クリスからのアドバイス
エレナがブレンダとお茶をしながら話を始めてほどなく、温室にクリスがやってきた。
クリスはエレナの方にまっすぐ向かってくる。
「お兄様、本当に来てくれたのね!」
お茶を置いて立ち上がるとエレナはクリスの元に駆け寄った。
「約束したでしょう?」
「嬉しいわ!」
駆け寄った勢いでエレナはクリスに飛びついた。
クリスはそんなエレナを動じることなく受け止めて頭を撫でた。
「エレナに飛びつかれたのは久しぶりだな。そんなに喜んでもらえて嬉しいよ。それでエレナは温室に何を見に来たの?」
「そうだったわ!この花壇を見に来たのよ」
エレナはクリスから少し離れて、花壇の方を差した。
「季節の花壇だね」
「そうなの。この花壇のレイアウト、私のハンカチのデザインを再現したものなんですって!今日は違うものだけれど、こうして私が頭に着けているのを見て、それを取り入れてくれたというのよ」
エレナが持っていたハンカチを三角に折って頭に当てて見せた。
「ブレンダが見せたかったっていうのは、エレナのデザインが花壇で再現されているのを知ったからだったんだね」
クリスが納得したように言うと、エレナは頭に当てていたハンカチを下ろして畳み直しながら言った。
「それだけじゃないわ。私も前に来た時に土だけだった花壇がどうなったか見たかったもの。だから気にしてくれていたのよ」
「エレナは最近ここに来たの?」
最近は執務でバタバタしていてエレナの動向に気を配っていなかった。
炊事に洗濯、時々訓練場と、貴族の女性らしからぬ行動をしていることは知っていたが、温室に来たという話は聞いていない。
「ええ、ここに花が植えられる前に来たのよ」
「何もない花壇で何をしていたの?」
クリスは嫌な予感を覚えながらエレナに尋ねた。
「実はね、少しお手伝いをさせてもらったの。でもお兄様、私はこの辺りの一列しかできなかったわ。とても時間がかかったのよ」
「エレナが植えたの?」
「違うわ。耕しただけよ?」
「耕した?」
「ええ」
エレナは目を輝かせているが、クリスは頭を抱えたくなった。
植えることと、耕すことをエレナが間違えて説明するわけがない。
ブレンダが誘ったというのだから事情はブレンダから聞いた方が早いだろう。
そう判断してクリスはブレンダを呼んだ。
「ちょっと、ブレンダ、どういうこと?」
二人の光景を離れたところで見ていたブレンダはクリスの側に行くと平然と答えた。
「騎士団長が、エレナ様に頼まれて剣の使い方をお伝えしようとしているのですが上手くいかないと相談されまして、力いっぱい振り上げて、振り下ろす、ということを体感してみたら、もしかしたら感覚がつかめるのではないかと考えまして、試しに鍬を持っていただきました」
「それでエレナは……」
「後半コツをつかまれたようで、お一人で耕しておりました」
感心したようなブレンダの口ぶりに、クリスは大きくため息をついて言った。
「そうじゃなくて……、何でそうなっちゃうの?」
「何で……とは?」
ブレンダが首を傾げているため、クリスはさらに頭を抱えたくなった。
「だって、剣を習いたいのに鍬って、鍬を振り回して戦うって農耕民族の反乱になっちゃうでしょう?」
「いい例えですね」
「そんなところで褒めても、何も出ないからね?」
エレナの庶民化に拍車がかかるのではないかとクリスは不安でたまらない。
そんなクリスにブレンダはさらによくわからないことを言い出した。
「ではクリス様、私の剣を使って構えてみてください」
「いいけど、唐突でよくわからないよ」
そう言いながらも、ブレンダから鞘ごと受け取った剣を構えた。
周囲への配慮も考えて鞘のついたままである。
するとそれを見ていたエレナが感嘆の声を上げた。
「お兄様の剣を持つところ、初めて見たわ!」
「さすがですね」
エレナだけではなくブレンダにも褒められたが、現役の騎士に褒められてもなんだか気恥ずかしい。
クリスはすぐに剣を下ろすとブレンダに剣を戻した。
「はい、ブレンダ、返すよ」
ブレンダがその剣を受け取ってからクリスはエレナに言った。
「確かにエレナと訓練することはないから、見せたのも初めてかもしれないね」
エレナはクリスに言われて大きくうなずくと、ブレンダの方をじっと見た。
ブレンダが手にしている剣を見ながら、クリスもブレンダも剣を簡単に扱うことができるのにと少し落ち込みかけていると、ブレンダがエレナに声をかけた。
「エレナ様も持ってみますか?」
「いいの?」
「鞘から出したり振ったりしなければ構いませんよ」
「じゃあ、やってみたいわ!」
エレナはそう言ってブレンダから剣を受け取った。
そして早速構えてみようとする。
鍬を握って以降、エレナは訓練場へ行っていない。
