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『太宰治の、国家に於ける精神について』

『太宰治の、国家に於ける精神について』



太宰治の、『苦悩の年鑑』に、この様な記述がある。


日本は無条件降伏をした。私はただ、恥ずかしかった。ものも言えないくらいに恥ずかしかった。『苦悩の年鑑』から


日本の敗戦に於ける、太宰の日本に対する精神的感情である。無論、これだけにその意識を集約するのは間違っている、他にも沢山、敗戦については執筆しているし、此処だけに太宰の意識を読み取ろうとする方が、無理難題というものだ。それを承知の上で、しかし、見過ごせない文章だと思うのである。



日本の無条件降伏が、恥ずかしい、という感情は、一種の論理ではない。もっと、本質的な、人間感情である。強くあってほしいという観点から、負けてしまった、という結果に対する、逆説的発想である。敵国を恨む、と書かず、恥ずかしい、と書いたところに、太宰らしさを強く感じるのは、自分だけだろうか。



この太宰らしさは、しかし、意外と日本人特有のものかもしれない、とも思った。太宰の意識を敷衍して、日本人にまで発展させると、国民の国家に於ける精神は、どうやら、軍国主義とは程遠い、愛国主義だったようにも思われる。今日、我々に根付かされている、日本の軍国主義の過ちと言う錯覚、当時の太宰の文章を見れば、皆、軍国主義ではなく、単なる愛国主義を持った、日本人だったのではないか、と想像するには十分な、太宰の文学的資料であることは、明白だと思われる。

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