまま。当然、会話も無い。
それぞれ着替えたり、荷物を片したり、家族で順に風呂に入ったりなどなどの後、時間差で夫婦の部屋へ足を踏み入れた。
婚約中は別室であったが今夜からは同室。
ルイスとセレナは出会ってから初めて2人きりになった。しかしそれはほんの数秒のこと。
ルイスは「少し出掛けます」と告げて、あっという間に部屋から出ていってしまった。
★☆
新婚夫婦といっても、ルイスとセレナは恋愛結婚ではなくお見合い結婚。
それも新妻セレナは無口でイエスマンの新郎ルイスに多少の苦手意識を抱いていると挙式で自覚。
セレナは2つ並んだベッドのうち自分のベッドに腰掛けた。
太腿に肘を乗せて、掌に顎を乗せ、はああああと深いため息。
(働き者だし、思っていたよりも友人も多くて、悪い人ではないのは知っているけど……。ルイスさんって心の中で何を考えているのかしら……)
セレナは板張りの床を見つめ、再びため息を吐いた。
(お母さんを安心させて、孫も見せてあげたいから結婚したけど、私って思っていたよりもロマンチストだったみたい……。初夜に夫だけが出掛けることに傷つくとは思わなかった。式までしたのに、友人達に妻ですって紹介されたかったなんて……)
セレナは目を瞑り、またふぅっと息をゆっくりと吐き出した。
(同居中、全然顔を合わさないなんて思ってなかったな……。この様子、ルイスさんは今夜帰ってこないか、私に背を向けて寝るの? でも永遠を誓います……。世間体を気にした? でもお見合いで条件が合ったから結婚したという話は皆が知っているし……)
どさりと後ろに倒れた後、しばらくそのままだったセレナは、寝てしまおうと布団の中へ潜り込んだ。
(他にも縁談が来たし、焦って決めるんじゃ無かったな……。お母さんがとても乗り気だからって流されるなんて、私らしくなかったわね……。すぐ婚約したから他は全部断らないといけなかった……)
断った相手は、セレナにとって条件の良い相手ばかりだった。
婚約してから、私ってまだ口説かれるんだと知った。なので、彼女の後悔はより強い。
(仕事ぶりは尊敬出来るし、新しいことも始められたし、ご両親は良い人達でお母さんとうんと気が合う。それでお母さんは前よりも楽になった。そこなのよね。私がこの結婚は良いと思ったのは。嫌で嫌で堪らなくなったら離婚するだけよ)
基本的にセレナはサッパリしていて前向きだ。ベッドサイドの机の引き出しからスケッチブックを取り出し、新しい帽子と服のデザインを考え始めた。
彼女は帽子だけではなく服の製作にも携わるようになって、仕事に関しては以前よりも楽しくて幸せだと感じている。これもルイスとの結婚から逃げ出さなかった理由の1つ。
(離婚してしまったとしても、再婚すればまたお母さんにウエディングドレス姿を見せられる。その時のドレスのデザインは……)
セレナはスケッチブックに鉛筆で理想のウエディングドレスを描き始めた。
(ラングドゥ夫人がくれたウエディングドレスは流石伯爵夫人のドレスって感じで上品だったわ。あの細やかな花柄の刺繍、それにレース……)
気がついたら、セレナは次のウエディングドレスではなく、今日着たドレスをスケッチしていた。
若かったら似合うかもと思った髪型や、母親譲りのヴェールではなく、貴婦人のウエディングドレスに似合うヴェールを描いていく。
(お母さんのヴェールは可愛いけれど、あのドレスにはこういう豪奢な……。ふふっ。あのドレス、返さないで好きに使ってって、ラングドゥ夫人、次の帽子はどんなものが希望かしら)
セレナは新作の帽子を考え始めた。スケッチブックのページをめくろうとして、ドアが開く気配がして手を止める。
そんなに多い量の光苔が入っていない小さなランプに照らされていても、ルイスの顔はかなり赤い。
彼は軍人のように後ろで手を組んで仁王立ちして動かない。
「おかえりなさいませルイスさん」
「はい」
ルイスは無表情で小気味の良い返事をした。後ろ手でドアを閉めたが、ちっとも動かない。セレナは首を傾げながら体を起こした。
「あの、お水は要りますか?」
「いえ」
小さく首を振るも、ルイスは動かない。セレナは眉間に小皺を作った。
(いえって拒否を初めて聞いたわ。それにしても、本当に無口ね)
「随分と飲んだようですが楽しかったですか?」
「っ……」
セレナが少々トゲのある声を出した時、ルイスは喋ろうとして遮られたのと、新妻の非難めいた様子に開いた唇をそっと閉じた。
「あらすみません。あの、何か?」
ベッドから降りるとセレナはルイスの前に移動。背の高い夫の顔を覗き込み、真っ赤な無表情をジッと見据える。
ルイスはドンッと音を立ててドアに背中を激突させた。ドアノブに当たったところがあまりにも痛かったようで彼の顔が歪む。
「痛っ……」
体を丸めると、ルイスは涙目で蹲った。
「大丈夫で……あら?」
ルイスを心配してしゃがんだセレナは、彼が右手に握る小さな花束に気がついた。
「素敵な花束ですね。ご友人からお祝いにもらったのですか?」
「いえ」
ルイスは勢いよく右手をセレナの前へ移動させた。
「会場の花で作りました」
ゴクリ、と唾を飲むと、ルイスは俯いた。
無表情から怒り顔に変化した表情で、下を向いたルイスにセレナは面食らって少々怯えた。
(作った? 何故怒っているのかしら? 会場の花で作った? 何のために?)
「あの……」
「笑ってもらえたらと」
バッと勢い良く顔を上げたルイスに驚き、セレナは尻餅をついてしまった。伝えられた言葉にも茫然自失である。
(私の……ため?)
「すみません。要らないもので」
ルイスは震える手でセレナを抱き上げると、くるりと背を向けて部屋から逃げるように出ていった。
「待って。要らないなんて……」
セレナのその台詞は、既に完全に部屋から出てドアを閉めてしまったルイスには届かなかった。
「まあ……。要らないなんて誤解、どうして……。驚いて尻餅をついて後退りなんてしたからね。だって勢いが怖かったんだもの。でも……」
胸に手を当てると、セレナは目を閉じてゆっくりと深呼吸をした。
(妻に笑って欲しい、初夜に花束なんてルイスさんってロマンチストなのね)
嬉しそうにはにかむ姿は恋する女性そのものであるが、恋愛感情から遠ざかって約10年経つ本人には自覚なし。
「誤解は良くないわね。探して嬉しいって伝えに行かないと」
セレナはルンルン気分で着替え始めた。