鍬で土を耕すコツのようなものは掴めた気がするが、それがブレンダの言った通り剣に活かされているのかを確認できていないのである。
ここで剣を持つことができたら少しは自信が持てるかもしれないとエレナは真剣にブレンダの剣と向き合うことにした。
まずは持ちあげるところからだと、エレナは鍬の要領で刃に当たる部分が上を向くように縦に持ち上げた。
その様子を見ていたクリスは心配して思わず口を出す。
「エレナ、今は刃が出てないけど、剣でその持ち方をしたら片手が切れちゃうよ?」
鍬のように幅広く剣を握ったエレナにクリスが言うと、エレナは自分の握っている場所を見て唸った。
「言われてみればそうよね。せっかくできるようになったと思ったのだけれど……」
確かに剣はまっすぐ上を向いて持てている。
エレナにとってはそれだけでもかなりの進化だが、経過を知らないクリスは不安そうにしている。
「エレナは刃の近くを持ち過ぎなんじゃない?柄にもこれだけ長さがあるんだから、柄の離れたところを持ってみたら?後ろから支えてあげるから、手の位置を変えてごらん?」
クリスはそう言ってエレナの後ろに立つと、剣の刃の位置を片手で持った。
クリスに支えられている間に、エレナは持つ場所を言われた通りに変えてみる。
「肘を曲げて……それで支えられそう?」
それっぽい形になったところでクリスが確認するとエレナはそのまま首だけ振り返るようにしてクリスを見上げた。
「やってみないとわからないわ」
「じゃあ離すよ?」
片手をエレナの肩において、剣を支えていた手を静かに離した。
「もてた……あっ!」
手が離れた時に支えられたことが嬉しくてつい体を動かしてしまったエレナは、剣を持ったままバランスを崩したが、クリスは想定していたのかそんなエレナをしっかりと支えている。
エレナの体はそっくり返る形でクリスにもたれていた。
クリスはそんなエレナを見下ろしながら言った。
「腕の力だけでは無理だったね。重心が浮いちゃったみたいだ。でも、今持っているブレンダの剣は重たいものだから、これを持てたなら軽いものなら次は構えられるようになっているかもしれないね」
「本当?」
エレナはクリスの胸に頭を預けて仰ぎ見ながら目をぱちぱちさせながら尋ねた。
「今もエレナの体は僕が支えてるけど、剣はちゃんと持ててるし。ブレンダ、どう思う?」
そんな二人を微笑ましく見ていたブレンダだったが、クリスに声を掛けられて二人の近くにやってきた。
「はい。クリス様のおっしゃる通りかと。今の感じで剣を構えて、騎士団長と練習していたように体を支えられるようになれば完成です。もう少しですよ。こちらはいただきますね」
そう言うとブレンダはそれとなくエレナから剣を取って手元に戻した。
剣を支える必要がなくなりエレナは体勢を立て直す。
「ありがとう!次の訓練が楽しみになったわ!」
ブレンダはそう言われて笑顔でうなずいた。
エレナは次に後ろにいる兄を振り返って言った。
「お兄様、お茶を飲んでいく時間はあるのかしら?」
「うん。まだ大丈夫だよ?」
「じゃあ、お茶にしましょう。わざわざテーブルもこの花壇が見やすい位置にしてくれたのよ!」
「そうだったんだね。それじゃあ花壇を見ながらお茶をいただこうかな」
エレナはその返事を聞いて嬉しそうにテーブルの方に歩きだした。
クリスがエレナの後を追おうとした時、少し離れた場所でブレンダがぽつりと言った。
「エレナ様は……」
「何?ブレンダ」
クリスはブレンダのつぶやいた言葉に反応して足を止め、ブレンダの元にやってきた。
「あ、申し訳ありません。エレナ様はクリス様といらっしゃる時だけは姫でいられるだと思いまして」
「そうなのかな?」
クリスが小首を傾げてブレンダを見ると、ブレンダはうなずいてからエレナの方に視線を向けて少し寂しそうに答えた。
「あのように甘えるエレナ様は他では見られません。いつもしっかりなさっていて、努力を続けていらして、どこかでは無理をされていると思いますが、そういった様子も私たちの前では見せることはないですね」
そんなブレンダにクリスは言った。
「そうか。じゃあ、時々僕がエレナを甘えさせてあげないといけないね」
「クリス様は、やはりエレナ様が大切なのですね」
「そうだね。僕にとってエレナは、大事な妹であり、僕を王子様にしてくれる唯一の人だからね」
そう言うとクリスはまぶしそうに目を細めた。
「お兄様?」
ブレンダと立ち止まって話をしているクリスを、テーブルに着いたエレナが小首を傾げて見ている。
「ごめん。今行くよ」
そう言って歩き出したクリスの後ろをブレンダがついていく。
二人がエレナのところに行くと、エレナは座るよう促した。
お茶を一杯飲んだところでクリスは仕事に戻っていったため、少ししてブレンダとエレナも温室を後にすることにしたのだった。




