平和の弊害
テントを出れば目の前の広い空間のいくつかから湯気が立ち上っている。
そこにはいくつかの大鍋を囲み、楽しそうかつ真剣に調理にいそしむ騎士たち、そして一つは先に完成したのか、すでに配膳が始まっていて、各々が食事を開始している。
ここは野外のため、すべて揃って皆で食事というわけにはいかないので、取れる人から順次済ませていく方式だ。
そして食事が終われば、これまで食べていなかった人と任務を交代することになる。
貴族社会だけの話であればここで最初にクリスたちに食事を提供するべきかもしれないが、ここは野営地であるため、食事は騎士が先行して取ることになっている。
「改めて見ると、なかなか大規模だが、和やかな食風景だな」
さっき通った時はまだ作っているところだったのでさほど気にならなかったが、こうして食事をしている人たちを見れば、自国の騎士たちとは明らかに違う。
死と隣り合わせの食事とは異なり、殺伐としたものが抜け落ちている。
殿下がうちもこのくらいには落ち着きたいものだと希望を込めてそんなことをつぶやくと、クリスは小さく微笑みながら当たり障りなく答えた。
「連れている人数が多いですからね」
クリスの言葉を聞きながら視線は炊き出しの人たちをしっかり観察している。
その中に殿下はエレナの姿を見つけたようだ。
「なるほど。あそこにいたのか。騎士に囲まれると隠れてしまうのだな」
「背は高くないですからね」
エレナは普通の女性と比較しても小柄な方だ。
それが体格のいい騎士に囲まれているのだから、見えなくても仕方がない。
随分と厳重に囲んでいるのだなと思わなくもないが、どうやらそれは守りのための囲みではなさそうだ。
騎士に囲まれたエレナは楽しそうにお玉を持ってそこにいる騎士たちと話している。
拓けた場所だし、近くにはケインとブレンダがいるので、囲んでいる大半が男ばかりでも問題ないのだろう。
それに気づいた殿下は目を細めた。
「最初の頃に趣味で料理をすると言っていたか。それで騎士に混ざって調理をしていると」
殿下がそれとなくこの状況の説明を求めるとクリスは苦笑いを浮かべた。
「ああ、混ざってというより、指揮を執っているのだと思います」
孤児院で見たエレナに感銘を受けて、調理に関する指導を希望してきたというところまでを殿下に話したわけではない。
実際騎士団からその希望が上がってきても矢面に立たせたのは料理長だ。
その意図を察せられないほど騎士団のメンバーは察しが悪いわけではない。
だから準備などは自分たちで進めてきたし、ここで腕を見てもらおうと気合を入れて取り組んでいたのだが、エレナが一緒にと声をかけてきたのならそれを断る理由はない。
エレナの指導でより腕を上げてやろうと、非常に前向きな騎士がエレナを真似るだけでなく、指示を仰ぎ始めたため、結果孤児院の時と似たようなことになっただけである。
そしてほぼ確実にエレナが作ったものが一番良い味になっているはずで、作り手がエレナであることから、その鍋のものが手元に回ってくるだろう。
クリスがそんなことを考えていると、隣に立っていた殿下がエレナのよどみない動きに感心しながら言った。
「ほう。エレナ殿下の腕はそこまでということか。それはぜひ、私も混ざって学びたいところだな」
騎士たちが指示を仰ぐ腕前というのなら、戦場で調理の経験のある自分にも学ぶところがあるかもしれないと殿下が申し出るが、クリスはさすがにそれを断った。
「ご遠慮ください。うちの騎士の方が恐縮しますから」
「それもそうだ」
クリスから断りの理由を告げられた殿下は、軽く鼻で笑いながらもエレナの方に視線を戻した。
クリスも同じように殿下に向けていた視線をエレナと、そして騎士たちに向ける。
「ですが、騎士たちが調理に積極的になったのは、先日の戦の同行のおかげですね」
「そうなのか?」
これまで炊き出しを積極的にしようという人はいなかった。
しかし今は違う。
エレナに近付こうという下心を含まない、純粋な向上心でエレナを囲んでいる。
この変化は、明らかに先の戦への同行が大きく影響している。
詳細はともかく殿下にその感謝を伝えると、殿下は首を傾げた。
「これまで本当の意味で追いつめられる経験がなかったので、その環境に触れたことで心境の変化が大きかったようです」
クリスの言葉に殿下はさらに首をひねる。
「トラウマにならなかったのはよかったと思うが、それが調理に向くとは想定外だな」
実戦をさせなかったとはいえ、戦の悲惨さのようなもので沈み込んだり、精神を病んで使い物にならない騎士が出る可能性は考えていた。
だからクリスにもケアできる人を用意するよう伝えてあったのだ。
だからまさか、戦に参加して、炊き出しや野営の食事を向上させようなどという方向に昇華されるなど想像すらしていなかった。
「それだけうちの騎士団の野営食が酷いものだったということでしょう。そして戦場という環境の中でいただいた食事がこれまでと違って驚いたのだそうですよ」
クリスが苦笑いを浮かべると、殿下も似たような表情になる。
まさかうちの騎士の強さや勇敢さに対する尊敬ではなく、提供された些末な料理に感銘を受けられるなど想定外にもほどがある。
何より、こっちは物資の提供を受けなければならないレベルで食料難を起こしていた。
支援を受けたこともあってこちらとしてはかなり潤沢な部類に入る食事だったとはいえ、所詮は戦飯、送り出しの際や戻った際に提供された豪華な食事と比較したら雲泥の差だ。
そのようなものを食べ鳴れているであろう騎士たちから評価されるような食事を提供した覚えはない。
「普通だと思うがな」
評価を受けているものを卑下する必要はないし、あの環境の中で提供できる上質なものであったことも間違いない。
けれどそこまで過剰に反応するようなものかと考え込む殿下に、クリスはやはり苦笑いを浮かべて答えた。
「聞いた話では、野営の食事は食材を食べられるようにするだけのもので、おいしいものではなく、食べるのは苦行の一種ということでしたから」
食材の大切さを信条にしている調理場のメンバーが話を聞いて愕然としていたし、そもそも料理をされるために命を奪われた食材からしても失礼な話だ。
もともと、食べる側が命懸けでないからこそ、単なる苦行、話のネタになるくらいしか身になるものがないというのが炊き出しのポジションだったが、戦場というのは食べ物一つ水一杯が手に入らない環境で、食事の場というのが唯一、一息つける場所であることを知って、これから先、戦がなくとも実は食事を非常に大切なものであると認識を改めたらしい。
「そうなのか。それは騎士であった婚約者殿にも聞いてみたいところだな」
殿下が過去形で話したのであれば、それは指名に等しい。
おそらくその相手なら、フラットな意見を出してくると、殿下はそう判断したのだろう。
「わかりました。ブレンダを呼びましょう」
クリスはそう言うと近くの騎士に声をかけ、ブレンダを呼びに行かせるのだった。




