命の優先順位
クリスの訓練から数日後。
エレナが剣の訓練を開始する少し前、家庭教師が不安そうにエレナに言った。
「エレナ様、本日から戦争のお話を授業でするよう言われてきましたが、心の準備はできていますか?」
「ええ。お父様からも聞いているわ」
「そうですか……」
家庭教師が何か考え込んでいると、エレナが首を傾げた。
「何か心配事でもあるの?」
「話の内容が重たいですし、何よりエレナ様の祖先にも関係のある話にもなりますから」
代々続くようになった王族の話に繋がる歴史を語るため不安がないわけではない。
自分の先祖が戦争に関わり、自ら戦い、そして多くの人を殺したという事実もある。
貴族の中には、自分の先祖がそんなことに関わっているなんてと拒否反応を示す者も一定数いるのだ。
どれだけ自分たちが気良いものだと信じているのかと言いたくなるところだが、そこは生徒をなだめて話をオブラートに包んで伝えることでかわしている。
しかしエレナにはそれは通用しないと考えている。
純粋な分、オブラートに包んでも、そこに疑問を持って深く内容を聞いてくるだろう。
そんなことを考えている家庭教師にエレナは言った。
「でも、歴史上の人物は、皆、すでに他界しているわよね?……何と言うか、それが私の祖先だと言われても実感が湧かないわ。だから大丈夫だと思うの」
「わかりました。では始めましょう」
歴史は優秀な王の話から、無能な王が統治した国の衰退、反逆によりその座から王を引きずり下ろそうとする勢力の話、劣勢になって逃げ惑う王族と、長引く戦、血生臭い話が続く。
家庭教師は専門用語を控えた、分かりやすい言葉に置き換えはしたが、わりと歴史書にある事実を的確に伝えていった。
「こうして、この国ができて、今の王族があるのでございます。先日クリス様が行った訓練は、このような歴史が繰り返されぬ限り必要ありませんが、いつ、誰が、どのように牙を向くかわかりません。ですから念の為、訓練をしたということになりますね」
本を読むように伝えていた家庭教師が本から目を離して顔を上げると、エレナが声を殺して泣いていた。
いつからかわからないが、目頭をハンカチで押さえている。
「エレナ様、大丈夫ですか?」
驚いたものの、一呼吸おいてできるだけ穏やかな声で家庭教師が声をかけると、ハンカチを離してうるんだ目を家庭教師に向けた。
「お話に出てくる人物が、お父様やお母様、そしてお兄様と重なってしまって。でも、お話が怖いわけではないのよ。何だか多くの命が失われていくことに、悲しくなってしまったの。ごめんなさい」
話を聞いてみると、どうやらエレナは長い歴史の中で、多くの戦没者が出たこと、そしてその戦没者とその家族などに感情移入してしまったらしい。
そしてこの歴史そのものは壮大な物語のように感じられて、あまり実感は湧かないが、そういう世の中にはなってほしくないと感じたのだという。
「いいえ。エレナ様はお優しい方だからそう感じられたのでしょう」
家庭教師が泣いているエレナをなだめていると、エレナは気丈に言った。
「大丈夫よ。続けてちょうだい」
「あとはエレナ様が今までにお勉強された建国以降の歴史に繋がりますので、本日はここまでですよ」
「そうなのね」
授業がここまでだと知ると、少し落ち着いたのかエレナは大きく深呼吸を始めた。
「そのうち、他国の建国についても勉強することになりますが、他の国もさほど変わりありません。国や民族が異なろうとも、人間の本質というのは変わらないものなのでしょう」
家庭教師が授業をそう締めくくると呼吸を整えたエレナが質問した。
「……先生は、戦は繰り返されると思いますか?また、いつかはその時が来ると」
「そうですね、いつかはあると思います。ですが歴史を勉強して、そういうことが起こらないように気にかけておけば、そのいつかを遅らせることはできると思います。歴史を学ぶということはそういうことなのではないでしょうか。そしてそれをできるだけ正しく伝えるのが、私たち教育する者の使命ですね」
「先生はやっぱり凄い人なのね。私はそんなことを考えて勉強に取り組んだことはなかったわ」
歴史の勉強にそんなに壮大な意味があるとは考えていなかったエレナは感嘆の声を上げた。
「エレナ様は将来教育者になるわけではありませんから、知っているだけでいいのです。そして、私にはできない国政に携わる時に、エレナ様が悪いことと考えるいつかという日を起こさないためにどうしたらいいのかと考える参考になれば充分、今回のお勉強はそういうものでございますよ」
「私が国政に関わるかどうかは分からないけれど、お父様やお兄様に意見を言うくらいのことはできるかもしれないわ。その時にこうならないようにしたいって言えたらいいと思うわ」
そうは言ったものの父親に自分がどのような意見を出しても通ったことなどない。
やりたいこともやらせてはくれない。
あくまで一方的に指示を出してくるだけである。
クリスはエレナを気にかけて話を聞いてくれるし、やりたいことに関しては配慮もしてくれるが、国政となれば話は別だろう。
だけど、他のものが意見を出せば出しただけで罰せられるかもしれないということは知っている。
聞き入れられることはなくとも罰せられないのなら、意見を言うのは自分の役目だろうとエレナは考えた。
「はい。国王様もクリス様もそのような間違いはなさらないと思いますが、もし、何かに惑わされるようなことがございましたら、その時はエレナ様が説得してお止めください」
「そうね。でもきっと、お父様やお兄様は私よりも正しく国を導いていくと思うわ。そういう人を失うと国の損失、だからこそお父様やお兄様のことは国を挙げてしっかりと守っていかなければならないのね」
「はい。そのために王族には優秀な護衛がついているのです。王族が護衛されているのはお金があるからというわけではないのです。王族を守ることで国を守っているというのは騎士たちの誇りでもあります。だから彼らは日頃努力を重ねていけるのです」
お金を稼ぎたいのなら別の道もある。
それなのに命をかけて他の人を守ることを仕事として選択するのは、自分の国を守りたい、この国に住む自分の家族を守りたいという思いがあるからだと言われれば納得できる。
「そう。市井では護衛されながら歩いている人なんていないのに、私たちは常に護衛に囲まれているというのがずっと不思議だったのよ。でもそれが少しわかった気がしたわ。監視されていることを疎ましく思ったこともあるけれど、それなりの事情があったのね」
エレナが何か腑に落ちたと伝えると、家庭教師は尋ねた。
「エレナ様は護衛が監視だと思っていたのですか?」
「ええ。学校には護衛が入れないから行けなかったけれど、それは私の商品価値が失われるようなことがあっては困るから。だから監視できないところに送るのを重鎮が嫌がっているだけだと思っていたわ。それに私の行動はお父様たちに筒抜けだから、報告をするために見張っているのかなって」
エレナの指摘に家庭教師は口ごもった。
実は守るだけではなく監視するのも彼らの業務なのである。
事実を伝えられることなくそれを感覚だけで察知するエレナの鋭さには驚かされる。
後ろに黙って控えている護衛騎士も思わず顔をそむけている。
家庭教師は少し考えて、何とか言葉を発した。
「エレナ様、エレナ様も大事な王族の一員でございます。ですからしっかりと守っていただいてくださいね」
「わかったわ」
エレナの気のない返事を聞いて、もしかしたら次回は女帝の話などをした方がいいかもしれないと家庭教師は考えるのだった。




