侍女たちの覚悟
急にセッティングされることになった席の準備は、話を聞いたエレナが率先して行うことになった。
持ち前の要領の良さに、調理場と孤児院で鍛えられた手際の良さ、さらに同様の環境に染まった護衛騎士たちがいることで、使用人は必要なものを部屋に持ち込んだらすぐに本来の仕事に戻される。
彼らが忙しいことを理解してのことだが、エレナと騎士が率先して準備をしている様子を初めて見た侍女たちは困惑した様子だ。
「エレナ様、騎士様方も、そのようなことは私たちが致しますから……」
本来ならば使用人たちの手を借りて、自分たちが行う作業になる。
たまにエレナは自分たちの仕事も知っておきたいと、こういった作業に参加したりすることがあるのでまだ理解できるのだが、そこにエレナの護衛騎士まで加わっている様子は、明らかに不自然だ。
しかも無駄にエレナと連携が取れていることもあり、さらにそれが彼女たちを複雑な気分にさせた。
「ええ。でも、もうすぐ終わると思うの。殿下がいらしてからの、お茶やお菓子の提供はあなたたちにお願いするけれど……、そういえばあなたたち、殿下に近くでお会いするのは初めてよね。大丈夫そう?」
てきぱきと動きながらエレナが彼女たちに問うと、どうやら表向きの仕事はさせてもらえるのだと安堵した侍女たちは声を揃えた。
「はい。そこは我々の矜持にかけて」
ここでその仕事まで騎士にされてしまったら自分たちの仕事がなくなってしまう。
確かに彼の国の皇太子殿下は、遠目にしか見たことがないし、遠目ですら大柄で圧が強い人物であることは伺い知っている。
近くで見たら圧倒されてしまう可能性がないとは言わないが、数回目にしたことがある相手なのだから、気をしっかり持てば大丈夫のはずだ。
彼女たちは、これからの場を乗り切ろうと顔を見合わせてその意思を確かめ合った。
これまで、殿下とのお茶の席にはたいていクリスがいた。
そして、クリスの執務室やすでにクリスがセッティングしたところにエレナが呼ばれる形だったこともあり、エレナ本人とは何度も対面している殿下だが、エレナの侍女との対面はこれが初めてになる。
クリスについている者たちは、エレナと殿下が対面する前から、彼がクリスのところに訪れる度に対面している事もあり、慣れた様子で臆する様子を見せなかった。
けれど彼女たちは違う。
部屋の周辺に立って警備をしている騎士ですら、殿下に圧倒されてしまうことがあるのに、不慣れな彼女たちは大丈夫か心配になったのだ。
準備が整い、侍女たちの覚悟を確認したところで、エレナはクリスの執務室に一報を入れることにした。
するとほどなく、案内を伴った殿下が現れる。侍女たちの動きは固いが、騎士たちは慣れたものだ。
特に調査に同行経験のある者が多いこともあり、普段通りにしている。
侍女たちも平然を装って、仕事をミスなく慎重に進めていく。
とりあえず彼女たちの仕事は、殿下が着席して、お茶やお菓子を提供すればひと段落、あとは室内に待機して、追加の所望を待つばかりである。
「久方ぶりだな!」
殿下が入ってくるなりそう言いながらエレナの元に親しげに寄って来た。
彼が立ち止まることは分かっているので下がる事もせず、エレナは応対する。
「そうね。珍しくお兄様が殿下とお話ししてはどうかって言うものだから、何か緊急のご用事があるのかと思ったのだけれど……」
普段のクリスは、殿下には極力会わないようにとエレナに言っていた。
さらに護衛騎士たちも、できるだけエレナの行動を見張って、そういう場を作らないようにと、クリスには命じられていた。
それが急に、ケインも交えて三人でお茶でもしてはどうかと言われたのだから、何かあったのかもしれないと考えても不自然ではない。
けれど現れた殿下は飄々としていて、今までと変わらないのだ。
エレナが疑問に思っていると、殿下は笑いながら言った。
「クリス殿下の仕事の邪魔をしていたので、袖にされてきたのだ」
「そうだったのね」
殿下をまじまじと見上げて、エレナがそう答えると、殿下はさらに大きく笑った。
「否定しないのだな!」
殿下に突っ込まれたエレナはそれでも冷静だ。
「ええ。だって、殿下が客間よりお兄様の執務室に滞在している時間の方が長いことの方がおかしいもの。それに私は機密を共有されていないから、間違って話してしまうようなことはないという意味で、殿下の御相手に適任だと判断されたのでしょうね。とりあえず座って話しましょう。私もこの場を作るのを手伝ったのよ」
わざわざ自分もこのセッティングに関わったと口にしたエレナに、殿下は笑った。
「孤児院でも思ったが、エレナ殿下はやはり普通の貴族の高飛車な連中とは違って面白いな。騎士団でもやっていけそうだ」
料理をする事は知っていたが、こういった雑務を嫌がらずに行うことは好感が持てる。
仕えている者から仕事を奪うわけにはいかないので、やってもらうことは多いが、殿下自身も戦場に身を置く立場であるため、自分の事は自分で行うことが多い。
この国の貴族のご令嬢は、やってもらうことが前提の生活しかしていないし、そのような事を率先して行うことはないと、殿下の知識の中ではそういうことになっているのだ。
そしてエレナのその言葉に偽りがないであろうことは、孤児院でのエレナの動きを見ていた殿下には理解できる。
あれは相当慣れている。
少なくとも回数をこなし、要領を覚えるくらい何度も行ったことがある人間の動きだった。
だからきっと、今回も率先してエレナが動いていたのだろうなと、そんなことを思いながらお相手となる騎士に視線を向けると、彼は無表情に近いが少々険しい顔をしていた。
「そうだったらよかったのだけれど、私は前の通り、騎士になるには色々不足があるみたいなの」
エレナがため息をついてから殿下にそう伝えると、殿下は口角をあげた。
「そうか。まあ、弾かれたもの同士、のんびり話でもしようではないか」
殿下はそこまで話すとようやく着席した。
それを確認したエレナはテーブルを挟んだ向かい側に座る。
同席をと言われたケインは、エレナの斜め後ろに立ったままだ。
「君は座らないのか?」
殿下が聞くと、ケインは首を縦に振った。
「自分がこのままで結構です」
ケインが任務中だからなのか、すぐに動けない体勢になることが不安なのか分からないが、とりあえず本人に座る気がないのなら無理をさせることはない。
殿下は立ったままのケインを座った状態で見上げてその意思を確認すると、視線をエレナの方に戻す。
エレナも何も言わないのだからこれでいいのだろう。
殿下はそう判断して、話を始めたのだった。




