弾かれ者同士の会席
「そういえば今回の招待状にはエレナ殿下の名前しかなかったようだが、彼のことを書かなかったのは、危険回避のためか?」
あえて名前を出さず、殿下がそう尋ねるとエレナはうなずいた。
「ええ。それもあるけれど、発表が公式なものになるから、事前に相手のことは書いていないわ。手紙に書くのならそのような場を設ける必要はないという考え方が残っているの。正直に言えばおかしな風習だと思っているけれど、それに則ったものよ」
結婚式や婚約し気をするわけではない。
単に人を集めて、婚約しますと発表するだけの場だ。
確かにこのような場を設けることで、貴族たちが参加のために必要なものを調達することになり、結果、お金を市井に落とすことになるので、全くの無だという訳ではないが、手紙で済むような内容を報告するために、わざわざ人を集めて、それを権力の象徴とするのはどうかとエレナは思っている。
権力がなければ統治が難しいことは理解しているが、殿下という立場の人間が催しをすると招待状を送れば、強制的な呼び出しのようなものになる。
貴族ではない者ならば言葉通り強制ではないと参加しない事も選択できるだろうが、貴族はそうはいかない。
参加しなければ後の社交に影響するからだ。
エレナが古き風習に不満を述べると、殿下は言った。
「今回はその風習を利用しているというわけだな」
それは自然な流れだと殿下が納得していると、エレナもそうだとうなずいた。
「ええ、そうね。その方がケインも安全だと判断したのも間違いないわ」
「私のことは……」
自分の名前が出たので慌ててそう口にすると、エレナは表情一つ変えることなく続けた。
「どちらにしても公示の手紙だけで済ませるわけにはいかないのだし、場は設けられるのだからいいと思うのだけれど……」
こういった場で普段ならば口を挟むことのないケインが珍しく言葉を口にした事を気にしながらエレナが様子を伺うと、殿下は思うと事があると口角を上げる。
「彼のプライドの問題もあろう?」
「プライド?」
エレナが再び殿下の方に視線を戻すと、殿下はケインの様子を伺っていた。
ケインは観念したように小さく息を吐くと、素直に応じる。
「まあ、そうですね。頭ではわかっているつもりなのですが……」
本人が積極的に同意しているとはいえ、この件に彼の国の皇太子殿下を巻き込んでいる事が気がかりとなっている。
それに何となく姑息な手段を用いているような気がしてならない。
悪い事をしていないのに堂々と正面から発表することに危険が伴い、ギリギリまで隠しておかなければならないというのは正直不満だ。
発表さえ行ってしまえば堂々とできるのだが、そこからは自分の身を案じなければならないというのも理不尽な話だし、ここまで努力をしてもエレナと共にいることを歓迎しない相手がいるのかと考えるだけで苛立ちも覚えるのだ。
「私もケインの言いたいことを全く理解できないわけではないの。だって、私達は何も悪いことはしていないのだもの。でも、ケインがいくら強いといっても、わざわざ危険を呼び込みたいとは思わないわ」
些細なプライドとケインの命を引き換えにはできない。
戦に送った事を後悔した直後ということもあり、エレナはなおさら強く思っていた。
「正論だな。どちらにせよ、そういった行動を起こす者は、知った段階で行動を起こすだろう。つまりそれが早いか遅いかというだけで、さして危険度に変わりはない。だったら遅い方が対策も施しやすいというものだ。何よりその時にエレナ殿下が近くにいる可能性もないとは言い難いだろう。自分の身だけを守ればいいという話ではないということだ。早々に諦めた方がいい」
殿下に諭されたケインは、複雑な表情を隠すため小さく息をついて顔を背けた。
拗ねたわけではないが、ここまでようやくこぎつけた事もあり、焦りがある。
これまでなら一緒にいられれば、そこに身を置くことができたなら、護衛騎士と王女殿下の関係で充分と律してきたはずなのに、欲が出てしまってからは、少々感情が出やすくなってきている。
