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目を覚まし、まだ眠たいと目を閉じようとして花のような良い香りでバッと目を開く。
ルイスは腕の中に妻がいると気がついて軽く混乱。昨夜何があったのか思い出して動揺した。
(何故か分からないけど嫌われていなかった……)
腕に力を入れるとセレナが身動ぎしたので、ルイスは慌てて腕の力を緩めた。
「うん……」
(⁉︎)
声に出していたから返事が来たのか⁈ とルイスは腕の力を更に緩めた。
「いけない! 朝ごはん!」
セレナが急に起きたのでルイスは少々後退り。抱きしめてなんていません、と両手を胸の高さまであげる。
ゴーン、ゴーン、ゴーン……。微かに聞こえる朝の礼拝の鐘の音。
「何だ、まだ平気ね。良かっ……。おは、おはようございますルイスさん」
セレナがルイスの存在に気がつく。頬を染めてはにかみ笑い。
ズキュ——ン! とルイスの胸が撃ち抜かれる。
(可愛い。俺に照れるとか可愛い。いや、そんなの楽観的過ぎる考えだ。俺にじゃなくて格好とか、寝起きだからとか……)
手を出して体の距離を縮めたのに、心の距離感は未だに測れない残念な男。それがルイス・ラングウィン。
セレナが照れたのは寝起きでも服装でもなく、ルイス自身に対してであるのに気がつかないとは悲しい経験値の乏しさ。
「朝食のリクエストとかあります?」
「いえ特に」
リクエストなんてして手間暇かけたら嫌われるかも、とルイスは即答。愛らしい笑顔を(可愛い……)と見つめ続ける。
セレナはこの返事にとても落胆した。
(またよそよそしい……。あれかしら? 照れていたのではなくて、体目当てだったとか? それにしてはオペラチケットとか服のスケッチとか……)
ルイスの反応に戸惑うも、平均並みの洞察力のセレナは勘違いはしなかった。しかし、昨夜の幸福感は薄れてしまっている。
「そっか、残念です。頼まれたら張り切っちゃいそうだったのに。お腹が空いているならパッと用意しますね」
セレナは率直に落胆の気持ちを伝えた。
(昨夜みたいに抱きしめたりしてくれるとか、キ、キスは朝からはあれだけど……)
はあ、と小さなため息を吐くとセレナはクローゼットに向かい合った。それから気がつく。
これまで朝の早いルイスは起きた時に部屋にいたことがなかった。しかし、今日はいる。この状況で着替えるのは恥ずかしい。
ふと見たら、ルイスは着替え始めている。率先して鍛えていなさそうなのに、彼の体はガッシリと逞しいなとセレナはしばし見惚れた。
(籍を入れるまであんまり考えていなかったけど、やっぱり格好良いかも……)
顔を背け、こそこそ着替えながら目を閉じて夫の姿を思い浮かべる。
優しげな顔立ちなのに凛々しい眉。服屋の若旦那で日焼けを全くしていないのに妙に体格は良くて背も高い。
(失礼だけど余り物には福があるって本当ね)
心の中でクスクスと笑うセレナの背中を見つめるルイスの瞳には、彼女の後ろ姿は寂しげに映った。
(頼まれたら張り切るって……。頼んだ方が良かったのか)
正解に辿り着いたルイスは、着替え終わるとセレナにそろそろと近寄った。
「あの……。先々週みたいなオムレツだと……」
嬉しい、そう告げる前にセレナが振り返る。ルイスと目を合わせた彼女の顔はほんのり桃色。それでいて破顔だ。さすがにこの表情を汲み取り間違える者はいない。
「オムレツ? オムレツですね」
(か、可愛い。……頼んだ方が良かったのか。難しいな)
別に難しくもなんとも無い、とルイスの友人達がいたら総突っ込みを入れるだろう。
笑顔で「リクエストはなあに♡」と質問されて「要らん」とはお前はバカでアホでマヌケだと説教されるところである。
残念ながら、ここにはルイスのスキルアップをさせてくれる友人は不在。ルイス自身が気がつかないとならない。
「先々週みたいなってどんなオムレツでした? 半熟かな?」
うーん、とセレナが首を捻る。
「あの、ふわふわしていてベーコンが入っていた」
「ああ! 肉屋でおまけをいただいて。ソーセージでも良いです?」
「もちろんです」
セレナは弾んだ声を出すと、着替えを済まして軽やかな足取りで寝室から出て行った。
(可愛い。何で急に機嫌が良くなったんだ?)
この男、鈍感である。誰がどうみても「君のオムレツが食べたいな」というおねだりに対する機嫌の良さである。
ついでに言うと、先々週作った朝食を覚えていて「ふわふわした」なんて褒められれば尚更。
さて、このルイスの鈍感さとコミュニケーション能力の低さ(自己完結癖)は入籍早々と同様に、少々すれ違いを生むことになる。




