平和な国の手本
怪我の手当てをするために包帯を、きれいな布をたくさん用意しておくとか、そういったことを確認するつもりだったが、彼の国の対応はクリスの想像を超えていた。
しかしそれだけ多くの者があらゆる傷を負うということでもある。
できることはしておきたいと思っていたが、そこまで大掛かりなものを用意することになるとは考えていなかった。
これからでは、指示されたものを彼らが戻るまでにそれらを揃えるのは困難だ。
それに、戦による負傷者やケアのために専用施設を建てるとなれば、先を不安視するものが出るのは間違いない。
もう少し現実的な落とし所はないかとクリスが考えていると、殿下が小さく笑った。
「設備や制度を整えるにはそれなりの費用も時間も労力もかかる。今後、貴国でこのようなことが起こらないことを前提とするならば、我が国のようにそのような常設機関は不要だろう。それに整えておいたからといって、使うとは限らないし、戻った時にはすでにその傷を負った後なのだから、状況を見て必要なものだけを整えても遅くはない。少なくとも戻るまでの数日はその状況を既に耐えている状態なのだからな」
確かに国家間の争いをしているし、国を離れているのだから、この場に戻るまで数日かかる。
傷を負ってからと考えるのならば、殿下の言う通り、数日はその傷を抱えて帰還することになるのだ。
ただし、期間前なので気を張っているから耐えられているという危うい状況、また、そのような状態で帰還することを前提に、受け入れ態勢を取るのが正しいということにある。
「そうですね。経費の面はともかく、そういうものを常設することで、この先あなた方と共に戦争の道を歩むようになるのだという、国内で誤解を生むのは避けたいので、心づもりだけしておくことにします」
彼らが今回の参加でどのような傷を負うかわからない。
だからと言って何もしないわけにはいかないけれど、過剰な準備は国内に残っている者たちの不安をあおることにつながりかねない。
そのため大がかりな準備は現状では避けたいと考えている。
そう伝えると、殿下は納得したようで、それを肯定した。
「確かにそうだな。我が国は常設することを余儀なくされたが、貴国にそれは必要あるまい」
「ええ。そうありたいと思っています」
このままでは状況が悪くなり、国民に害が及ぶと考えて殿下の話に乗ることにしたが、そもそも国としては、戦になど、参加したくはないのだ。
そしてできることなら、今回の戦の痕跡も残したくはない。
そのようなものを残してしまったら、この国が戦のない平和な国であり続けるという根幹が揺らぐ気がする。
この先のことは分からないが、少なくともクリスの治世の間は、戦争などない平和な世界を維持し続けるつもりだ。今回のことがどう今後に影響するかわからないが、その基本は変わらないし、トップであるクリスが揺らいではいけないと自覚している。
すでに現在、こういう結果を招いてしまっているが、今回のことがイレギュラーなのだ。
正直に言うならば、今の時点で、すでに汚点と感じている部分があるのだ。
両親を見習って、今後、このようなことを起こさずに済むよう、自分は立ちまわっていかなければならない。
一度足を踏み入れてしまったこともあり、安易にそちらに流されず、正しい判断をする強い意志が必要だ。
「まあ、我が国のように、敵に囲まれているわけではないのだから、それを叶えることは夢ではないだろう。我が国の国民をはじめ、多くの周辺国は貴国をうらやましいと思っているだろうな。無論、その代表は私だが」
大なり小なり、どこにいっても戦争という者がついて回っている昨今、一切戦争をせず、加担することなければ侵略されることもされず、それを友好関係や外交戦略で維持しているまれな国だ。
そこに生まれ育ったから、それが当たり前であり、難しくともその道を常に模索するのが役割と認識して立ち回っているのだろうが、それは本当にまれなのだ。
力があれば、それを持って制した方が早くて簡単で、国を制圧できるだけではなく、不要な者や邪魔となる者を容易に排除できるのだ。
こんなに楽なことはないが、その代償として、常に戦争がついて回る結果を生むことになってしまった。
「殿下もそのような治世にしたいと願っておられるのでしょう。今回のこともありますし、平和への協力であれば惜しみませんよ」
今回は自国の名誉のために戦争になるかもしれない場面で騎士を派遣しているが、貴国の戦争には加担しないとクリスは明確に告げた。
その代わり、先日興味を持った、エレナがきっかけで始まった孤児院の施策についての詳細は真っ先に開示するつもりだ。
孤児院への視察に同行した殿下が、戻ってから自国の孤児院もこうありたいと口にした言葉に嘘はないとクリスは思っている。
あとは、食糧難で市民が困窮するようなことがあれば、また支援をする用意もある。
間接的に戦争の物資調達となりかねないが、庶民が困窮しないようにするのは人道支援の一環だと、そこは割り切って対応することにしている。
ただし、難民の受け入れは現状拒否している。
物騒な考えの人間を大量に国内に入れることが治安の悪化につながりかねないし、難民と偽って侵略を企てるような者たちが過去に存在したこともあり、その教訓からだ。
彼らは戦争を知らない国など簡単に侵略できると考えたらしい。
中から崩して豊かな国を手に入れようとしたようだが、それらは無事に制圧できている。
しかしもし、そのような者たちの侵略許してしまったら、この国の今まで築いてきた平和や安寧が崩れてしまうのは間違いない。
王宮騎士団たちの本来の役目と、強さを振るう場面は、これらに対応するためであるところが大きい。
だから何のために騎士団が必要なのかと言われたら、自国を守るためと答えるし、他国と戦争できるような軍事力に匹敵するようなものが必要なのかと問われたら、侵略してくる相手に軍事力がある以上、こちらもそれを持って迎撃するために必要なのだ。
戦争をしないのは小国で弱者だからだと思っている国も多いだろうが、実はそんなことはない。
これらはあまり公にしていないが、知る者は皆それを知っている。
だから彼の国は実戦経験のない騎士団を、足手まといと言わず連れて行くと簡単に口にしたのだ。
そうした線引きの元でこの国は成り立っているので、最低限、それを維持するのがクリスの引き継ぐべきものになる。
「そうだな。これからもどうか、平和な国の手本であってくれ」
殿下はクリスの様子から察するものがあったのか、小さく笑ってそう言った。
「努力いたします」
クリスは当然のことだとうなずくと、殿下を見上げて微笑むのだった。




