デザインの基準
「デザインを考えてみてどう?」
ドレスとスケッチと、刺繍のことに集中してこちらの会話に入ってこないエレナに、母親が声をかけた。
「ドレスがあまりにも素敵だから気後れしそうだけれど、きれいに仕上げられるよう頑張りたいわ」
晴れの舞台の衣装を飾るデザインだからより気合を入れて考えているというエレナの答えを聞いて、母親はため息をついた。
「そうではなくて」
「違うの?」
てっきりデザインの進みはどうかと聞かれたのだと思ったエレナが首を傾げると、母親は頬に手を当てて、困った子だわと言わんばかりに苦笑いを浮かべた。
「こうしてドレスが形になって来たり、自分で刺繍の図案を考えてみて、少しは実感が湧いてきたのではないかしらと思ったのだけれど……」
「実感?」
「ええ」
このドレスは自分が結婚するから、そのお披露目のためにと作られたものだ。
言われてみればそうなのだが、エレナからすると目の前に新しいドレスがあって、これをよりよくするための刺繍を施すのが自分の役割という感覚で、それ以上の感情はない。
「特にないわね。でも言われてみれば、このドレスはそのために作られているのよね」
エレナが素直にそう口にすると、先が思いやられると母親は目を細めた。
「まだその段階なの。先が思いやられるわ。自覚のないままそちらに行くことになったらどうしましょう?」
思わず母親が嫁ぎ先の母となる友人に話を振ると、彼女は他人事だと微笑ましいものねとほほ笑んだ。
「そんなに心配していないわ。もともと頑張り屋さんだし、環境への適応能力も高そうだもの。そのままできてもらって構わないわ。むしろ委縮されるくらいならそのままでいてほしいと思っているのよ」
自分たちの中のエレナは、別荘で過ごしたあの時の印象が強い。
そして今のエレナがあの頃と変わらないことが嬉しいと思っている。
だから変に嫁ぐとか家に入るとか、そういったことを意識をして、委縮されることは好まない。この想像力と行動力が豊かなエレナだからこそ、息子のケインも大事に思っているはずだ。
その長所をあえて潰すことはないと彼女が伝えると、先にエレナが反応した。
「そうなの?」
「ええ。せっかく家族になるのだもの。よそよそしいままなんて、寂しいでしょう?エレナ様には気楽に来てもらいたいわ」
エレナの姑になるケインの母親がそういうのだから、安泰だ。
エレナより先に安堵したのは母親だった。
「よかったわね、エレナ」
「ええ。嬉しいわ。おばさま」
エレナは変わらずにくればいいという言葉を素直にとらえて微笑んだ。
「お母様、少し思ったのだけれど、刺繍のデザインには何か決まりがあるのかしら?」
声をかけられたことで手を止めたエレナがふと気になって尋ねた。
浮かんだものはある程度描き終えているが、そもそもここに描きだしたものが使えるかどうかわからない。
もちろん確認してから刺し始めるから、ドレスがダメになることはないけれど、使えないデザインばかり描いても仕方がない。
エレナの問いに母親は少し考えてから言う。
「特にないから、あなたらしくすればいいと思うわ。来場する女性たちにしっかり見られるものではあるけれど、遠目に目立たせるものではないの。糸は銀か白を使う方が花嫁衣装らしく、品があっていいと思うわ」
デザインについては自由にしてほしいが、とりあえず先んじて気にすべきは色だ。
母親がそう説明するとエレナはうなずいた。
「じゃあ、その色できれいに見える図案を考えた方がいいわね。家紋や、私の印章のデザインなんかも使った方がいいのかしら?」
結婚を意識するよう暗に言われたこともあり、エレナが嫁ぐ先のことをアピールすべきかと尋ねると、王妃は首を傾げた。
「そうねぇ。印象はともかく、どこかの家紋を使うのなら、嫁ぎ先のものを使った方がいいわ」
「確かにそうね」
やはりそうかとエレナはスケッチの端に走り書きを残す。
けれど王妃の言葉には続きがあった。
「でも、あまり家を売り込む必要はないわ。印章はあなたのものだし、これからも継続して使えるようにするつもりだから、そちらをベースにする方が角が立たなくていいでしょう。あまり政治的なつながりを強調するのも考えものだもの」
これまでそれを理由にエレナに多くの制限をかけてきた重鎮たちも参加する。
そんなところにエレナが嫁ぎ先の家紋を刺繍した衣装を着て出て行けば、彼らに対して意趣返し、最大の嫌味となってしまうだろう。
「私にそういうつもりがなくても、相手にそう見えてしまうということね」
エレナがデザインで勘繰る人がいるなんて面倒だと思わず愚痴を漏らすと、母親は真剣な顔でうなずいた。
「そうよ」
「気を付けるようにするわ」
ここで間違えたらこれまでの苦労だって無になるかもしれないし、自分はともかくケインたちに苦労を掛けたくはない。
迷惑になる行為を一つ避けられたのだと思えばいいとエレナはすぐに思い直した。
「そうだわ。もしあなたがあちらの家紋を刺繍したいのなら、ケインのものに入れさせてもらいなさい。それなら問題ないわ」
実家を継ぐから家紋を衣装に取り入れましたと言えるケインのものになら問題ないと母親が言うので、エレナは念のためケインの母親の方にも確認をする。
「おばさまはそれでいいかしら?」
ケインの衣装であっても家紋を借りるので使用してよいか確認を取るべきだろうとエレナが尋ねると、彼女は微笑みながら許可する。
「ご自身のだけでも大変なのに、ケインの分まで考えてもらえて嬉しく思いますわ」
もともとはエレナのドレスの刺繍だけで、エレナをここに留めておくつもりだった。
けれど他にもやらせることができたのならしばらく足止めに困らないかもしれない。
母親たちがそんなことを考えているとh知らないエレナは、率先して自分からやることを増やしていく。
「よかった!ならば、家紋のデザインのわかるものをお借りできるかしら?」
早く作業に取り掛かりたいのでとエレナが頼むと、彼女は快く了承した。
「ええ、次回持ってきます」
「楽しみだわ!」
自分の衣装に使うには王家との繋がりを強調しすぎることとなり、政治的トラブルに巻き込まれやすくなる。
人を集めてお披露目する場だからこそ、アピールが悪い作用を起こす可能性がある。
それならば母親の言う通り、自分に関係のあるものか、政治に関係のないものを使うのが賢明だろう。
ケインと同じ家紋は自分が身に着けるなら嫁いだ後でいくらでも機会があるはずだ。
紋章のデザインが届くのを楽しみにしているとケインの母親に伝えると、エレナは再びデザインの世界に吸い込まれていった。




