弓とナイフ
「エレナ様、こちらが本日使っていただく弓でございます」
説明を受けて弓技の練習場に移動したエレナは、騎士団長に小型の弓を見せられた。
弓が小型に見えるのは騎士団長の体が大きいのもあるが、彼が片手でつまむように持ち上げていることも大きい。
「随分と小さいものなのね。もっと大きいのかと思っていたわ」
「こちらは軽量、小型のものでございます。騎士団が戦や警備で使うものはもっと大きく、飛距離も殺傷力も強いものです。ですがこちら、小型と申しましても、狩りなどでは使用する本物です。小型の動物を仕留めることも、人に怪我を負わせることもできるものです。取り扱いに気をつけなければならないことにかわりありません」
注意を受けたエレナは騎士団長から恐る恐る弓をつけとった。
騎士団長は片手で軽々と持っていたが、受け取ってみると想像以上の重量がある。
「見た目より重たいものなのね……」
片手で支えることのできないエレナは両手でしっかりと弓を持った。
「まずは構えからです。この構えができませんと矢を射ることはできませんし、体がぶれてしまいますと矢が思わぬところに飛んでいってしまいます。弓を持ったまま体の位置を固定、そして固定された状態で弓を引き矢を放つ。これが一連の流れとなります」
「矢が予期せぬところに飛んでしまうのは危険だわ」
確かに弓の角度が変われば飛んでいく方向も変わるはずだ。
落下していくことはあるだろうが、放った方向一直線に飛んでいくのが弓矢のはずである。
強風でも吹かない限り、途中で都合よく曲がってくれたりはしないだろう。
「ですからこちらをしっかりと構えることが必要です。私の形を真似てみてください」
「わかったわ」
弓を持たずに体勢を作った騎士団長をまねて、エレナは弓を構えた。
「そのままです。その体勢が基本で、その体勢を維持して矢を打てば正面に飛びます」
エレナはどうにか同じ形を作ってそのままでいるように努めるが、すぐに体がぐらついてしまう。
特に支えている腕が震え、長時間維持するのが難しい。
しばらく様子を見ていた騎士団長が一度エレナに弓を下ろすように言った。
「いかがですか、エレナ様」
「武器を使うというのは大変なことなのね」
弓を下ろしてもまだ震えの止まらない腕をさすっていると、騎士団長が提案した。
「どうしますか、私がサポートして方向を定めた状態で射ってみますか?」
「大丈夫かしら、少し不安だわ」
こんなぐらついた状態で矢を放てばどこに行くか分からないことくらいエレナにでもわかる。
「本物ではなく、当たっても怪我をしにくい練習用のものを使用しましょう。先が丸いので当たっても的には刺さりませんし、通常の矢のようにまっすぐ飛んでいかないのですが、射る感覚は分かりますし、そちらでしたら少し気持ちも落ち着きましょう」
「ええ、人に怪我をさせる心配がないというのなら、やってみたいわ」
そうして用意された矢には丸く厚く布が先に巻かれていた。
弓しかもっていなかったエレナに騎士団長は矢をどのようにセットするのかを教える。
そして騎士団長は弓がぶれないようサポートしながらエレナに弓を引かせた。
こうして初めてエレナによって放たれた矢は、前方に付けられた布の重みもあり、的に当たる前に弧を描いて地面に落ちた。
「全然届かなかったわ」
矢が落ちるのを見て、ちょっと残念そうにエレナは騎士団長を見上げた。
「距離を飛ばすためには強く引く力も必要ですし、ご自身で弓を支えられるようになる必要がございます。まずはこちらができるようになるための筋肉を鍛えていきましょう」
「わかったわ」
「それでご納得されたのですか?」
思わず護衛騎士が自分の感情を言葉を出してしまい、慌てている。
「どうして?」
そんな護衛騎士に、エレナは首を傾げて尋ねた。
「いえ、エレナ様は武器を使えるようになりたくて訓練までされているのですね。武器だって何度も繰り返し使っていくことでその重さや形状に慣れて使えるようになると考えます。なのに武器を使わない訓練を重ねることに納得されるというのが意外で……」
彼はそういう指導を受けてきたのだろう。
だがそれは幼い頃から彼を見ていた者が、彼が物心ついた時に教え始めたことで、そこまでの過程で彼は教えた誰かにできると認められているはずだとエレナは思った。
