彼の国からの招待
孤児院から戻ったエレナと先生が報告のためクリスのもとを訪ねると、クリスはいつも通り迎え入れてくれた。
「エレナ、おかえり」
「ええ……」
理解も納得もしているが、道具作りの件が引っ掛かっていたエレナの表情は少し曇ったままだ。
それを見逃すクリスではない。
「どうしたの、浮かない顔だね」
クリスが言うと、エレナはため息をついた。
「道具作りが中途半端なところで時間が来てしまったから、心残りがあるのよ。仕方がないのは分かっているけれど……。でももう大丈夫よ」
馬車で先生に言われて気持ちの整理そのものはできている。
あとはそれを自分の中で消化するだけだと言うとクリスはそれ以上聞くことはしない。
そしてまずは、二人から今日の報告をあげてもらう。
活動報告を聞いたクリスは、そこでエレナが残って作業したいとか、持ち帰って作りたいと言い出さなかったエレナを内心褒めながら言った。
「わかった。以上だね。ありがとう。とりあえず早く戻ってきてくれてよかったよ」
クリスの最後の言葉にエレナは首を傾げた。
「何かあったの?」
案の定、含みを持たせた言葉に食いついたエレナに、クリスはすでに確認済みの手紙を差し出した。
「彼の国の皇太子殿下から手紙が来てる」
「まあ。随分と久しぶりに感じるわね」
そんなに期間があいたわけではないが、向こうが忙しいこともあり、やり取りが減っていた。
一度表に顔を出したエレナは、他国との手紙のやり取りもそれなりに増えていたが、基本的にあいさつ程度のやり取りしかなく、定型文を送り返すのみで、特に中身のあるやり取りはしていない。
しかもお礼状以外で、こちらから手紙を出すなどしておらず、本当に交流があると言えるのは彼くらいのものだ。
クリスの立太子の発表、国内に向けたケインとの婚約を発表した場で、奔放に見せかけてこちらの協力をしてくれた殿下のおかげで、粉をかける程度の相手が一掃されたことが大きい。
本当なら多くの誘いがあってもおかしくない立場だが、誘いが来ないのは彼の国を警戒してのことだろう。
そしてこれまで交流のなかったエレナは、この状況をそんなものだと捉えている。
普通ならお披露目された王女なのに、どこからも誘いがないと焦るのだろうが、鼻からそのような下心など持ち合わせていないエレナは気にも留めていないらしい。
この先、社交に置いてそれでは困る気もするが、エレナの貰い手はすでに決まっているし、その相手となるケインも、どちらかと言えば気にしないタイプだから、それを苦に思うことはないのだろうが、あまりにも無頓着では困る。
まあそれは、後々ケインの両親から学ぶことになるだろうから、一旦置いておいていいだろう。
クリスは頭の中で二人の先々を思いながら、目の前のエレナを見た。
「一時期のやり取りが多すぎたんだと思うけど……、まずは確認してごらん」
「わかったわ」
一通り手紙の内容に目を通したエレナは、大きく目を見開いて顔を上げた。
「ご招待、でいいのかしら?」
確かに彼は来ればいいと言っていた。
彼が社交辞令だけでそれを言うとは思っていなかったので、いつかは足を運べるだろうと思っていたが、それはあくまでこちらが申し出て、了承をもらう形になるとエレナは思っていた。
しかも彼の国が終戦を発表してから日が浅い。
日常を過ごすなら短くはない時間だが、国を整えるのには短い。
さすがのエレナでもそのくらいは理解できる。
しかしこうして招待を受けたということは迎える準備は整ったということなのだろう。
エレナが思わず感心を隠さずクリスに言うと、クリスはその情報を正しく受け取ったエレナの成長を感じながらうなずいた。
「そうなるね。私たちも一緒だよ」
クリスがそう言って視線を向けた先にはブレンダがいる。
「お兄様だけではなくブレンダも?」
「はい」
エレナの問いに先に答えたのはブレンダだ。
「本当に四人で行くことができるのね!」
