学生になった二人
十歳になったクリスとケインは二人揃って同じ学校に通うことが決まった。
ケインは特別措置としてクリスと一緒にケインが登下校を共にするという役目を担うことになった。
クリスの希望という点が大きかったが、クリスの周囲によく知ったものを置いておきたいという両親の希望もあって実現したのである。
クリスが学校に入学したその日の朝、お祝いの言葉を伝えて登校を見送った後、大使はそのまま旅立っていったという。
クリスが学校から戻った時にはすでに彼の姿はなかったのである。
「本当に行ってしまったんだね……」
自室に戻ってから、もう彼がここに来ることがないと改めて考えると少し寂しい気持ちになったが、クリスが感傷に浸っている余裕はあまりなかった。
お祝いの言葉を述べたいと面会を希望してくる重鎮たちのところに顔を出しに行ったり、部屋にエレナが訪ねてきたりしたのである。
そして慌ただしく過ごして落ち着いてみると、意外と自分も冷静であることに気がついた。
もともとそういう約束だったこともあるが、彼は新たな土地を見て、いつかまた帰ってくるような気がしてきたのだ。
次に会えるのがいつになるのかもわからなければ、本当に会えるのかもわからない。
ただ、次に出会った時、もっと楽しい話ができるのではないかと思える。
今回は自分が教わるばかりだったが、自分も彼の知らないようなことを一つでも話せるようになりたい、そのために勉強も公務もしっかりとこなして、新しいものを吸収していかなければと思う。
自分が歴史書に載っても恥ずかしくないように。
その歴史書を彼が読んだ時に褒めてもらえるように。
新しい生活と、自分の中に生まれたかすかな願いを胸に、クリスは新しい一歩を踏み出す決意を固めるのだった。
ケインは進学のため、クリスは後学のためと理由は違うが、同じ教室にいればやることは一緒である。
ケインだけではなく生徒とも普通に話せることを期待していたクリスだが、すぐに彼に関わろうとする人は少なかった。
そしてこの二人、学校内でかなり目立っていたのである。
学校に通い始めてまもなく、ケインとクリスの並ぶ様子が姫と騎士のようだと学内で話題になり始めた。
これでクリスが本当に女性であったなら、女生徒からの悪質な嫌がらせなどを受けることになったのかもしれないが、クリスが男性であったためにそのような目に会うことはなかった。
それどころか、ケインが他の女性と一緒にいるよりはいいと、彼ら二人を応援するような者たちまで現れるようになった。
闇雲に声をかけると、応援している人に後で文句を言われることもあるため、その報復が怖いというのもあるようだ。
生徒たち誰もが、彼らと仲良くしたいと思いながらも、少し離れた場所からその様子を見守っているようになった。
「クリス様、果たしてこのままでいいのでしょうか……」
「あまり良くないけれど、少なくとも私はケインに悪い虫が寄ってこないならエレナのためにはいいと思っているよ。こんな容姿で役に立つこともあるんだね。しばらく様子を見てみようか」
「はい……」
ケインはクリスの自虐的な発言を聞き流して返事をした。
それからもクリスがケインと話しながら笑みを浮かべると、周囲にいる者が、男女問わず感嘆の声を漏らす。
そして演劇を観に来ている観客たちのように、また静かになるのである。
しばらくそのような時期が続いたものの、子どもたちの順応性は高い。
ケインとクリスが、自分たちと同じようにただ学校に通っている生徒だと認識できると、今までのことが嘘のように普通に接してくるようになった。
さらに二人が離れている時間ができると、クリスの周囲には男子生徒が、ケインの周りには女子生徒が群がるようになった。
男子生徒は、教室にいる誰よりも女性らしく花があり可愛らしいクリスと話をするために、
女子生徒はケインの好みなどを聞き出すために、休み時間になると我先にと誰かしらがやってきて落ち着かない状態となっていた。
ある日、ケインを王子様だと言っている女生徒がいるという話がクリスの耳に届いた。
エレナの耳に入る前にと考えてクリスが確認すると、ケインはまたかと言ったように頭を抱えて言った。
「飲み物の台から離れようって声を掛けて一緒に行っただけで、手すら差し出してないんだよ。確かにハンカチは貸したけど、汚れをふき取ったのは本人と、後から来た俺の母親だし、本当にたいしたことはしていないんだけど」
学校へ行くようになってからも度々初参加のお茶会の件を持ち出されることがあり、社交界の噂というのはこんなにも長く残るのかとケインはゾッとしていた。
この出来事が起きてから、すでに二年弱の時間が過ぎている。
悪い話をされているわけじゃないから許されるが、これで何か失敗をしていたら、同じ期間、もしくはそれ以上言われ続けることになるのだろう。
これでは失敗できないという両親の心配もうなずける。
「エレナは他の貴族子女たちに比べたらお茶会でこういう話題に触れることは少ないけど、いきなり聞いたらそれなりに傷つくかもしれないからね。それとなくそういうことがあったって伝えておくよ」
「すみません……」
思わず謝罪の言葉が口をついたが、それではエレナがケインに思いを寄せていると自ら言っているようなものである。
否定しなければと慌てたが、先に言葉を発したのはクリスだった。
「悪いことをしたわけじゃないから謝ることはないよ。あくまで二人が幸せになってくれたらいいなって思っているだけだから。そのためのわだかまりを失くす手伝いくらいさせてほしいなって」
「ありがとうございます。ですが私とエレナ様は……」
そこまでケインが言った時、クリスが口元に立てた人差し指を当てる仕草をして、その状態で笑顔を向けた。
あざとくかわいらしい仕草で、遠くから見守っていた男性陣からは歓声が聞こえたが、つまりはそれ以上言うなということである。
ケインは大きく息をついて難しい表情のまま頷くことになるのだった。
二人が学校生活に慣れた頃、送り迎えで毎日やってくるケインを捕まえてエレナが尋ねた。
「学校ってどんなところなの?」
「同じ年の人が集まって勉強するところだよ」
「私も行くのかしら?」
「どうかな。エレナには家庭教師が付いてるから、勉強のために学校に通う必要はないかもしれないよ?」
「そうなの……」
エレナが少し落ち込んだように見えたので、ケインは慌てて付け加えた。
「それに、学校に入れるのは何歳以上って決まっているみたいだから、エレナがその年になったらわかるんじゃないかな。エレナは年下だから、まだ入れないだけだよ」
「そうよね。私、学校に行けるようになったら、一緒に行って、一緒に勉強したいわ。そしたらずっと一緒に居られるでしょう?学校に行くようになってから、会える時間が少なくなって寂しいもの」
クリスとケインが同じ教室で長く過ごしているのに、エレナだけが家で勉強しているというのは、なんだか二人に仲間外れにされているようだと思っていた。
「休みの日はできるだけ長くいられるようにするから」
「ええ、楽しみに待ってるわ」
この日、休日に会う約束ができたことで、エレナは気分よくケインを送り出した。
そして同時に、学年が違っても、教室が違っても、二人と同じことを後からでも経験できるならと、エレナは学校生活というものに期待を寄せるのだった。