庭師が使うもの
剣の訓練にてこずっている間も、エレナは調理場に顔を出したり、掃除や洗濯をしたりということを続けながら、時々温室に植物を見に立ち寄るようになった。
エレナが一度作業をした場所にちょくちょく顔を出すようになるのは今に始まったことではない。
調理場や洗濯場がいい例である。
そこに最近では訓練場も含まれるのではないかと言われるくらい、エレナは部屋から出歩くようになっていた。
温室はそもそも王族が気分転換をしたり、室内に飾る花を年中育てたりするためにあるので、特に出入りをするのに制限はない。
温室の中には椅子やテーブルもあるので休憩もできる。
最初に温室へ向かった時は、一人で勝手に土を耕したりしないかひやひやしていた侍女たちも、紙とペンを持っていきテーブルで何かを書きつけている様子をみて、問題ないと判断し何も言わなかった。
むしろ、この時だけは女性らしく静かな時間を過ごしてくれると安堵するようになったほどである。
そんな侍女たちのことなど気にする様子もなく、エレナが考えていたのは温室の中の植物を使った刺繍のモチーフである。
エレナが足を運ぶと作業している人はすでにおらず、ここに何人の人がいて、どのように働いているのかはさっぱりわからなかったが、この温室を管理してくれている庭師たちにも場所を貸してくれたお礼をしたいとエレナは思っている。
それは掃除や洗濯を教えてくれた人たちには大判のハンカチに刺繍したものを渡せたのに、ここを管理している人には何もしないというのは気分がよくない。
だから同じように、作業で使える刺繍をしたものをと考え、まずはここにある植物にどのようなものがあるのかを見ていくことにしたのである。
エレナが頻繁に足を運ぶようになっただけで庭師たちのテンションは上がっていたのだが、彼らとエレナが顔を合わせる機会がないため、エレナはそんなことは全く知らない。
エレナはというと、温室を一ブロック見てはテーブルについて、そこにある植物のモチーフを考えて書きとめて帰るということを最初は続けていた。
そしてそのモチーフがいくつか出来上がってから、自分が鍬を握った時のことを思い返した。
自分より年下の少年が見本を見せてくれた時、頭には何もしていなかった。
もしかしたら庭師は室内の使用人たちのように大判のハンカチを使うことはないのかもしれない。
そこでエレナはこのモチーフを何に刺繍すればいいのか考えるところから始める必要があることに気がついたのだった。
訓練の日。
エレナは思い切ってブレンダに相談することにした。
「ねえブレンダ、温室を管理している庭師たちって、頭にハンカチをして汚れないようにとかしていなかったわよね」
訓練のために元モップの柄を持ったエレナがブレンダに尋ねた。
「どうされましたか?急に……」
「いえ、掃除をしている時や洗濯場の人たちは作業の時に大判のハンカチを頭に巻いて埃がつかないようにしているでしょう?調理場でも髪の毛が入らないように帽子か布を使うのだけれど、彼らはそういうものは使わないのかしらって思ったの」
ブレンダは少し考えてから答えた。
「……そうですね、彼らはその必要がないのではないでしょうか?」
「どうして?」
「庭師は侍女たちや料理長たちと違って、作業後すぐにお客様の前に出ることはありません。そもそも彼らは貴族ではありませんし……。それに先日、土をいじってみてお分かりになったかと思いますが、ここでの仕事はかなり汚れがつきます。それは掃除や調理の比ではありません。エレナ様もお部屋にお戻りになってすぐに湯浴みをされましたよね」
「そうね……。皆にすぐ体を洗われた気がするわ……」
ブレンダにエスコートされつつ、半分は抱えられる様にして部屋に戻ったあとのことを思い出しながらエレナは言った。
正直、疲れすぎていてどのように自分が湯浴みをしたのかはよく覚えていない。
ただ、しっかりと目覚めた時、紙も体もきれいに洗われ、着替えさせられていたので湯浴みをしたことは間違いない。
「庭師たちもすぐにとはいきませんが、一日仕事をしたらすぐに全身の汚れを落としますから、部分的に汚れないようにというものはあまり使う必要がないのではないかと思いますよ。それに、これは騎士団の訓練もそうですが、一日体を動かしていることになりますので、かなり汗をかきますし、全てを終わらせて全身を洗ったほうが早いでしょう」
ブレンダの説明にエレナは納得した。
