10
【数日後】
売れ残りではあったが、ルイス・ラングウィンはモテない訳では無い。
例えばジュベール服屋のある通りの、隣にある商店通りの八百屋の娘だとか、魚屋の娘や業務提携をしている裁縫道具屋の娘とか。
ルイスからデートに誘われないかな、と会うたびに胸を弾ませていた女性は少なくない。
そんなことは知らないセレナはすっかりポート商店通りの常連である。融通の効く仕事であるので仕事の合間をぬって朝、昼、夕の市に毎日欠かさず顔を出している。
八百屋では「何よこの、年増おばさん!」と憎まれ、魚屋では「お金や型紙で買収だなんて卑怯者」であるし、裁縫道具屋では「小さな頃から好きだったのに悔しい」と恨まれているなんて知らずに。
ルイスという男は、性格もあるけど積極的に女性を口説かないのは弟が学校を卒業するまでは結婚しない決意の表れ、と多くの知人友人が考えていたので、彼の結婚は彼女達にも想定外の出来事だった。
実際、ルイスがセレナとのお見合いに本腰を入れたのは、一目見て気に入ったからだ。
ようは一目惚れしたから、いの1番に申し込んだのである。
デートの申し込みは自分では難しいが、お見合いの申し込みは親同士の連絡で済む。
しかも「ルイス、見合いしてみないか?」という問いに対して「ああ、してみる」で終わり。
女性と接する機会のない、おまけに照れ屋のルイスにしてみれば、セレナとの見合い話は人生においてもう2度となさそうな大チャンスだったのだ。
照れで見逃すよりも、食い気味に返事をして一刻も早く、誰よりも早く見合いをする方向に傾いた。その結果、泣いた女性はどちらかというと多い。
そんなこととはつゆ知らず、セレナは朝食のオムレツ用の卵と付け合わせのサラダ用の野菜を買いに朝市へやってきている。
これまでたまにポート商店通りに現れて買い物をしていたルイスの代わりに、鼻歌まじりで微笑む新妻セレナが登場。
と、なると面白くない八百屋の娘デイジーは卵の受け渡し時にわざと手を滑らした。
(家計のやり繰りを出来ない女だって追い出されろ)
内心ほくそ笑んだデイジーは「すみません」と謝った。しかし怒るどころか「靴が汚れましたね」とハンカチで拭いてくれたセレナに驚愕する。
(ちょっと見た目の良いだけの年増女だと思ったのに、性格良しだと困るじゃない! 体を使ってルイスさんをたぶらかしたらしい女狐の猫被り⁈)
「お客様すみません。お気遣いありがとうございます」
営業スマイルを顔に貼り付けて後片付け。割れた卵にも申し訳ない気がするし、情けない意地悪をしたと反省するも、デイジーの嫉妬心は消えない。なぜなら——。
セレナの隠れた首元に、チラリとキスマークがあるのを見つけてしまったからだ。その瞬間、デイジーは遠慮のフリをしてセレナの手を踏みつけた。
「っ痛」
「も、申し訳ありません!」
「ちょっとデイジー! 会計はまだかって呼ばれて何かと思ったら何してるんだい!」
デイジーの母親が彼女に声を掛ける。セレナに平謝りをして娘に「もう店番を任せられると思ったのに」などと、接客をしながら説教。
「いえ、私が鈍臭くて卵を落としてしまいまして。新しいものをお願い出来ますか?」
「お財布なんてしまって下さいお客さ……あらあ、貴女ジュベール服屋さんの若女将さん? 若旦那さんは元気です?」
「ルイスさんなら元気……でしょうか? こう、顔に出さないタイプなので、まだどんな方かよく分からなくて」
セレナのこの発言にデイジーはカチン! ときた。そんな相手に初恋の男を取られたのだ、とメラメラ嫉妬心が燃え盛る。
小さな頃からちょろちょろまとわりついて、お金を貯めれば店に顔を出していた。
娘のその様子に気がついた八百屋の女将はパシン、とデイジーの背中を軽く叩いた。
「靴を履き替えてきなさい、デイジー」
「え、ええ。申し訳ありませんでした」
デイジーは酷い棒読みの台詞を残して去っていった。
(何だか嫌われてるみたい。もしかして今の睨み、ルイスさんを気にかけていたとか?)