「守られることは不満か?」
ケインの様子から思うところがあったのか殿下がそう尋ねてきたため、ケインは首を横に振って気持ちを切り替えて答えた。
「いえ、そのようなことは……。ですが、お手を煩わせていることに関しては思うところがあります」
国内の事情を知る護衛騎士たちが自分をサポートするのならわかる。
しかしカモフラージュに来ているのは他国の人間だ。
確かにエレナとは散々噂になった相手だし、今も良好な関係を築いているのだから、協力的なのはありがたいが、それがもと恋敵であることもケインを微妙な気分にさせている。
だからこそ、周囲をごまかせる部分が大きいことは理解しているのだが、納得しきれていないのだ。
「そうか。しかしエレナ殿下の伴侶になる以上、今後は護衛などに人が付いて回るようになるのではないか?」
ケインの裏感情に気付いているのかいないのか読み取れないが、そこには触れずに殿下が言うと、エレナは殿下とケインを交互に見た。
「ええ、そうなると思うけれど、ケインは不満なの?」
エレナがそう口にすると、殿下は面白いものを見ているかのように笑った。
「そうではないと思うぞ?ある程度自分で対処できる分、かえって邪魔に思うのだろう。気持ちはわかるぞ。私にも常にあれが付いているからな」
そう言って自分の背後を指すと、後ろに控えている殿下の護衛騎士は無言で軽く首を動かした。
礼をするわけではなく、うなずいたという程度の動きしかせず、警戒を怠る事も、返事すらせず無言だ。
「そうなのでしょうか。たしかに両親にも最低限の護衛や警備を兼ねた人が付いておりますが……」
これまで自分がしてきたことだが、される立場になると感じ方が変わるものらしい。
エレナは生まれてから当たり前のようにそういう環境に身を置いていたから、その環境に慣れているかもしれないが、自分はそうではない。
そう考えると、これまでも不自由な生活だと思っていたが、これからと比較すると、その中でいかに自由にさせてもらっていたかが分かる。
「これまで監視のない生活をしていたのなら窮屈になるだろうが、考えようによっては便利になるともいえる。常に人が見ているということは、何をしても常に証人がいるというのと同義だ。悪意のある者が、こちらにあらぬ疑いをかけることも難しくなろう?」
常に複数人に監視されているのだから、悪いことはできない。
それもあるが、同時に悪い事をしていない事も証明できるという。
そこには大きなメリットがあると殿下は言った。
それに続けて、思い出したように殿下は話を変えた。
「ああ、それと先ほどの発言で不機嫌にしたのなら申し訳なかったな」
「何の話でしょう?」
殿下に何か言われた覚えはないとケインが首をひねると、殿下は勘が外れたかとケインをまじまじと見た。
「エレナ殿下が騎士団に入れると言ったから不機嫌そうな顔をしていたのではないか?」
「いえ、そのようなことはありません。元々このような顔なのです」
ケインは殿下の問いに即答する。
本当は彼らが入ってきた時より、今の方が不機嫌な顔をしているに違いない。
隠す努力はしているけれど、気分としては今の方がモヤモヤとしているのだ。
だからその前の顔ならば、素の自分の表情の事を言っていることになる。
「それは余計な事を言ったな」
殿下が少し口角を上げると、からかわれたのかもしれないとケインは感じながら、その感情を押さえこむ。
「気にかけていただいて光栄です」
そう言ってケインは一礼すると、また無言に戻った。
そうしてこの後も、エレナと殿下が話をし、時折ケインに振られるような形式で、とりとめのない話をいくつかすると、時間の経過をもってお開きとなった。
殿下はしばらく滞在する予定だし、クリスが仕事をしている時はまたエレナたちと話をするよう言ってくるだろうと、互いにそう考えて、あっさりと終える。
そうして数日は、クリスの仕事中はエレナが殿下の話相手をして過ごすことになるのだった。




