配慮とバランス
「まあ、ここまでのことはそうそうないでしょうから、これを乗り切れば、この先に起きることなんて、大したことではないかもしれないわ。私たちが一緒にいるもの。大丈夫よ」
王妃の言葉に続けて、エレナも同じように続けた。
「ブレンダ、これは有事なのだもの。このようなことがこの先ないとは言い切れないけれど、あってはいけないし、起こさないように努めなければならないわ。今回のことはその教訓にすべきだと思っているの。私たちがこのような思いをしなくて済むように」
そう口にするエレナの目はすでに為政者のものだ。
普段話をしている時はこんなに素直で貴族社会において生きていけるのかと感じさせたし、むしろ平民たちとの方が距離も近い。
だから彼らと同じように考えるのではないかと思っていたのだがどうやら違うらしい。
こういうところを見抜いているからこそクリスはエレナが王に相応しいと口にするのだろう。
「エレナの言う通りよ。あまり悪い方にばかり考えてはダメよ」
考え事をしていたせいで、ブレンダが言葉に詰まったように見えたのか、王妃に心配されたので、ブレンダは曖昧に微笑み返した。
「それに待っているのは私たちだけではないでしょう。今回出立する騎士たちにも家族がいるのだもの。皆が同じかそれ以上の心配を抱えていると思うわ」
王族の自分たちの中に今回同行する人間はいない。
強いて言うならエレナとの婚約が内定しているケインがいるのだが、ケインはエレナと婚姻関係にはないし、内定しているとはいえ厳密にはまだエレナの婚約者として正式にお披露目されたわけではないから、身内のように大切に思っているけれどこの中に入れることはできないのだ。
今回は本人の強い希望があっての参加だが、もし、ケインがすでにエレナの婚約者という立場だったら、それがなければブレンダ同様にお留守番だっただろう。
ただ今の立場で命が下れば騎士団のメンバーとして名誉なことだし、よほどのことがない限り断る選択肢はない。
騎士だったブレンダには、ケインが自分から希望したのがよくわかるし、もしかしたら今回参加しないことはケインの足り場上よくない方向に向かう可能性だってある。
あれだけの襲撃の中、エレナを守ったとされる人間は、エレナの婚約者になった途端、国を守ることを放棄するのかという声が上がることだって考えられるのだ。
ケインはそこまで考えているかは分からないし、あの襲撃の中を耐えたことに関しては多くの目撃証言があるので違うと証明することは簡単だが、それでも騎士のように前面に出ていない貴族は、そうして彼を貶めようとしてくるだろう。
もしかしたらそっちの対策をした方がいいのではないかとブレンダがそんなことを思っていると、真剣な表情になっていたブレンダに、王妃は再度微笑みかけた。
「そうよ。この先、その者たちが今の私たちと同じ思いをしなくてすむ世の中を、私たちが導かなければならないの。だからこの苦しみや恐怖、悲しみに心を痛める今の感情に慣れてしまったり、忘れたりするのはよくないわ。だから民が苦しみから逃れるために忘れたとしても、私達だけは正しく覚えておきましょう」
ブレンダの中でも自分の動き方が決まったところで、ちょうど王妃が話をまとめた。
今頭の中にある考えをすぐにでも王妃に確認したいところだが、エレナのいるところですることではない。
なので、耳と頭の半分で聞いていた話の方から二人への返答の言葉を紡ぐことにした。
「お二人はいつも、そのように重い責任を担っていらっしゃるのですね」
最初に感心した内容から、二人の意識はブレなかった。
「これからはあなたも同じ立場になるのよ。エレナが抜けたら、私たち二人で持ちこたえなければならないわ」
エレナは降嫁してしまえば事実上王族ではなく、貴族となる。
そのためその責任を担う必要はなくなるのだ。
ただエレナがそう簡単に考えを変えることはないだろうから、知れば心を痛めるのだろうが、対処も責任もなくなるし、待つのではなく、動く側になるという選択肢も出てくる。
だからこの先、本当に待つばかりとなるのは、王妃とブレンダなのだ。
「実際の私たちは、こうなってしまったらできることがないのだもの。周囲に不安を与えないよう堂々としているしかないのよ」
ブレンダは腕に覚えがあるから戦えるかもしれないけれど、という言葉を王妃は飲み込んで伝えると、ブレンダは黙ってうなずくことしかできないのだった。
「あの、そういえば今日の入場はどのように?」
壮行会はパーティ形式だと聞いている。
だからこうして自分達は夜会のような準備をしているはずだ。
本人たちの見た目の準備はともかく、その先の話は聞いていない。
ブレンダが王妃に確認すると、王妃はクリスと似た頬笑みをブレンダに向けた。
「夜会ではないからエスコートはなしにするつもりよ。会場にいるのはこれから戦場に向かう騎士たちばかりなのだし、彼の国の方々はご家族やフィアンセを連れていないのだも の。こちらだけがいつも通り形式に則ってというのは却って失礼というものだと思っているの」
彼の国の者たちは戦の経由地としてここに訪れている。
遊びに来ているわけではないので、安全に休憩ができ食事があるのはありがたいだろうが、彼らにしてみればきっとそれだけだろう。
それに彼らに着いてきている使用人はついてきている者の最小限のはずだ。
こちらが浮かれてパーティに参加しようものなら、こちらの騎士たちが表に出て戦う気がないと言っているようなものだし、後々その温度差が現場を苦しめることになりかねない。
「確かにそうですね。普段の夜会のように現れたら浮かれているように思われますから、その方がいいと思います。騎士としてもその方が気持ちを逆なでされなくていいです。自分が戦場に行く立場だったら、そんな余裕のある姿を見せられたら、高みの見物でいいご身分だと思ってしまうでしょうし」
騎士側の意見として自分の意見をブレンダがノベルと、王妃はそれに同意する。
「だから、固まって入場するけれど、特に誰かと、というのは控えるわ。それに、騎士たちの出入りを自由にするつもりだから、立食のお食事会という意識でいればいいわ」
「それを聞いて安心しました。さすがのお気遣いに感服いたします」
表に出さないけれどそこまで考えての準備だったらしい。
きっとこちらがもてなすという面子と、彼らの気持ちを慮って、バランスを取って支度をすることにしたのだろう。
「ブレンダが気にしたのはエレナのことかしら」
前回のクリスのお披露目の席ではケインがエレナの隣にいた。
一部のものを除いて、あの名誉を賜ったのはケインがエレナをあの銃撃から身を呈して守ったからだと思っている。
「はい。私がここにいると、クリス様は私のエスコートを優先することになりますから、そうなるとエレナ様のお相手をどうするのかと……。ですが余計な心配でした」
王妃がエレナの事を考えていないわけがないのだ。
むしろこの発言が王妃を不快にしたのではないかとブレンダが考えていると、そこにエレナが割り込んだ。
「余計ではないわ。プレンダは私のことをそれだけ真剣に考えてくれたということだもの」
ケインが騎士として出席すると聞いた時点で自分のエスコート役にはなれないことを理解していたエレナだが、元よりクリスがいない時はエスコートなしで入場していたし、公務で国民の前に顔を出す時だって固まっての入場をしていた。
それと同じだと考えたら、慣れているし、周囲もいつも通りだと見てくれるだろう。
しかし今まで誰も気にしていなかった事に、ブレンダが気を回してくれたのは嬉しい。
エレナはブレンダにそう伝えた。
そんな話をしているうちに、随分と時間が経っていたようで、三人に会場へと移動するよう声がかかるのだった。




