深層にあるこだわり
師匠と話を終えたエレナは、早速クリスに相談を持っていった。
クリスも忙しいだろうと思ったが、確認したら、時間が取れると言われたためだ。
「即断しないでこちらに持ってきてもらったのは正解かな」
話を聞いたクリスはそう言って小さくため息をつく。
「そう、良かったわ」
エレナが判断に間違いがなかったことに安堵していると、クリスは小さく笑う。
「まあ、あの工房なら、その後こちらに確認を送ってきただろうけどね」
その言葉にエレナも同意する。
「そうね。今回のお話もお母様側に許可をもらっていたようだったし……」
「そのくらい気を回せないと一流ではないということだね」
師匠には、式典の衣装のために来た後でこの話をする時間を作ってもらっていた。
エレナはご都合いかがでしょうと聞かれたので空いていると答えて、応接室を抑えただけだが、師匠は違う用事を一緒に済ませていいのか、依頼主の王妃に確認を取っていたらしい。
師匠と話をしたいとエレナが伝えに行ったら、あちらにも予定があるのだからあまり長くならないようにと言われたのだ。
「それで、各孤児院に配布予定の文字表の話だったね」
「ええ、師匠から、文字表の刺繍の簡略化と、孤児院に発注してはどうかと提案があったの。どちらもいい案だとは思ったのだけれど……」
師匠の言う通り、もし孤児院に発注できたなら、一時的にでも仕事を増やしてあげることができる。
もちろん、技術のある女性たちだけにしか頼めないことだろうけど、もしそこで技術が認められたら、どこかの工房に雇ってもらえる可能性も出てくる。
けれどこれは国家事業だ。
体裁を重んじるなら、国からの支給品は一級品であった方がいいはずだ。
エレナはそこが引っ掛かって返答を躊躇したのだが、クリスはどうやら違うらしい。
「そうなんだね。簡略化って具体的にはどういう内容?」
どちらかというと教科書の表のイメージが強いクリスが、変更するところなんてあるのかと不思議そうに尋ねると、エレナが図案を見せながら言った。
「これの文字以外の表の刺繍をすべて失くすか、一部にするという案よ」
エレナに図案を見せられたクリスは、それをじっと見てから、顔を上げた。
「それを聞いてエレナはどう思ったの?」
「確かにプレゼントだと思って気合を入れて作ったものだから、私としては満足しているのだけれど、職人の負担が大きいと言われてしまったら、それでいいと答えた方がいいわよね……」
孤児院に提供するために考えた思いのこもった一品だ。
エレナとしては最上の出来だと思っているし、これに問題があるとは思えない。
だから同じものを使えばいいのではないかと提案したのだが、工房に受け入れられる内容ではなかった。
それが残念でなかったと言われたら嘘になる。
エレナが気落ちしているのを察しているクリスだが、今回はエレナの希望を叶えるのではなく、納得させる方向に話を持っていくことにした。
「エレナ、まず、師匠の提案を受け入れたら、孤児院の子供たちの勉強にどう影響すると思う?」
クリスが尋ねるとエレナは少し考えてから答えた。
「どうかしら、わからないわ。でも素敵なものの方が、より多く目にとまるように思うの。その結果、文字にも目がいくのなら、より早くかけなくても読めるようになるかもしれないし、孤児院の子供たちのように真似して練習する子が増えるなら、より高い成果を得られるように思うわ」
まさか大切に保管されることになるとは思わなかったけれど、孤児院だって見た目を気にするところはあるだろう。
それに見栄えのいいものなら、どこかの部屋に常設してもらえるのではないかとエレナは思ったのだ。
「なるほどね。じゃあ、子供たちの目に留まりさえすれば、勉強に支障はないってことでいいかな?」
「ええ、そうね」
それはクリスの言う通りだ。
もともと文字に触れる時間を増やす方法の一環として考えたものだし、クリスの言う条件を満たせば勉強に支障はない。
それはエレナにも理解できる。
「なら、エレナには不本意かもしれないけど、デザインについては工房の意見を採用するべきだと思うよ」
「そうね……」
確かに自分の考えたデザインにこだわりすぎてしまったかもしれない。
ここまでの説明を受けてようやくエレナはクリスの言いたいことを理解した。
「まず、もし本当に孤児院の中に勉強熱心な子がいたなら、彼らは表に飾りがなくてもその表を目に留めると思うし、そうしようと自ら動くと思う。あと、エレナは自分が作ったものを記憶してしまっているから、他のものが豪華さを欠くものに見えるかもしれないけど、受け取る側はその表しか見ない。だからもし、その点を気にしているのなら、これ以降配布する孤児院には、同じものが配られるから気にしなくていいと思う。実用性を優先した方がいいし、あまりにきれいだと貴重なものだとしまい込まれて思うように使われないかもしれない。それとこの考えはあまりよくないけど……、あの表はエレナが初めて考えてプレゼントしたものだし、孤児院の教育はここから始まったという証としても、あの孤児院だけが持っていた方が特別感が出ていいかもしれないね。それを誇りに思ってくれたらより良い結果につながるかもしれない」
他の孤児院に教育が始まれば、最初に始めた孤児院の優位性は下がる。
しかし彼らが真摯に取り組み成果を上げていなければ他の孤児院に活動が広がることはなかった。
それは十分な成果だし、誇ってもらいたい。
特別な文字表を持っているのはその証ということでいいのではないかとクリスは言う。
「そうかしら。それでまた他の孤児院から何か言われる可能性はないの?」
それが贔屓と言われる原因にならないかとエレナが懸念すると、クリスは首を横に振った。
「あえて公言する必要はないけど、いずれは発祥の地って部分はもっと広がることになると思う。それは事実だし、既にほかの孤児院からのやっかみを押さえるためにそう説明しているしね。それに、あの表はあくまで皆がより文字を早く覚えるために必要なものでしょう。豪奢なデザインを加えて渡すのが遅れるより、より多くの人に早く届けた方が、教育は早く進むことになるんじゃないかな?誰のために、何のために作るのかって考えたら、私は国の施策だから教育を優先するべきだと判断するよ」
エレナが目をかけている孤児院の扱いは、国の施策のテストケースの導入に選ばれたというものだ。
だからここでは最大限のものを提供した。
しかし当然効果の薄いものも中にはあって、それを導入したら効率が下がると判断されたら当然無駄なものとして切り捨てる。
周囲は効果のあったものばかりに目が行きがちだが、そこに行くまでに苦難があったのだと、周囲が何か言ってきたらそう伝えて、効果のあるものだけを享受している者たちを黙らせるのが正解だ。




