彼の国の自由
「殿下、私は貴国であなたと共に生きて行く事を選んで、戦争で死ぬ覚悟はできているわ」
エレナは凛とした声で側に立っている彼の国の皇太子殿下を見上げてそう言った。
「エレナ!」
今までやり取りを見守っていたクリスが慌ててエレナのところに駆け寄る。
彼がクリスの希望通りの言葉を引き出すというから様子を見ていたけれど、エレナは頑固だ。
おそらく彼が想像しているより頑固なので、なかなか自分の意見を取り下げるとは言いださないだろう。
エレナの言葉からはまだ、正式に承諾するという言葉は出ていない。
しかし、確実にエレナはその方向で話を進めていこうとしている。
これ以上エレナに話をさせてはいけないとクリスがエレナを庇うように殿下の前に立ちはだかる。
「お兄様?」
一方のエレナはそんなクリスを見上げて、よくわからないといった様子で首を傾げる。
「エレナはそんな覚悟なんてしなくていいんだよ。そもそも何で死ぬことが前提で話をしてるの?」
クリスが自分を落ち着かせるため、エレナの頭を撫でながら尋ねると、エレナはきょとんとした様子で答えた。
「もちろん、死にに行くわけではないわ。今までだって全力で逃げるための訓練をしたりしたもの。でも、いつ死んでもいいという覚悟をしなければならないくらい、彼の国は危険なのでしょう?私は一度、人生が終わってもいいと思ったことがあるのだもの。今までがその延長だったと思えば、充分謳歌させてもらったし、この選択が一番、私を活かしてくれた国にとって良い選択だと思うの。幸いにも殿下はよい方だし、相手の国が好意的に受け入れてくれるのなら、悪くない条件だと思うわ」
肉体的に死ぬつもりはない。
もちろん心は殺すつもりだ。
エレナの持つ地位と、彼の国に嫁ぐという事実が必要なだけだ。
それさえあればこの国が安泰なら、自分が彼の国で生きてさえいれば、その役割を果たすことができるだろう。
今までも王宮内から自由に出ることは許されない生活をしていたのだから、場所が変わるだけで、それ以外は大きく変わらないだろう。
エレナとクリスがじっと見つめ合ってそんな話をしていると、側で聞いていた殿下は、ため息をついた。
「そうか。それにしても不可思議なものだな」
「どういう意味かしら?」
その声で彼の存在を思い出したようにエレナは彼の方に向き直った。
「そんな悲痛な婚姻を受け入れて、さらにはそのせいで死を覚悟する度胸はあるのに、自分のために生きることを選択する度胸を示さない点が、こちらから見れば不思議でならないということだ」
立ち聞きをした内容がなくとも、ここでの会話を聞いただけでエレナがどうしたいのかは理解できた。
けれどエレナはこちらに来るのだという。
自分の意見を、自由にと言っているのに何に縛られているのか。
彼がそれを探ろうとエレナを見ていると、エレナは何を聞かれているのか分からないと彼をじっと見上げる。
「そうかしら?」
エレナからすれば、自分のためだけの選択をする事はよいことではない。
自分は国の役に立つために生かされている。
ずっとそう教育されてきたのだ。
ここで自分の感情を殺して国の役に立とうと、むしろやっと役に立てると思っている。
だからなぜそんなことを聞かれているのか分からないのだ。
「死ねばその先はないのだから、それまでの自由くらいは許されたいと願ってもいいと思うぞ?最近ようやく落ち着いてきたが、戦争で常に死と隣り合わせにあった我が国の自由という考えは、その上に成り立っているのだからな。エレナ殿下の考え方では、命がいくつあっても足りないだろう」
確かに上に立つ者は下の者の事を考えて動かなければならない。
でもそれが自己犠牲の上に成り立つものかと言われると違う。
そうであるなら、王族など人間の盾としてしか価値はないのと同義だ。
為政者としての覚悟は素晴らしいが、戦争の現実を知っている側として、この国考えは危うい。
特にその考えに忠実で頑ななエレナは、国民に慕われはするだろうが、すぐに命を落としそうだ。
「戦争など、ないのが一番だな。強い、負けないというが、それはすなわち相手を手にかけるということであり、同時に自分もそう扱われる覚悟をしなければならないと、そういうことだからな。そんなものは知らずに過ごせるなら、その方が幸せに違いあるまい」
思わず皮肉を漏らした彼の意見にクリスは同意し、そこに自国の方針を加える。
「それはそうでしょう。私達は常にその脅威を回避するために動いていますよ」
もちろんクリスに関しては想像でしかない。
エレナより厳しい訓練を受けているとはいえ、実地で訓練をしたわけではないし、大規模訓練もクリスが単独で移動できる範囲、しかも極められた期日内でしか行っていない。
ただ、それでも充分大変だったのに、始まれば終わりの見えないのが戦争だ。
起こさないに限る。
「ああ、それは分かっているし、どこも同じだ。だが、そういうところに身を置いていると、思うことは山とあるものだ。より長く生きたいのか、早く散る可能性があるから今を謳歌するのか、そんなことを量りにかけたりもする」
いつまで生きられるかわからない。
だからいつも、生きるために時間を使うか、命を顧みず生きている間を自由に生きるか、という選択を迫られる。
そして幾度とない問答の末、彼はすでに答えを決めていた。
「もちろん私は私の幸せを第一に考える。だが、友の幸せをそのために犠牲にしようとは考えない。なにせ自分より強いものがいないのだ。次に戦争になれば自分より相手の方が命が短い可能性が高いだろう。だったらそんな友の幸せを叶える方がいい。自分の幸せのために大きな後悔を抱えるのは、願いが叶わぬより時には辛いことだ」
そう言うと、彼は再びクリスからエレナに視線を戻した。
「エレナ殿下、命を掛ける覚悟があるのなら、死ぬ前にやりたい事を正直に吐き出す勇気もあるはずだぞ?私に忖度は無用だ。正直に答えればいい」
彼はそう言うとじっとエレナの目を見るのだった。