セレナの勘は平均的な女性と同じくらいには冴えていた。
「申し訳ございません若女将。うちの娘、小さい頃から若旦那が好きだったみたいで。気がついたのは最近なんですけどね」
八百屋の女将はセレナの買い物カゴに新しい卵を入れた。お詫びだ、と青菜も追加する。
「遠慮せず、また来てください。向こうの通りにある八百屋には負けない仕入れをしているので是非ご贔屓に」
「はい。近くに美味しい八百屋があって嬉しいです。助かっています」
セレナは会釈をして足早に八百屋から遠ざかった。
(今度から、あの可愛らしい娘さんがいない時間に来るようなしないと)と心の中で呟きながら。
☆★ それから2週間後 ☆★
ジュベール服屋でのセレナの主な仕事は、自分の顧客相手の商売、店舗で売る帽子の製作指揮、それから週1度、店での接客会計作業だ。
ルイスもほぼ同じ。セレナとの違いはオーダーメイド作品は帽子ではなく服。製作指揮は商品全般。そして接客はせず、日々の会計締め作業をすることである。
以前まではオーダーメイドを引き受けていなかったので、ルイスの顧客は主にセレナの客である。「旦那さんが服を作れるのなら帽子とセットの普段着やドレスを」と頼まれて始めた仕事である。
しかし、最近そこにご近所からの注文が入るようになっていた。
セレナは注文一覧表を確認しながら、夫ルイスが打ち合わせに行くのを見送りながら、少々不安を抱いている。
「八百屋に縫製道具屋、それに魚屋から帽子なしのワンピースだけの依頼って何だか変なの」と、勘ぐっている。
作業場の椅子で注文された帽子の仕上げ作業に取りかかりながら、セレナはチラチラと壁に掛けてあるスケジュール表を確認した。
【打ち合わせ 午後の礼拝頃 ミス・デイジー】
(デイジーさんってあの子よね。ふわふわしてる巻き髪を束ねた、可愛くて胸の大きい……。八百屋の……)
彼女目当ての男性客がいるのをセレナは度々目撃している。デイジーはまだ20歳になったばかりとセレナよりいくつも年下。
夫が美人で若い娘——それも相手に好意を抱いていそうな娘——と2人きりになる。そのことはセレナを少々ヤキモキさせた。
(明日のオペラ、楽しみだわ。本当に嬉しい。サンタマリアンヌ歌劇場で行われるオペラは招待券ばかりで当日券なんてほとんど出ないって噂だもの)
しかし嫉妬心は小さい。以前よりルイスとの会話が増えたし、夜も2、3日おきで、イチャイチャしているからだ。
リンゴーン、リンゴーンと教会の鐘の音が響いてくる。午後の礼拝の合図だ。
(そろそろ出掛ける準備をしないと。人のことより自分のことだわ。今日はラングドゥ夫人との商談だけよね)
セレナは手を止めて仕上げ終わった帽子を机の上に置いた。
スケジュール表をもう一度確認し【アフタヌーンティー、送迎あり、ラングドゥ夫人】という文字を目で追い、指もさす。
ルイスから預かっているスケッチブックと自分のスケッチブックを商談用の鞄にしまい、着替える為に作業場から寝室へと向かう。
セレナが昨夜から決めていた、貴族夫人とのアフタヌーンティーでも恥ずかしくない服、結婚祝いのマーガレット柄のワンピースを身に纏う。
合わせる帽子は手製。隙間時間に作った、ワンピースに合わせて作った代物。
白い手袋をして、白に小さなレモンで水玉を描いた日傘を持ち、使い込んでいる革製の鞄を斜めがけにして店を出る。
この後セレナは楽しいアフタヌーンティーの時間を過ごし、提案作品も喜ばれ、服装も褒められ、おまけに帰りは馬車を用意されてたので上機嫌。
店先で馬車から降りる。執事にエスコートされ、セレナは「貴夫人になったみたい」とより機嫌を良くした。
「ありがとうございました」
「いえ、こちらこそ」
セレナと執事が社交辞令の挨拶を交わす。
(なっ……)
ルイスはこの光景を見ていた。
明日着ると思っていたワンピースを着た妻が、見知らぬ男性——それも貴族に見えるダンディなイケメン——と微笑み合っている。
帽子に手袋、日傘など、どれを取っても1度も見たことのないとてもお洒落で可愛らしい服装。
「ルイスさん?」
用事がある、という言い訳を用意してルイスについてきていたデイジーが彼の顔を見上げる。
その顔は誰がどう見ても不機嫌そのもの。照れで初恋を横からかっさらわれたデイジーは、今度こそは、とこの瞬間を見逃さなかった。
「きゃあ」
ヒールでよろめいたフリをしてルイスへ突撃。当然のようにルイスはデイジーを抱き止めた。
(あらっ?)
デイジーの声でセレナの視線が移動。当然、彼女は目撃してしまった。
ルイスが若くて可愛い巻き髪の娘の両腕に手を当てて見下ろしている姿を。




