12
とある酒場、ルイスや友人達の行きつけ店の1つ。ルイスは人生で初めて1人で晩酌、という行為をしている。
(そうだよな。別に結婚したからって俺だけなんて約束はしてない。あー……。店や家事、生活のことなんかは決めていたけど失敗した……)
そんなに飲めないのに、友人と共有のウイスキーボトルを出してもらい、ストレートで呷り中。ルイスは力無く項垂れた。
グラスをギュッと握りしめて、テーブルを指でコンコン、コンコンと叩く。
「えー、ルイスじゃねえか!」
声を掛けてきたのは鍛冶屋で釣り仲間のチャック、それに輸入家具会社勤務のノイマンだった。
ルイスは「ん?」と顔を上げた。チャックとノイマンがルイスのテーブルのところへ着席する。
「ああ、ノイマン、チャック。悪い。少し飲んでた」
ルイスはウイスキーボトルを手に取って軽く揺すった。
「それは別に俺達全員のボトルだから構わないけどどうした。お前が1人で飲んでるのなんて初めて見た」
「だよなノイマン。ああ、誰かと待ち合わせか? 誘われてねえぞ」
「いや、1人だが……」
「「ええー」」
珍しい、とノイマンとチャックは口を揃えた。
「何だ何だ? 分かった。あの気の強そうな美人妻に何か怒られたんだろ」
「確かになんかこう、尻にペチャンコにしかれそうだよなお前」
ケラケラ笑う友人達が注文を頼む。ルイスは「違う」とぶすくれた。その顔を見て、ノイマンとチャックが顔を見合わせる。
「喧嘩は喧嘩みたいだな。まあ、ほら、出世したな。女をデートにも誘えなかったか1度のデートで……ルイス?」
「デート?」
ノイマンの発した単語は今のルイスには地雷。彼の目は据わった。
「あー……」とノイマンが目を彷徨わせ、チャックに目配せをする。
「デートで怒られたのか?」
「デートなんてしたことない」
ルイスの声は小さいが実にトゲトゲしい。彼はますますむくれた。彼の中でオペラチケットを買った後に一緒に食事をしたことも、たまに仕事で2人で出掛けた後にお茶を飲んだこともデートではなかった。
この国のデートと言えば男が誘い、エスコートし、女性を楽しませること。ルイスはいつどうやって初デートをするか真剣に悩んでいた。それなのに自分より他の男とデート。傷つきに傷ついている。
妻セレナはとっくに初デートは終わって、お茶デートやら何やら嬉しいなで誤解なのに。
こんなに分かりやすい表情なのは珍しい、とノイマンとチャックは再び顔を見合わせた。
「失敗したんだ。他の男とデートしないって、普通の結婚と同じだって約束を交わしていなかった……」
ルイスはウイスキーを一口飲むと、両手でクシャクシャと髪を撫でながら項垂れた。
「はあ? どういうことだ?」とノイマンが水割りを作り始める。ついでだ、とチャックがルイスのウイスキーグラスを取り上げ、ノイマンが作った水多めのウイスキーの水割りと交換。
彼らはルイスがあまり飲めないとよく知っている。何があったかまだ分からないが、新婚早々泥酔して帰宅など奥さんに悪いと気を利かせたのだ。
ルイスの日頃の友人への接し方が彼らを親身にさせる。
「そんな約束をしなくても、普通の見合い結婚だろう? そんな当たり前のこと……」
チャックは話しながら、店の扉が開いて「美人が入店してきた」とチェックを欠かさなかった。
家庭があるし、モテない男なので無意味だが一応。
(美人が来たと思ったらルイスの奥さんじゃね?)
