好条件の戦
「それはよくない事でしょうか?」
実直であることは悪いことか、クリスがそう尋ねると殿下は困ったように表情を歪めた。
「よくないことではないが、正直、綺麗事にすぎないと思うぞ。人を手にかけることになって、トラウマにならなければいいがな」
クリスはそう言われてその言葉の意図するところを理解した。
確かに真っ直ぐなエレナの相手として、向かい合うにはこれほど相応しい人物はいない。
けれど、真っ直ぐ故に、目の前で起きた事柄の全てと向き合おうとしてしまう可能性がある。
確かにそれでは神経が持たない。
「そうですね……。確かにそれは、彼に限らず、多くの騎士に通じるところですね」
この国では、騎士に誠実さを求めてきた。
それは多くの自国の民と接するためであり、彼らの信頼を得るために必要だったからだ。
今まで、戦と無縁で生きてきたからこそ、よい方に機能していた性格も、このような場面では欠点となってしまうらしい。
しかし、だからと言って、このような場面を想定し、事前に粗野な者を騎士団の中に入れるつもりはない。
彼らには申し訳ないがどうにか持ちこたえてもらうしかないだろう。
クリスが表情を曇らせると、殿下が軽く笑った。
「まあ、そうならぬよう、我々がつゆ払いして歩くようにするわけだが……、まあ、取りこぼしはあるだろう。それに目の前で人の生死が整然と行われるのだ。覚悟があろうが、実際に目にすれば、臆する者も多い。良くはないが我々は慣れてしまっているからな」
残念なことに戦について経験を積ませる場がたくさんある。
だから、その人に合わせ、戦地を選んで派遣することが可能だ。
彼の国ではそうした精神的負荷の低いところから徐々に戦地に慣れさせて、能力に合わせた采配を行っている。
経験を積み、慣れているからといって前線に向かない人間を派遣しても足手まといになるだけだということもあって、そういう人間には別の仕事も用意している。
けれど今回参加するクリス側の騎士たちは、能力はそれなりに高いだろうが、戦地という環境に赴くのが初めての者ばかりで、いわば初心者の集まりである。
だから殿下は、初心者向けの状況と判断されるところまで、彼らを潰しておいてくれるというのだ。
彼の国からすると、戦争の実地訓練に付き合っていると言ったところだろう。
「それについては、私に言えることはありません。ですが、帰りにうちの騎士団と一緒に立ち寄られるのでしたら、その際に必要となるものなどを準備したいと思いますし、騎士団のケアについても、必要な物資や人材を揃えておきたいので教えていただければと思います」
戦争に関する采配についてはクリスも素人だ。
だから彼にアドバイスを求め対応しなければならない。
「そうだな。我々については、あの通り、いかんせん食糧難が続いていて、腹いっぱい食べることなどままならなかった。ここでこうして美味な食事を堪能できて士気が上がったのでな、帰りも食事を期待したいところだ。それでそちらの騎士団については、個別に対応が必要になる可能性がある。我が国では、特に新人に多く、頻繁に発生する事案なので精神的なケアをする部門がある。彼らを否定せず、ただ本人が目の前で起きた出来事を消化するまで話を聞いたり、先人がどう乗り越えたのかということを聞かせる機会を設けたり、問題がなくなるまで対応する。やっていることは外傷のケアと同じようなものだ。必要があれば入院もさせている。同じものを共有したもの同士を一緒にしておいた方が、落ち着きやすいようだから、そういった場所も用意しているな。保養所のようなものだ。見方によっては傷の舐め合いなど甘いと言われかねないが、そういう場が必要になるほど、追いつめられ恐怖に怯えて過ごすことになるのが、我が国であり、本当の戦地だ」
今回、敵国に乗りこんで行くだけで、自国にいればほぼ安全という好条件だが、本来であれば、自国にだって敵が入り込むものだ。
つまり残るにしろ、戦いに赴くにしろ、通常の戦であれば国民が巻き込まれるのは必然ということだ。
だからこそ、そのような設備を充実させざるを得なかった。
一度にそこまでを話しきった殿下だが、この国にまでそのような咎を追わせるつもりはない。
「先にも言ったが、まあ、大きなトラウマにはならない程度のつゆ払いはするつもりだ。運が悪ければ人を手にかけることになるだろうが、そもそも、あちらを降伏させれば平和的に解決するのだし、戦いになったとしたら、命のやりとりはともかく、息絶えた人間は見ることになる。それだけでダメになる者もいるからな。それにその後、場合によっては自分が手にかけた人間をまとめて焼くのだが、そういったことが必要になればこちらで処理するし、戦の途中は転がっているものにかまっている場合ではないのでな。気にする事はないだろう」
戦いの最中は自分の命を守り、相手を狩るのに精一杯なことが多い。
余裕があれば周囲を助ける事もできるだろうが、その余裕を常に持てるようになるまでには長い時間も多くの経験も必要だ。
そしてそういった者はたいてい昇格し、団を率いる立場になり、今度はその一団の犠牲をいかに少なくするかを考えるようになる。
そのため少し見る範囲が広くなるものの、結局自分の周辺のことで手いっぱいになる。
それを繰り返し、行き残った者が昇格していくのが彼の国のやり方であり、そのトップに君臨しているのが皇太子殿下という立場で軍を率い、やがて王となる。
世襲ではないのは、いつ戦場で命を落とすか誰も分からないからだ。
だから、経験の浅い、もしくは皆無であるこの国の騎士が、自国の騎士以上に気を回すことはできないと、経験から殿下は考えている。
つまり転がっているものに目をくれている余裕はないということだ。
ただし、それは戦っている間だけであって、終わってからは別だ。
急に罪の意識にさいなまれたり、自分のしたことに対して様々な感情が沸いて、それに戸惑い、苦しむようになる。
そちらの方が目に見えない分、厄介なのだ。
こちらにできるのはせめて、彼らが人を手にかける数を減らしてやることくらいだと殿下はクリスに伝えたのだった。