「道具は正しく安全に使えるようになるのが一番だわ。調理場でも最初は材料を混ぜるだけのものしか作らせてもらえなかった。危なくない調理器具を使えないうちは危ない調理器具は使わせないって。だけどそれを何度も繰り返して、ようやく小さいナイフで果物のヘタを取ることを許されたの。でもそれは私がナイフを片手で持ってもう片方の手で果物を持つことができるって認められたからなのよ。今回はナイフが包丁になって、それを超えた大きな武器になるという感じね。包丁は振り回したら、多分料理長から調理場に来ないように言われてしまうけど……。だから弓を持てない間は矢を射ることができないというのは理解できるわ。さっき注意を受けたのだし」
話を聞いていた騎士団長が言い包められている護衛騎士に助けを出すかのように言った。
「エレナ様、しかしそれは良い着眼点でございます。本当にいざという時、使えるものは何でも使わなければなりません。剣がなくても包丁があれば身を守れるというのなら、いざという時は使っていいのです」
「それは何だか複雑だけれど……」
包丁を持って戦う自分というものを想像しながらエレナはつぶやいた。
「そういう事態のないことが一番でございます」
「そうね。人間同士が傷つけ合うことなどないのが一番だわ」
「ちなみに、護身用のナイフは種類が豊富で、今回お持ちしたものはいずれも包丁よりは軽いものかと思います。そろそろ弓からナイフの説明に進みましょうか」
初めて弓を扱って疲れを見せたエレナを気遣って騎士団長が言うと、エレナは黙ってうなずいた。
弓技の練習場から再び会議室に移動したエレナが、用意されたお茶をもらって休憩していると、騎士団長が色々な種類のナイフを持って戻ってきた。
これ以上実技を行う体力がエレナに残っていないと察した騎士団長が、別室に用意していたナイフを会議室に移動させたのである。
「ナイフのことは、本日は説明だけにいたします。そろそろお時間にもなりますので」
「そうしてもらえると嬉しいわ」
さすがにくたびれているとは言えないエレナは卒なく返した。
すると、机の上に広げられたナイフを一つ一つ手に持ちながら、騎士団長は説明を始める。
「こちらは刺したり投げたりすることに特化している先の尖ったナイフで、こちらは剣を短くしたものなので斬りつけるのに特化しています。エレナ様でしたら先の尖ったナイフを使えるようになる方が良いかと思います。投げつけて相手が怯んだスキにお逃げいただければいいのですから」
エレナはメモを取ることなく、騎士団長の話に耳を傾けていた。
集中していないと意識が飛びそうな状態なのである。
騎士団長もそれを見越してか簡単な説明と、特性は使いながら覚えましょうという言葉を繰り返し使っていた。
騎士団員であればそんなことは許されないが、相手がエレナのためか非常にやさしい授業だと護衛騎士は感じながら黙って聞いていた。
あまり使うことのない筋肉を使い続け、講義を終えたエレナは、訓練場を出る頃にはフラフラになっていた。
だが、せっかく訓練場に通っていることを知られないよう着替えまでしたのだ。
部屋に戻るまでは頑張ろうとどうにかいつも通りに振る舞い、なんとか部屋にただどりついた。
部屋に付くなりベッドの上に倒れ込む。
「エレナ様、大丈夫でございますか?」
侍女が驚いて声をかけたが、エレナはすでに夢の中である。
「あの、これは……」
仕方なく侍女が護衛騎士に尋ねると、ずっと訓練を見ていた護衛騎士は言った。
「エレナ様にはかなりきつい訓練だったと思います。相当お疲れになったに違いありません。もしかしたら起きたときには筋肉痛になっているかもしれません……。あと、ベッドの上にあるあちらは使用した訓練着なので、あのままですと汚れるかもしれません」
護衛騎士がそう言うと侍女はすぐに訓練着をベッドの上から下ろした。
「それで、エレナ様はこのまま訓練をお続けになりそう?」
侍女が確認すると、護衛騎士は苦笑いしながら言った。
「かなり前向きに訓練場に通うおつもりのようです……」
「そう……」
「はい……」
二人はそんな話を共有しながら、ベッドの上でぐったりとしているエレナが目覚めるまで見守っているのだった。




