2年前の夏
前話から投稿がだいぶあいてしまいました。
奈菜ちゃんにとって分岐点となる2年前の夏のお話です。
それは2年前の夏...
私が幼等部の夏休みお泊まり会で、宿舎から誘拐されて(?)しまった事件である。
当時から子どもらしくなく、どこか達観していた私は、海ではしゃぐ同級生を“子ども達”と認識し、砂浜のパラソルから眺めていた。それも飽きて、体調が優れないことにして、宿舎に戻り本を読もうと先生に伝え、付き添われて宿舎へ戻ろうとした。ところがあと少しで宿舎のポーチにたどり着く前に、鷺ノ宮学院の理事長の孫である上條陽菜が車から降り、宿舎に泊まりに来た所と鉢合わせをしてしまったのである。もちろん面識はないが、周りを大人に囲まれている子どもを見れば、何処かのご令嬢だと予測がつく。会釈をしてその場を離れようとしたところ、
「貴女はどなた?私に挨拶もなさらないなんて。」と高飛車に言い放った。焦ったのは私に付き添っていた先生の方である。
「私は、鷺ノ宮学院、幼等部教員の」
「あら、私はそこの貴女に問うているのですわ。」と陽菜は先生の言葉を遮り、私を睨み付けた。先生は戸惑いつつも私の肩に手を添え、挨拶を促そうとした。それを感じて、私は自己紹介をすることにした。
「失礼致しました。申し遅れました、私は鷺ノ宮学院幼等部、薔薇組の鈴木奈菜です。」と言い、ワンピースの端を持って、カーテシーをして見せた。お辞儀ではなく、カーテシーをしたのは、学院の教えであるクリスチャンからきている。
その姿を見て、先生はおろか陽菜の回りにいた大人たちまでが驚愕していた。何故なら、カーテシーを習うのは幼等部ではなく、初等部になってからである。私が出来るのは、祖母の真似なので、本当のカーテシーではないが、見た目はバッチリのはずだ。孫可愛さに祖母がべた褒めしてくれて、それが嬉しくて何度も練習をしたのだ。
「あら、お利口さんですわね。」と紹介しろと言っておきながら、すでに私には興味をなくしていた。それよりも回りの大人達の意識を自分に向けたがっているように感じた。陽菜の一言で、大人達の視線が陽菜へと戻り、私から注目が外れ、ひと安心だ。
と思っていたら、後ろから声が掛かった。
「我が学院の幼等部に、こんな逸材がいたとは。これは陽菜もうかうかしていられないな。」と不穏な言葉を発したのは、理事長その人である。陽菜の回りの大人達は一斉にお辞儀をし、担任は理事長の顔を見て、アワアワと焦りながらもお辞儀をした。それに倣って私ももう一度カーテシーをした。
「あら、お祖父様。私がこの子に劣ると言うの?」と不機嫌な声で陽菜は言ってのけた。この流れから、目の前の高慢な子は、学院理事長の孫であることが判明した。名前も陽菜と呼ばれていた。
「そうではないが、研鑽を積む良い機会だと思ってな。」と理事長は笑い飛ばしていた。「皆、おもてを挙げよ。」と言われて、大人達に交ざり、カーテシーをとき前を向いた。すると理事長はかがんで私と目線を合わせながら「お嬢さん、私は鷺ノ宮修造という。鷺ノ宮学院の理事長をしているよ。」とニッコリ人好きのする笑顔で、丁寧に自己紹介をしてくださった。私も笑顔で「鷺ノ宮学院幼等部、薔薇組の鈴木奈菜です。」と自己紹介を返した。
そして、理事長に優しく背中を押されて、渋々「雙葉学園幼稚部、鈴蘭組の上條陽菜ですわ。」と自己紹介をした。
おや?と思いながらも、表情には出さず笑顔で返した。「薔薇組ということは、陽菜と同じ年だね。」と理事長は教えてくれたが、なぜ孫の陽菜が鷺ノ宮ではなく雙葉学園の幼稚部にいるのかが疑問であった。が、今はそれよりもこの場からどうやって宿舎の部屋にたどり着くかを考えなければいけない。何かいい方法はないか、と思っていると「貴女は、幼等部の教員ですね。いかがされましたか?」と理事長が先生に質問をしていた。
「鈴木さんが具合が悪いとのことで、宿舎に戻るところだったのです。」と説明してくれた。「それは、引き留めて悪かったね。医師を呼ぶから、部屋で休んでいるように。」と慈愛あふれる笑顔で宿舎への道を開けてくれた。その際陽菜が、「仮病でしょ。」と小さな声で呟いたが、聴こえない振りをした。
「ありがとうございます。けれど、少し休めば大丈夫ですので、医師を呼ぶ必要はございません。」と私は丁寧に申し出をお断りした。先生も「私が様子を見ますし、何かありましたら、同行している看護師もおりますので、大丈夫です。」と丁重にお断りしてくれた。「そういうことなら。」と理事長も引き際を弁えていて、流石トップにたつ方だなぁと感心してしまった。そのまま私は先生と宿舎に戻り、ベッドへと直行となった。先生は私が狸寝入りをしてしばらくすると、看護師に声をかけに部屋を出た。
昼食の時間となり、子ども達が宿舎へと戻ってきたところで、看護師が先生と一緒にノックをして入室してきた。「具合はどうかしら?」と優しく語りかけながら、看護師の田中先生が聞いてきたので、「もうすっかり良くなりました。」と笑顔で答えた。触診をし熱を測り、「良かったわ。では、お昼ご飯は食べられそうかしら?」と食欲の確認をされた。勿論仮病なので、「はい。」と答えておいた。「では、一緒に食堂へと行きましょう。」と先生が声を掛け、3人で食堂へと向かった。
食堂では、子ども達がクラスごとに集まり、席に着いていた。私は体調が万全かを見るためもあったのか、先生の隣へと席を促され、静かに席へと着いた。皆が席に着いたことを確認し、食事が提供された。と言っても子ども達が好きなカレーや焼きそばなど、自分たちが食べたいものを選び、それを運んでもらっただけである。私は素麺にした。渋い選択ではあるが、暑さで麺類が食べたかったので、仕方が無い。他の子達は圧倒的にカレーが大人気であった。
午後からは、事前に決めていた班に分かれて、それぞれやりたいことに分かれていったが、私はそのまま部屋に戻されて、安静にしていることとなった。何故なら食欲がないと見なされたからだ。でもそのおかげで、タブレットに入れていた本の続きをゆったりと読むことが出来た。そして、午前中疑問に思った『上條陽菜』を検索し、何故雙葉学園に通っているのかが判明した。鷺ノ宮修造の子どもはたくさんいる。その内の長女が上條家に嫁入りし、上條家は代々雙葉学園に通っているため、陽菜も入園したようだ。鷺ノ宮グループと上條の母体である一條グループは業務提携をしていて、業績も右肩上がりの好景気であり、特に確執などはみられなかった。
夕食は、グループごとの食事となり、私は本来入るはずだったグループの子ども達と一緒に夕食を食べた。食べながら、どこが楽しかったや驚いたことなど、一緒に行けなかった分の話をたくさん皆がしてくれた。見回りに来た先生も私たちの様子を見て、微笑ましい表情を浮かべていた。
入浴は大浴場を貸し切ってクラスごとに入るが、私は体調の様子見ということで、部屋付きのお風呂ですませた。そして、就寝時間まで、またグループの子ども達とお話や明日の準備をし、就寝となった。
このお話はまだまだ続きますが、長い目で次話が投稿されるのをお待ちいただければと思います。