家庭教師の差し替え
別の日。
エレナは、今度は女性の家庭教師に尋ねた。
「世の中には花嫁修行というものがあると聞いたの。花嫁修行は素敵なレディの第一歩なのでしょう?私もやってみたいわ」
近くに尋ねることのできる大人が家庭教師しかいないため、エレナは彼女に聞くことにしたのだ。
彼女は貴族女性で結婚もしている。
そのため、普段どのような生活をしているのか教えてもらえるだろうと期待したのだ。
「エレナ様、花嫁修業というのは、お相手が決まってから行うのが一般的なのですが……」
「それは婚約をしてからでなければできないということかしら?」
不思議そうに話すエレナに、家庭教師は説明した。
「花嫁修業というのはそういう意味でございます。お相手の家に合わせて、そこに住みこんでその家のやり方を覚えることでございますから」
「そうなのね」
「ところで、エレナ様は将来どのような女性になりたいのですか?」
家庭教師は降嫁前提で話をするエレナを気にして別の話題を振ろうと質問した。
「そうねぇ……。夫となる方を側で支えられるような女性になりたいわ。貴族の女性はそのように生きていくことになるのでしょう?」
自分の立場について説明されたエレナは、将来自分が貴族女性になるということを自覚したばかりである。
貴族女性として恥ずかしくない教養を身につけることが花嫁修業なのだと知ったエレナは、ケインの役に立てるならと努力することにしたのである。
「貴族女性の教養は裁縫や家の切り盛りなどで確認されることが多いようですよ。裁縫はご婦人がたの嗜みとして、できないと夫が恥ずかしい思いをすることがあるのです。例えば持ち物に刺繍をするのも妻の役目になります。もちろん誰かに依頼することもできますけど、そこは妻としてプライドを持って自分でやる夫人が多いと思います。出来が悪かったり、準備が遅かったりすれば、話の種にされたり夫が恥ずかしい思いをすることもありますからできる方がいいでしょう。花嫁修業に入る前にできるようになっておいた方がいいことの一つですから、各家庭でそういうことを教え込まれます。そういうことのできる女性の方が早くもらい手が見つかりますし……」
貴族女性が学生のうちに学ぶのは、社交界でアピールするためである。
正直、ケインのことしか頭にないエレナにはあまり関係ないが、自分がケインのためにできることを早い時期に増やせるならと考える。
自身の考えがまとまったところでエレナはもう一つの質問をした。
「では、もう一つの、家の切り盛りとはどういうことをするのかしら?」
「言われたことをするだけではなく、使用人たちをうまく使って家が良くなるように、夫が安心できるようにサポートするのが妻の役目と言われています。夫を立てて社交をこなすだけではなく、家で安心して夫が生活できるようにする。まさに家を守ると言うことになりますでしょうか。私の場合は使用人の代わりに料理を作ることもありますよ。私の料理は趣味の延長のような者ですが……。考え方としては王家が国民のことを考えて行動をするのと同じでございますよ」
「そう……」
「社交の話題に多く入れるよう勉学に励み、趣味や活動を増やすご婦人もいます。今の時代の貴族女性に求められることはたくさんございます。ですがエレナ様、エレナ様はおそらく今の年齢の女性にしてはできることをたくさんお持ちだと思いますよ」
確かにエレナが他の貴族女性より勉強時間が長い。
周囲に比較対象がいないので自覚はないが、学校に行けばかなり優秀な成績を収めることができるだろう。
「私、刺繍なんてしたことないわ。お料理も……」
「興味がおありですか?」
「できたほうがいいのでしょう?」
「それはそうですが……エレナ様に必要となるかどうかは……」
おそらく貴族のどなたかと結婚をすることになっても、求められるのは王族と顔をつなぐことであって、一般的な貴族女性としての振る舞いではないことは容易に想像できるのだが、本人にそれを告げる勇気はない。
「できた方がいいのならできるようになりたいわ。学校に通う頃までには皆がそのようなことができるようになっているのでしょう?」
「え……、学校に通う頃でございますか?」
家庭教師は自分の学生時代を思い出しながら言った。
「私は学校に通うようになり、授業が終わって家に帰ってから、親に習わされていたという印象しか残っておりません。今では感謝しておりますが……。なので、エレナ様も今すぐ始めなくても大丈夫でございますよ。もちろん早く始めることに問題はございませんが……」
「じゃあ、やってみるわ。今度教えてもらえるかしら?」
できることそのものが悪いことではない。
できた方がいいことではあるし、本人がやる気になっているのである。
彼女がエレナに逆らうことなどできない。
「か、かしこまりました」
こうして家庭教師はエレナが行う刺繍の手配や授業内容の変更を申請することになるのだった。
家庭教師がエレナの要望を伝えに行くとあっさりと承認された。
そしてどうせ習わせるなら専門の人間を呼ぼうと言う話になり、刺繍は専門の教師が雇われることが決定した。
しかし、自分の授業時間を刺繍の時間に使うようになるということで、最初、彼女は解雇されることになってしまったのである。
それを知ったエレナは両親のもとに直談判に行き、彼女を解雇するなら刺繍はしないと宣言した。
結果、申請した家庭教師は今まで通りの授業を行うことが認められたため、彼女は職を失うことはなかったが、自分の一言で彼女の人生を変えてしまうところだったとエレナは深く反省した。
「ごめんなさい。私が無理なお願いをしたから……」
「いいえ、結果的にこうしてエレナ様の授業を続けられるのですから問題ありません」
「でも……」
自分が断れない相手に無理なお願いをした結果、彼女に不愉快な思いをさせてしまった。
エレナは勉強の中で働く女性が家計を支えているところもあるということを知っていた。
もしかしたら、彼女の家だってそういう家だったかもしれない。
仕事をしなければならない事情などいちいち確認はしないが、多くの使用人たちはお金を必要とするような事情を抱えているのだ。
「エレナ様が大切なことを学ばれたのならそれでよかったのでございます。私のためにわざわざ交渉してくださったのでしょう。ありがとうございます」
「そんなの当然だわ。だって私の意見を通すのになぜあなたが犠牲にならなければならないの?おかしいわよ」
普段は知らないところで行われているため、エレナは初めてこのようなことがあるという事実を知った。
そして、これからはそのようなところにも目を向けなければと心に刻んだのだ。
「それがエレナ様のためと彼らが判断したからです。私たちはお役に立てなくなればお暇をいただくことになっておりましたから」
家庭教師はねぎらいの言葉をかけるがエレナは引かない。
「これからは何かあったら私に言ってちょうだい。できるだけのことはするわ。もちろん優遇はできないし、思った通りにはならないかもしれないけど、今回は不快な思いをさせてしまったのだもの。お詫びがしたいの」
あまりにもかたくななエレナに、家庭教師が折れてこう言った。
「では、エレナ様の結婚式に私たち家族をお招きくださいませんか?普段謁見も叶わぬエレナ様の晴れ姿を私も見たいのです」
「わかったわ。その時はぜひ、ご招待させてね」
すぐにできないお礼だが、必ず守ろうとエレナは決心するのだった。