そして同時に自分が考えていたプレゼントは役に立たないこともよくわかった。
「そうなのね。それじゃあどうしようかしら?」
「何かお悩みですか?」
「ええ、庭師たちにも場所を借りたお礼に何か刺繍をしたものを渡そうと思ったの。前に掃除や洗濯を教えてくれた室内の使用人や侍女、調理場の人たちは、大判のハンカチに刺繍をしたものをあげたのだけれど、使わないのなら別の物の方がいいわよね」
エレナがほとんど話してもいない庭師にそこまでしようとしていることに少し驚きながらも、ブレンダは少し考えて提案した。
「それなら、首からかけて使用する細長いタオルなどはいかがでしょうか?彼らはよく首からタオルを下げていて、それで汗を拭いたり、洗った手を拭いたりしています。刺繍が大きいと糸が水をはじいてしまって汗や水を吸いにくくなりますから、端に小さいものを入れるのがよろしいかと思います」
「さすがブレンダだわ!ブレンダ達もそういうタオルは使うの?」
「私たちでございますか?……そうですね、訓練の際に首にかけておくようなことはしませんが、近くに置いておき、終わったら使いますね。首に引っかかるものを下げた状態で訓練するのは危険ですから」
「そう……」
せっかくだからブレンダや騎士団長にもと思って聞いてみたが、確かに不要な長いものを首から下げておくのは武器を使う際、動きの妨げになる可能性がある。
そう言われてエレナは少し考え込んだ。
しかしここで結論を出す必要がないとすぐに割り切って、エレナはブレンダに別の質問をすることにした。
質問を変えればブレンダたちにプレゼントしようと考えたことは知られないだろうと思ったのである。
「もし知っていたらでいいのだけれど、この王宮の庭を管理している人って何人くらいいるのかしら?」
「私も詳しくは存じませんが、十人もいないのではないでしょうか。私が見かけるのは先日の少年と、その親方とあと二名くらいですね。温室と庭園の管理をしているのは同じ庭師たちのはずですし、農業をするわけではないので、毎日広大な土地を耕すわけではありませんから、そんなに大人数を雇用する必要はないはずですから」
護衛騎士は街や王宮内の見まわりもしているというが、そこまで詳しいとは思っていなかった。
エレナは思わず感心したように言った。
「ブレンダは色々知っているのね」
「庭師たちとはたまに雑談するんですよ。ですから、先日もあの場所を耕すことを知っていたのです」
まさか時々手伝っているとも言えずブレンダは言葉を濁した。
するとエレナは少し落ち込みながらつぶやいた。
「……少し羨ましいわ」
「エレナ様はお話できませんでしたものね」
「ええ。それにあれから何度か温室に行っているけれど、私が言った時に作業をしている人はいないから話しかけることもできないわ」
エレナが見たのは作業の前に見本となった少年だけである。
本当は遠くで見守っていた庭師がいたのだが、彼の存在にエレナは気がついていなかった。
だからどんな人がいて、どのように作業をしているのか全く分からないのである。
ただ、いつ行っても温室はきれいな状態が保たれているので、常に誰かしらが手を入れていることはわかる。
「普通は人のいるところで作業は行いません。温室は来た人が植物を楽しむためにあるのですから」
ブレンダの言葉でエレナは掃除の時に言われたことを思い出した。
「お客様が来る時に掃除をしている人がいないようにするのと同じなのね」
「そうですね。あと植物は生き物ですから植えたりするタイミングなどはございますね。庭師の判断になりますが、気候や土の状態などから判断するそうですよ」
「色々あるのね。でも、ブレンダのおかげで彼らにプレゼントするものが決まったわ。ありがとう。……完成するまで内緒にしておいてくれるかしら?」
正直、いつ完成するか分からない。
大判のハンカチをイメージしていたので、小さいモチーフはできていないのだ。
十枚作るとして、ワンポイントの刺繍であればそんなに時間はかからないのだが、期待して待たせて遅くなってしまっては申し訳ない。
「はい。かしこまりました。きっと皆、驚くと思います」
ブレンダが口外しないと約束してくれたことに安堵して、エレナは元モップの柄をしっかりと握った。
「迷いが晴れたから、今日も頑張れる気がするわ!」
「では始めましょう」
こうしてその日は少し遅めに練習を開始することになるのだった。




