期待と失望
しかし微笑みを絶やさず彼を見ていたクリスは、彼の想定していない言葉を口に出した。
「と、そこまで肯定的な意見を伝えておいてなんだけど、残念なことに私からその提案をエレナにすることはできないかな」
そう言ってクリスは小さくため息をついた。
これだけの条件を揃えても越えられない何かが存在しているのだろう。
きっとそれは王族か、高位貴族特有の事情だろう。
「そうですか。浅慮で申し訳ありません」
そもそも最初から難しいかもということは伝えていた。
罰せられることも怒られることもないのはわかっている。
しかし反射的に彼が謝ると、クリスは口元に指をあてて言った。
「そうじゃないんだ」
クリスの言葉を真っ先に正しく捉えたのはブレンダだった。
そして肩をすくめて小さくため息をつく。
「ああ、わかりました……」
「どういうことでしょう?」
思わず彼がブレンダに問いかけると、ブレンダは苦笑いを浮かべて答えた。
「クリス様はエレナ様を失望させたくないんですよ」
クリスから確認すればそれは叶うものと捉えられてしまう可能性が高い。
そうなるとエレナの期待値が上がってしまう。
そこでもし、また前と同じように不許可となってしまったら、その失望がより大きなものになってしまうだろう。
「それはクリス様が許可を出せないということですか?陛下方から許可が下りないというお話ですか?」
意図をつかみきれない彼が聞くと、ブレンダはうなずいた。
「その可能性が否定できないからでしょう」
「そうですか……」
確かに自分が語ったこともクリスがそのあと口にしたことも一見何も問題何事のように聞こえた。
けれどクリスだけではなく、王妃教育を受けたブレンダも納得できる何かがあるようだ。
そもそもこの程度で自分が思いつくことなら、彼らにだって考え付いたに違いない。
彼が口ごもると、ブレンダは彼の勘違いに気が付いて続けた。
「でも、他方でエレナ様の意思も確認する必要がありますよね。そのためには申請する前にエレナ様に話をしなければならない。でもまた学校の話を蒸し返すことになる上、また期待させて叶えられなければ、クリス様は再びエレナ様の信頼を失う可能性がありますから」
「それはそうですね」
さすがに同じ失敗を繰り返すわけにはいかない。
そして、二度目の裏切りとなると、失敗した際の溝がより大きくなる可能性がある。
今のエレナがクリスと距離を置いているようには思えないが、確かに両親である陛下と王妃とは少し距離があるように見える。
てっきり外聞を気にしてのことかと思っていたが、今回聞かされた事情が大きく関係していたようだ。
おそらくクリスはこの提案をすることでエレナに距離を置かれたくないということのようだ。
「だから、発案者の君に、その役目をお願いしたいんだけど、どうだろう?」
クリスの私からできないというのは、提案そのものの否定ではなく、自分の口から切り出すわけにはいかないという話らしい。
クリスの言葉からもブレンダの解釈が外れていないことがわかる。
そして一騎士が提案し、却下されるかもしれないけど上に確認してみるとした方が、許可が下りなかった際のエレナの傷も浅いし、クリスも信頼を損なわずに済む。
だからクリスへの提案とエレナへの提案をここでしてほしいということだ。
エレナの性格上、彼が意見をしたところで悪く捉えるようなことがないのは近くで見ていることもありよくわかっている。
そしてここで依頼してきているクリスが不快感を示すことも不敬と断ずることもないはずだ。
自分に不利益がないので、別にその程度のことは請け負っても構わない。
「それは、かまいませんが……」
彼が答えると、クリスは微笑みながら指示を出す。
「じゃあ、さっそくエレナ達を呼ぶことにしようか。限られた期間内でしか動けないからね」
クリスの言葉にすぐ動いたのは騎士団長だ。
「では、外の者に呼びに行かせましょう」
「そうしてくれるかな」
「かしこまりました」
そうして騎士団長はすぐにドアの外にいる騎士に指示を飛ばした。
調理場でお米を食べて満腹になっていたエレナのところに、クリスから使いがやってきた。
エレナは申し訳なさそうに残った後片付けを調理場に頼むと、ケインと共にクリスの元へと向かう。
「お話って何かしら?なんだか随分と仰々しい感じがするのだけれど……」
揃っているメンバーを見て、悪い知らせだろうかと警戒するエレナに、クリスは首を横に振ってそれを大げさに否定した。
「悪い話じゃなくてちょっと相談というか、確認があって呼んだんだ」
そう言うと人払いをして、エレナとケインに着席するよう促す。
ケインはその場になぜかルームメイトが先に来ていることを気にしながらも、クリスの指示に従い、エレナの隣に腰を下ろした。
「それで、確認って何かしら?ケインとのことではないわよね?」
その言葉にケインも思わずクリスを凝視する。
まだ何かあるのかと警戒するケインを見て、クリスは軽く笑うとそれを否定した。
「二人の婚約や結婚については三人の母がものすごく張り切って準備を進めているよ。この先手伝いに呼ばれることもあるかもしれないけど、今日はその話じゃないかな」
ここまできて破談することなど、むしろあってはならない。
横槍が入るようなら、それらを排除する用意がある。
そこまでは口にせず、クリスが用件が違うと伝えると、エレナは首を傾げた。
「そう、問題がないのならいいのだけれど、じゃあ何かしら?」
彼の国からは帰ったばかりだ。
お礼の手紙はクリスの者と一緒に届けてもらっているけれど、その返事が届くにはまだ早い。
そのため他に呼ばれた理由が浮かばないエレナがじっとクリスを見て話を促すと、クリスは口元に指をあてて言った。
「その件についてはね、彼に説明をお願いしたんだ」
クリスがそう言って指したのは、ケインの親友ともいうべきエレナの護衛騎士だ。
今日の彼はエレナの護衛としてはお休みだったはずなのに、クリスに呼び出されたからか、騎士服を身に着けてここにいる。
エレナがケインを見るが、ケインもどうしてこうなっているのかわからないと首を横に振った。
「どういうこと?」
彼に大きく関係することがあるのかとエレナが尋ねると、クリスは真剣な面持ちで伝えた。
「これから先も、彼にはケインとエレナをそばで支えてもらいたいと思ってね、彼もそうしてくれるという話だから、ちょっと深い事情を話したんだ。そしたら、エレナの希望によっては、それに近い環境を整えられるかもしれないということなんだ」
クリスたちにできなかったことだけれど、それを彼なら用意できるかもしれないという。
しかしすでに学校のことなど頭の隅に追いやって思い出すことすらしなくなっていたエレナはそこに思い至らなかった。
それはケインも同じらしく、クリスだけではなく彼の方を探っている。
そんな視線を受けた彼はプレッシャーを感じながらも、悪い話ではないはずだと割り切って無言を貫いている。
ブレンダと騎士団長に至っては空気になるよう努めている。
そうしてしばらく数名が口を開くタイミングを探りあう時間が生まれたのだった。




