殿下と野営食
「ねぇ、そろそろ食事なのだけれど、殿下にもお出ししていいのかしら?」
エレナが鍋の前を離れた時点でほぼ完成している状態だった。
いくら何でも他の鍋だって作り終えている頃だろう。
食事を勧めたいと思っていても殿下という客人が来てしまっているので、わざわざそこに声をかけてくる人はいない。
そうなると取りにいかなければならないし、そのついでに皆にも食べていいと伝える必要がある。
さっきまで鍋の前にいたエレナがクリスにそれとなくお使いに行くと申し出ると、先に反応したのは殿下だった。
「お、いいのか?」
野営の食事の貴重さを理解している殿下がここでももてなしてもらえるのかと確認すると、クリスも追い返そうとは考えていなかったようで、エレナに同意する。
「そうですね。せっかくですからテントでご一緒にいかがでしょう?王宮のような準備はできませんし、本当に軽食になりますけれど……」
本来なら他国の高貴な方に勧められるようなものではない。
これが異常事態なら食べるものがあるだけでもありがたいとなるのだろうが、もう彼の国もそのような状態を脱している。
だからクリスたちが訪問可能なのだが、いかんせんここは野営地だ。
宿などの宿泊地であれば、別の対応もできただろうがさすが何もない平原でそれは叶わない。
クリスが申し訳なさそうに言うと殿下は笑いながら、その誘いだけで十分なもてなしだと答えた。
「それでもありがたい。食べてきたとはいえ煮炊きしたものは食べてないからな」
そうして殿下の意思を確認したエレナは立ち上がった。
「じゃあ、持ってくるわ。もし心配があるのなら、入れているところを見ていてもらってもいいわよ。私たちが食べるものと同じ場から入れたものだとわかれば、毒の心配も減るでしょう」
「確かにそうだね」
その言葉を受けてクリスたちも立ち上がる。
「私も運びます。スープを運ぶには手が足りないでしょうから」
「ええ、そうね」
そうして一度全員はテントの中から出た。
動くのはエレナとケインと、入口で控えていたエレナの護衛だ。
残った殿下とクリス、ブレンダはその場から鍋とテントの周囲に目を配る。
そうしてエレナ達が鍋の番をしていた騎士たちに食事を進めるように伝えて、全員分のスープを入れた容器とかごに入れたパンを手に戻ってくるまでを観察していたのだった。
それらの領地を持ってテントの中に戻ったエレナ達は、先ほどとほぼ変わらぬ位置に腰を落ち着けると、料理を食べ始めた。
最初に毒見と称して手を付けたのはケイン、それにエレナとブレンダ、クリスが続く。
そして最後、殿下がスープに口を付けたところで感想を述べた。
「やはり味付けや材料は違うが、充分良い味が出ていると思うぞ」
食文化は違うが美味と感じられる食事が提供されている国の野営食だ。
自国のものをふるまった際、この国の騎士たちに絶賛されたが、ここの食事もなかなかのものではないかと殿下は言う。
あの時の彼らは世辞を言う余裕などなかっただろうし、嘘を言っているようにも見えなかったと報告を受けている。
しかしこの味を考えると、あまりにも自分たちの腕を卑下しているか、こちらを褒めたことが大げさに思える。
彼らが極限状態だったことや、感謝を込めてこちらを立ててくれたのだろうと、そんなことを思っていると、エレナが安堵の息をついた。
「お口に合ったのならよかったわ。最低限のもので作れるよう、色々研究した甲斐があったというものね」
まさか他国の殿下にふるまうことになるとは思わなかったが、元がどれだけひどいものかは想像でしかないものの、少しでも改良しておいてよかったとエレナは思う。
そして騎士団もこの展開は予想していなかったはずだが、きっと同じことを思っているだろう。
「自ら研究したのか?」
殿下が怪訝な顔をして尋ねると、その迫力に押されること鳴くエレナは答えた。
「ええ。持ち込める材料だけで、少しでもおいしいものを作れるように、食べられるようにって、料理長と一緒に色々工夫したのよ」
「なるほど、それを騎士団に伝授したというわけか」
殿下がそう感心していると、エレナがそれは少し違うと笑った。
「指導は料理長がしたのよ」
その言葉に殿下は眉を動かす。
「それはまた随分と贅沢だな」
「料理長から直々に学ぶことができるなんて、調理場でもなかなかないの。だからとても贅沢なことね」
調理場の序列を考えればそうだが、騎士団と調理場を序列に当てはめると基本的に調理場が下になる。
だからせめて最上位を出そうという話になったのだが、文化の違う殿下の中では少々捉え方が違っていた。
「騎士が調理に前向きというのは、料理長をも動かすものだったということだな」
殿下が感心していると、ブレンダがそれを否定することなく続ける。
「騎士団長やクリス様に嘆願が届くくらいでしたね」
「そうか」
殿下は調理の目標に関して、発想を転換するという点に思うところがあったらしい。
「私は現場を知らないけれど、そちらの国では炊き出しなどは続いているのかしら?」
エレナが殿下に尋ねると、殿下は自分の考えを頭の片隅に押しやって質問に応じた。
「まあ、国民が飢えぬよう、行っているところもあるな。ただ、施しを受けることに慣れた者は怠惰になる傾向にある。それを踏まえて、間隔を空けて行うことにしている」
飢えで殺すつもりはないが、施しを受けるのが当然と考えるような怠惰な国民を作るつもりもない。
そこは食糧事情も含めて調整しているところだと殿下が言うと、エレナが興味を持ったのはそこでふるまわれている料理の方だという。
「そこでは、ケインたちが食べたようなものが振舞われているの?」
「まあ、そうだな」
「できればその調理を実際に見てみたいのだけれど……」
エレナがそう口にすると、殿下は少し渋い表情を見せた。
こちらとしては構わないが、一応彼らは客人だ。
「殿下自ら炊き出しの手伝いをしようというのか?」
「ええ。もてなされるためだけに訪問するつもりはないの。それに国内の実態を把握するには庶民の暮らしに触れるべきでしょう?」
孤児院のこともあり、エレナ自身がそこに加わることに抵抗感はない。
炊き出しは相手が代わったり、分量が増えたりするだけだろうと、今日の支度を見ながら思っていた。
だから自分にもできることがあるはずだという。
「ずいぶんと志が高いのだな」
「このような機会、次がいつになるかわからないもの」
エレナがじっと殿下を見てそう言うと、さすがにクリスの手前気まずそうに答えた。
「安全に過ごして、無事に帰国してもらうだけでこちらの目的は達成されるのだがな……」
「それが本来の私たちの役割ですからね」
クリスが殿下の言葉に便乗する形でエレナに告げるが、その程度のことで曲がるエレナではない。
二人の間で視線が戦う。
様子を見る限り、どっちもどっちで決着がつきそうにない。
そう判断した殿下が間に入った。
「だが、その心意気は嫌いではない。善処しようではないか」
そうしてエレナの申し出を殿下は持ち帰ると言った。
安全なところを通り行って帰るだけという予定で話を進めていたのだから、表向き調整が必要なのは当然だ。
しかし実のところそんなに難しいことではないので、本当なら即答で了承できたのだが、それをするとクリスの反応が思わしくないだろうと判断し、あえて持ち帰ると説明した。
クリスはそれを察したのか、微笑みを絶やさないまま少し不機嫌な様子を匂わせたが、一方のエレナは、どうやら希望がかないそうだと嬉しそうに微笑んでいる。
そうして一見和やかな調整という名の会食は終了したのだった。