孤児院での憂いはすっかりどこかへといき、一気にエレナの表情が晴れる。
「随所に確認は必要だけど、断る理由はないよね」
「ええ。もちろんよ」
自分は問題ない。
こうして話をしている時点でクリスの方も問題がないということだろう。
あとはブレンダとケインだろうが、これは公務としての参加だろうし、承諾を得る先は家族だけだ。
彼らは当然遠巻きに殿下たちとのやり取りは聞いていただろうから、それが現実になったところで反対はされないだろう。
つまり今のエレナの回答が最後の確認である。
「騎士たちにも気を引き締めてもらわなければいけないかな」
「そうですね」
彼の国が終戦を宣言してからまだそんなに経ってはいない。
先日、この時に備えて訓練と称し、厳選されたメンバーを孤児院に同行させたのだが、よほど楽しかったのか、逆に浮足立ってしまった者がいる。
もちろん羽目を外すような人間は最初から選抜されていないが、同じ調子で参加されては困る。
これについては騎士団長を交えて話をする必要があるだろう。
クリスがそんなことを考えていると、これまで黙って話を聞いていた先生が口を開いた。
「クリス様、彼の国へは、いつ頃出発なさる方向なのですか?」
「ああ、まだ時間はあるけれど、何かある?」
確かに自分たちが出発してしまったらしばらく連絡が取れなくなる。
その前に孤児院でエレナの代行をする先生としては確認したいこともあるだろう。
そう考えてクリスが聞き返すと、先生は首を横に振った。
「いえ、出立なさる前に、もう一度エレナ様が孤児院へ行く余裕があればと思いまして」
先生の答えを聞いたクリスは、先ほどの報告内容を振り返って微笑んだ。
「ああ、道具の完成を見せたいってことだね」
「ええ。そうですね」
本当はできれば集団学習の中に混ざってもらい、体験してほしいと考えているが、それはあえて口に出さない。
先生は訪問することさえできれば、結果をそちらに持っていくことが可能だと考えているからだ。
「準備期間内の一日くらいならどうにでもなるよ。でもあまり早いと道具が完成していないんじゃないかな」
クリスの言葉にエレナが言う。
「とりあえず孤児院の方は確認と調整をしてみるわ。先生のご予定は?」
「私はこの期間、できる限り空けておきますから、孤児院とエレナ様のご予定を優先なさってください」
彼ら王族からの命なのだ。
よほどのことがなければ一貴族が断ることなどできないし、理由を話して断れない予定などそうあるものではない。
だから問題ないという意味なのだが、エレナは先生の言葉を素直にとらえてお礼を伝える。
「先生ありがとう!」
嬉しそうに言うエレナを、クリスは小さくため息をついてから諭した。
「そうだね。使い方を教えるところまで見ておいた方がきっといいと思う。それも殿下への土産話になるだろうから」
「そうね。そうなるよう、きちんと学びたいと思うわ」
彼の国との日程調整を進める今の段階ならどうにでもなる。
けれどこうして向こうがわざわざ招待をしてきたということは、彼の国側、もしくは殿下に思惑があって、できるだけ早く来てほしいと、そういうことだろう。
そうなると国を離れることになるし、戻った頃には各々の準備に加わらなければならない可能性が高い。
もともと忙しくなることが前提で、孤児院の指導を先生に託すことが決まったので、表向きは何の問題もないのだが、このままではエレナの気持ちが置き去りになってしまう。
こちらでもできる限り配慮はするけれど、これについては相手のあることだから、こちらの都合だけで動くことはできない。
やるならできるだけ早く済ませてもらいたい。
それまでの都合はどうにかする。
大義名分など、後からいくらでも追加で盛り付けてそれらしくすればいいのだ。
クリスが微笑みながらそんなことを考えていると、思案内容に気が付いた数人が顔を見合わせる。
そしてなるようにしかならないと、腹をくくるのだった。




