文字表の簡略化
式典の衣装の手直しの後、エレナと話す時間が設けられることになった。
早速、エレナと向き合った師匠は、エレナに促されて話始める。
「ご結婚の準備でお忙しい中お時間をいただいて恐縮です。先日、孤児院に伺いましたが、見せていただいたエレナ様の作品はとても素晴らしく、感動いたしました」
あの手の込んだ作品を一人で作り上げたことは称賛に値する。
師匠がそう褒めるとエレナは首を横に振った。
「そんなことはないわ。それに、私にはあの刺繍ができるだけの時間がたくさんあっただけだもの」
エレナは職人ではない。
ただ器用なのできれいに作ることはできる。
周囲から見れば職人より洗練されているように見えているのだが、エレナ本人は本職に適うわけがないと思っている。
だから師匠たちなら、時間さえあれば余裕だろうとエレナは思っているのだ。
「それで、見積もりできそうということかしら?」
あまり褒められ続けても困るのでさっそく本題に入ろうとエレナが促すと、師匠が大きく息を吸った。
そして硬い声で言う。
「そうなのですが、少々エレナ様にご相談したいと思いまして……」
「もちろん構わないわ。何かしら?」
師匠が改まって言うため、何か問題があったのかもしれないとエレナが真剣な表情をすると、師匠は用意してきた前置きから口に出す。
「孤児院で見せていただいた表は、とても素晴らしいものでした。院長が使うのがもったいないとしまい込みたくなる気持ちもよくわかってしまうくらい見事だと思います」
「ありがとう。それで?」
「あのままですと、素晴らしすぎて他の孤児院でもなかなか使えないというのと、やはり相応のお値段をいただかないと受注できないというのが結論です」
エレナからすればあれは自分が一人で作り上げたものだ。
当然、作業感から大変なことは理解できる。
けれどエレナがあえて紙ではなく布に刺繍という形を選択したのには理由がある。
あのわんぱくな子供たちに紙を渡したらすぐに使い物にならなくなり、何枚表を作らなければならなくなるかわからないし、紙は不可抗力でダメになりやすい。
ボロボロになった絵本を大事にしているくらいだから、表だって乱暴に扱うことはしないだろうけれど、それでも破損しやすい素材をあえて選ぶ必要はないとエレナは考えたのだ。
そしてこれが間違っているとは思わない。
数が増えれば増えるほど、破損数が増えて、そのたびに作り直すよりは、大変でも一度渡したものを長く使ってもらえる方が後々楽になるはずだからだ。
「それはそうだと思うのだけれど、長持ちさせるにはあの方法が適切だと思っているわ。それに国家事業になるのだもの。法外な額を提示されなければ問題ないと思うのだけれど……」
エレナは口にしながらもう一つの理由を説明する。
最初に孤児院に渡してしまったからというのもあるけれど、国家事業と銘打つ以上、ある程度見栄が必要になると考えている。
長きにわたって使ってもらう予定の勉強道具に手を抜くわけにはいかない。
「それはその通りです。孤児院が大切に使っているのもあって、日に焼けて変色が見られても、破れることもなくきれいな状態でしたから。なので刺繍というのはよろしいと思うのです。問題はその、文字の周囲にある刺繍です。文字がなくともあの部分だけでどれだけ時間がかかるか……」
そう言われてエレナは自分のデザインを思い出しながら首を傾げた。
「せっかくだから気合を入れて手を入れてみたのだけれど……」
「その、できましたらその部分を省略した、文字だけの表にできませんでしょうかと。文字だけでも数が多いので、飾りにまで手をかけていては、量産は難しく、費用もかなり高額になってしまいます。仮に布や糸の質を下げたとしてもです。何よりお針子の手も足りません」
ハンカチにイニシャルと刺繍するのとは違う。
全てのイニシャルを、しかも大きな文字として刺していくのだから時間がはかかる。
量産することになったから、国家事業だからといっても、工房のお針子すべての手をこのために使うわけにはいかないというのも理解できる。
「確かにそうね」
エレナが何かないかと考えていると、師匠が頭を下げた。
「不本意かと思いますが、文字以外の表の刺繍をすべて失くすか、せめて一部にしていただければ職人の負担がかなり軽減されます。そのあたりをご検討いただければと思います」
確かにあの文字表はエレナの自己満足で作られた作品のようなものだ。
しかしこの先、その作品にまで昇華したものを量産させられたら工房もたまらないということだろう。
「お兄様に相談になるけれど、一番大事なのは文字の部分だから、飾りを減らす、もしくはなくすという話については検討の余地があると思うわ」
孤児院の件についてはエレナが即決していいものではない。
エレナに相談してくれているのは、このデザインの作者であるエレナを立ててのことだろう。
エレナがそんなことを思いながら返答すると、師匠は言いにくそうに次の言葉を口にした。
「あと、差し出がましい申し出ですが、もし、了承を得られるのなら、孤児院の女性たちの刺繍の仕事として卸してみるというのはいかがかと思います。一時しのぎになるかもしれませんが、買い取られることが前提の刺繍になりますから、無駄にはなりませんし、バザーで販売するよりはるかに給金が上がります。あくまで一時になりますが……」
院長と話をした時ほどではないが、結局彼らの役に立てることはないかと考えた自分の熱は思った以上に覚めることがなかった。
不敬なことを並べているついでに、意見も伝えてしまおうと師匠がそれを口にすると、エレナは少し黙って考えてから言った。
「一応国から支給されるものだから、きちんとしたものをと思って工房にお願いしたかったのだけれど、そういう考え方もあるわね、でも孤児院のためになるという意見もわからなくはないわ。それもお兄様と相談してもいいかしら?」
エレナも孤児院には思い入れがある。
結果的にどちらが孤児院のためになるかは判断できかねるけれど、そういう意見があるなら検討してほしいと進言するくらいはできるだろう。
エレナが言うと師匠は再び頭を下げた。
「はい。ぜひお願いいたします。急ぎの分や少量でしたらこちらでも請け負うことは可能です。使い分けていただいてもよろしいかと思います」
「そうね。工房はそもそもたくさんの仕事を持っていて忙しいのだもの。まだ先のこととはいえ無理をさせたいわけではないから、その方向で話を進めてみようと思うわ」
「ありがとうございます」
本当なら内容に異議を申し立てているのだから不敬と取られてもおかしくないのだが、エレナがそういうことをしない懐の深い人物であることは長い付き合いから理解している。
きっと悪いようにはしないだろう。
こちらも判断を間違えば工房の経営に支障が出かねない案件だ。
断れないにせよ交渉くらいしなければ、従業員を路頭に迷わせる可能性だってある。
国家事業に関わる名誉と、工房並びに従業員の生活を秤かけたら、後者を取るしかない。
もちろん、この話が全て通れば、先日話した院長の助けにだってなれる可能性がある。
孤児院という場所で、院長が孤高の戦いをしていることが見て取れたので、一時しのぎだろうが何だろうができることはしておきたい。
しかし自分にできるのはここまでだ。
彼女は精神的な疲れを感じながら、叶うかはともかく、申し出のすべてを聞いてくれたエレナに感謝しながら工房に戻る。
そして頭を切り替えて、残されている他の仕事に手を伸ばすのだった。