セレナは「デイジー憎し」と「なぜか夫の機嫌が悪い問題」を語りたくて、親友ナンシーを誘ってこの酒場へやってきたところだった。
彼女達が促されたのは既に満席状態のカウンター席。この店はセレナ達の行きつけ。最たる理由は友人が嫁いだ家だから。
2人は知らないがルイスとセレナは過去に何度かすれ違ったり、同じ店にいたことがある。ルイスはいつも真剣に友人達の会話を聞き、セレナは友人達とお喋りに夢中。2人がこの酒場で出会い、会話することはなかった。あってもルイスが一目惚れして、友人達に助けられながらナンパして、デートで失敗して、諦めて終了だっただろう。
それにセレナは店が混んでくると店内ではなく自宅の方へ案内されるほど店主夫婦と親しい仲。あれ? と思うと消えてしまうそこそこ美人のセレナを口説きそびれた男はそれなりにいる。
「俺の服を着て他の男とニコニコ笑顔とか辛い……」
ルイスにストレートのウイスキーグラスを奪われそうになったチャックはグッと止めた。
「んな訳あるか。どうせお前のことだから落とし物を拾ったとか、ぶつかって謝っていたとか、そういうことを何か勘違いしたか思い込みだ」
「そうだ。お前は自信が無さすぎる。理由は分かる。確かにモテない。けどそれはお前の中身が悪いからじゃない。表現力の問題だ。本人に聞いたのか? 今日君はどこへ行っていた? って」
「今日、彼女はお得意様のご夫人とアフタヌーンティーだった。なのに……」
ルイスがウジウジしながら事情を説明する。
「あー、おいルイス。それ、馬車とかなかったか?」
「馬車?」
「そうだ。浮気相手に堂々と店先まで送ってもらうとかおかしいだろう?」
「……」
ルイスが首を傾ける。それで「でも」「しかし」と首を振る。
「ジメジメするな。いつも面倒だな。ほら、あそこにお前の可愛い奥さんが来ている。聞いてこい」
「そうだ、聞いてこい。お前は人の話は聞いてくれるが、質問をするとか、聞き出すとかは苦手だからな。行け」
あそこ、とチャックが指差した先にルイスは視線を移動させた。ルイスが作ったワンピースを着たセレナがカウンター席に着席し、男の視線を集めている(半分は思い込みで少し当たっている)
ルイスは椅子から落ちそうになり、セレナの方向からバッと顔を背けた。
「セ、セレナ……。なんで……」
「なんでって隣のナンシーさん、だっけ? お前の奥さんの友人。ここ、あの人の幼馴染みの旦那の店だって盛り上がっただろう。披露宴の時に。なんだ、見合いをしなくても出会っていたかもななんて」
「そうだっけ?」
「チャック、こいつは披露宴中、ずっと心ここにあらずで新妻をガン見してただろ。で、奥さんがこいつを見たら恥ずかしいと目を背けてさ。ルイス、少しはその照れ屋を直せ」
「そういえば、そうだったな。そうだルイス。直すために行ってこい」
チャック、ノイマンの順に2人がルイスの背中を叩いた。次は体を押し、顎で「行け」と示す。
「いや、でもプライベートみたいで……」
「お前もプライベートだろ。仕事なら行くのかよ。意味が分からん。アホか。早く行け」
「言い訳せずに行け」
再び体を押され、ルイスは立ち上がった。シャツのシワを伸ばし、背筋もグッと真っ直ぐにする。
「聞けないに10銅貨」
「卑怯な。俺も聞けないだ。勝負にならん」
賭けをはじめ、ケラケラ笑うチャックとノイマンを軽く睨むと、ルイスはゴクリと生唾を飲んでから足を動かし始めた。
友人達はいつもこうやって自分を助けてくれる。大事にしようと思いながら。
(や、やあセレナ。君も来ていたんだ。こんばんは、誰だっけ? ナ? ナナさん? 違うな。ナシーさん? いや、忘れた。こんばんはで笑いかけるだけにしよう)
妻の友人の名前くらい覚えなくては、と決意しながらルイスはセレナ達の方へ近寄った。
「お客さん、悪いけどあそこの可愛い子達は俺らのもんなんで」
いきなり男の腕が伸びてきて、ルイスは立ち止まった。声を掛けてきたのは中年男性だった。同じテーブルに同年代らしき男達が3人集まっている。
「そうそう。それに2人とも既婚者でね」
「特にあの髪が短めの気の強そうな美人は新婚ほやほや。無駄だ無駄」
ルイスはパチパチ、と瞬きを繰り返した。
「口説くのが10年、いやほんの少し遅かったな」
「ほれ、一杯奢ってやるから座りな兄ちゃん」
手首を掴まれ、ルイスは思わぬ事態に素直に従ってしまった。
「いや、あの俺は……」
「なんだ声の小さな男だな。見た目に反して。口説くならあそこのほら、髪が肩までの娘とか、その隣は未予約だ。あんたの見た目なら、一杯くらいご馳走させてもらえるんじゃないか?」
男性の1人が出入口付近にいる女性2人組を指で示した。
「いやあの」
「なんだ一目惚れか? セレナちゃんは可愛いからな。それなのに長年男っ気なし。かと思えば電撃結婚。おまけにまあ、相手が良い男らしい。勝ち目なんてなさそうだから諦めろ」
「一目惚れなら傷は浅いだろう?」
(相手が良い男って……まさか、さっきのあの男か?)
ルイスは顔をしかめた。
「マスター! おすすめのカクテルをそこの可愛い子達に。こいつからだ」
中年男性達がルイスの肩を叩く。ルイスはジッとセレナを見つめ続けている。ルイスが窓際の女性2人組にご馳走した、という状況なのに気がついていない。
(出たナンパ。若くて可愛いと大変……)
大変よね、と心の中で呟きかけてセレナは目を丸めた。
酒をご馳走して女性をナンパしようとしているのは、どこからどう見てもセレナの夫ルイスだったからだ。




