クリスの根回し
そうして留学という新しい道筋を提示されたクリスはまず母親を訪ねた。
もし結婚前に留学という話になるのなら、このタイミングで動かなければ間に合わないと判断したからだ。
せっかく行くのなら少しでも長く、学生という身分を楽しんでほしい。
自分は年単位で過ごしたのに、エレナには数日では見学と変わらなくなってしまうからだ。
同時にもしそういう話になるのなら、この件はケインに委ねた方がいいだろうとも考えている。
ここで母親に話をするのは、味方にできればという思いだけではない。
どちらに転ぶかを確認するためでもある。
「クリス、話というのは何かしら。あなたたちの慶事の話だったら嬉しいのだけれど」
面会を取り付けて訪ねてみると、ドアを開けて早々、テーブルに置かれたお茶を置いた手を頬に当てて、到着早々、そう言われた。
そして中に入って座るよう促される。
「残念ながら違うお話ですね」
微笑みながらその質問に答えて席に着くと、王妃はわかってたと言わんばかりに小さくため息をついた。
「あら、残念だわ」
そういう王妃に、クリスは言う。
「でも私たちが入らない方が、母親同士の交流が深まってよいのではありませんか?三人が楽しそうに話しているのをお見掛けして嬉しく思っているのですよ?」
王妃である母親と、ケインの母親はもともと仲がいい。
しかしブレンダの母親とは社交での付き合い程度で、特に深い関係は持っていなかった。
挨拶を終えたらすぐに離れる、その程度の関係だった。
けれどこの先、そんな彼らも皇太子妃。王妃を輩出した家として扱われるようになる。
だからこういう付き合いに参加して慣れておかなければならないのだが、そこに関しては母親がすでにうまくやっているようだ。
そこに安堵していたのだが、母親にはそれが言い訳に聞こえたらしい。
また聞こえるよう調整されたため息が漏れる。
「そんなことを言って。準備が面倒なだけでしょう。ごまかされませんよ。それで話とは何かしら?」
期待をしていなかったとはいえ、少しがっかりした表情を見せた王妃だが、自分たちの結婚式の準備が進められていることは理解しているらしいと気持ちをこらえ、その中でわざわざ時間を作ってほしいと言ってきたくらいだから、余程のことなのだろうと話をするよう促した。
「エレナの心残りを減らすために、エレナに学生生活というものを体験させたいと思っています」
王妃もクリスが人払いをして騎士団長たちと話をしていたことはもちろん知っていた。
機密に近い内容を伝えるとあって、一応クリスから前もって確認されていたし、その件を知る自分たちの側近を陛下も王妃も部屋の周囲に配置し、漏れないことを確認させていたからだ。
立ち合いをすることで傷をえぐられた騎士団長は少し可哀そうに思うが、クリスとしてはあの件を気にしている騎士団長を排除して伝える方が申し訳ないと思ったのだろう。
「これから学校に通わせるというの?それはエレナにとっても負担でしょう?」
学校は基本的に同学年に同年齢が集い交流を深めたり、学業を学んだりするところだ。
そこにすでに卒業している年齢の子を未就学だからと入学させるのは、本人の負担が大きい。
入るまではいい。
病気や家庭の事情などで遅れて入学する人もいるし、前例が多くある。
だからそこまでは何も問題ない。
しかし入ってから向けられる周囲の目が、エレナにとって良いものではないことは間違いない。
お茶会や外交にまで参加できる健康な体を持っているのに、学校に通えないのには事情があるに違いない、本人に問題があるのではないかと、学生ならそうみるだろう。
これまでの功績を知っている人間がそれを言うことはないだろうが、彼らはそういった点が未熟だからこそ学校に通っているのだ。
少なからず心無い言葉を浴びるのは避けられない。
エレナは我慢強いが傷つかないわけではないのだ。
母親がそう心配するとクリスは、わかっているとうなずいた。
「ええ。ですから国内ではなく、国外の学校に留学制度を使っていかせることを検討しているのです。今はそれに向けて情報を集めて、提案に向けた資料の作成を依頼しています」
もともと人払いをして話される内容は、事前に知らされた件だけなら、エレナの過去について話すということだったが、その際、誰かから提案されたのがおそらく留学なのだろう。
確かにエレナは外交の場に出るようになったし、国内で行われる外交の場にもすでに立っている。
だから前のように側近に言われて秘匿する必要はなくなったし、彼の国という他国訪問も無事に成し遂げた。
結果を考えても、エレナを国外に出すことは問題ないと言える。
だからその提案は間違いではないが、非常に時期が悪い。
「おかしなことを言いださないでちょうだい。彼の国へ行って空けていた分の貯まった仕事を片付けているのだから仕方がないと目をつぶっていたけれど、そんなことをしていたの?国を挙げての慶事と、エレナ個人の事情なら、慶事の方が優先に決まっているでしょう。そんなところに使う時間があるのならこちらの仕事をしてちょうだい」
この先のことを考えて、ブレンダたちにエレナのことを話す時間を取ることは許した。
けれど、それ以外は仕事をしていると思っていた王妃は、すでに仕事が終わっているのなら早く支度に合流するべきだと言う。
しかしここで必要な言質は取れた。
クリスは確認のため、母親の主張を流して尋ねる。
「それはつまり、終わってからならいいということですね?」
微笑みながらそう言ったクリスに、その言葉の意図を正しく理解した
こちらが本命かと、王妃は小さくため息をつくと、クリスをじっと見た。
「その時のことは、私には決められないでしょう。けれど、その時が来たのなら、エレナの安全のために協力を惜しむことはしないわ」
これまでだったら、先ほどのように反対すれば話は終わりだった。
けれど今回はそうではなく、きちんと対応策を持ってきていた。
クリスはすでに学校などの選定を始めているようだし、こうなっては止めることは適わない。
どちらにせよ、降嫁先で許可が出れば叶うことなのだ。
ならばここで反対を表明して、クリスやエレナの反感を買うのは得策ではない。
ここでは叶えられないが、その時が来たら協力は惜しまない。
これが自分にできる精一杯だと王妃は言う。
そんな母親の答えをクリスは満足げに受け止めたのだった。




