農家の周辺調査の申し出
颯爽と客室に戻っていく皇太子殿下の背中を見送ってから、クリスはエレナに言った。
「エレナ、少し休んでからでいいから今日の話を聞かせてくれるかな」
「ええ。構わないわ。今からでもいいのだけれど」
いつもならお迎えがないので、戻ったことをエレナが執務室に立ち寄って伝えていた。
そしてその場で業務報告をして終了するのが流れなのだが、今日は休んでからという。
なのでエレナがそういうと、クリスは首を横に振った。
「すぐだと警備をしてた者たちが報告に来たりしてゆっくり話せないから、それなら休憩していてもらった方がいいかなって思ってるんだ」
「そうなのね。邪魔になってしまうのなら、遠慮するわね」
エレナもいつもより警備を厳しくしていたことを知っている。
もしかしたら見えないところで何かあったのかもしれない。
それがまだエレナに話せない段階ならば仕方がないだろう。こちらは特に問題がなかったので急ぐ報告はない。
そう考えて遠慮すると伝えると、クリスが苦笑いを浮かべた。
「邪魔ではないんだけど、人の出入りが多いところであまり詳細を話すのはよくないからね」
孤児院の話だけをするのならそのようなことは言わないはずなので、クリスが聞きたいのは皇太子殿下のことなのだろう。
人払いをしては成さなければならないことなどそのくらいしかない。
エレナはそう解釈し直してうなずいた。
「わかったわ。じゃあ、部屋に戻らせてもらうわね」
エレナはそういうと、自室に向かって歩き出す。
そしてクリスは、これからたくさんの報告が集まるであろう執務室に向かうのだった。
「やぁ!今日は無理を言って悪かったな」
警備をしていた騎士たちの報告が終わってほどなく、なぜか部屋で休むと言っていた皇太子がクリスの執務室に現れた。
幸いエレナはまだ休憩中でここにはいない。
部屋の前に待機していた騎士は、彼を止められなかったため申し訳なさそうにしながらもついてきている。
もしかしたらエレナの件で来るかもしれないと思っていたけれど、一度部屋に戻ったこともあり、こんなに早く来るとは思っていなかったクリスは、落ち着く間もないと頬に手を当ててため息をついた。
「全然悪いことをしているようには見えないのですけれど」
行動が早いことは分かっているけれど、常に自分のペースで自由に動く彼に思わず苦笑いが出てくる。
「そう言うな。孤児院の皆は明るくて元気なものが多いな。我が国ではなかなか見られないものを見られてよかったぞ。我が国の孤児院の子供たちがあのように生活できるようにしなければならないな。何より、こちらが久しく忘れていた子供らしさというものを思い出させてもらった。感謝するぞ」
自国の子供たちにはない子供らしさが孤児院にはあった。
本来ならば子供はあああるべきなのだろうが、いかんせん戦が長いこともあり、常に怯えていたり、必要以上に大人びていたり、どこか人生をあきらめているような子ばかりになってしまっている。
長く見ているうちに、何時しかそれが当たり前にようになってしまって、子供はこんなものだろうと思うようになっていた。
その考えを打ち壊すだけのものがあの孤児院にはあったのだ。
自国の事情とともにそう語るが、クリスはそれに流されることなく首をかしげる。
「ご満足いただけたのなら何よりでした。それより休憩されるのではなかったのですか?」
そんなことのために来たのではないでしょうとクリスが聞けば、彼はそれを素直に認めた。
「ああ。話が終わったらすぐに戻るが、別件で頼みがあってな」
「何でしょう?」
やはり孤児院の話は前段階に過ぎなかった。
グリスが本題を尋ねると、彼はまじめな顔で言った。
「ちょっとうちの人間をうろうろさせてもらいたい」
「何をなさるおつもりですか?」
エレナの周囲を探るのが目的か、国内事情を探るのが目的か、どちらにしてもあまり喜ばしいことではない。
その反応をあらかじめ予見していたのか、彼はその目的を口にした。
「作物調査をしたくてな」
「作物ですか?」
クリスの知る限り、目新しい作物はないし、他国と比較しても特に変わったものは育てていない。
そのため別の目的があるのではとクリスは疑いを解くことはしない。
「農家の周辺を調べたい。もちろん彼らとの接触は最小限にするし、危害は加えぬと約束する」
「それで目的は?」
もしかしたら自分より早く重大な情報を得ているのかと疑ってみたけれど、彼の次の言葉を聞いて、どうやらそうではないらしいとクリスは悟った。
「そちらに非はないのだが、国内の問題に絡んだ情報を入手してな。それを追うのに必要、というところまでの開示でどうだろうか」
少なくとも彼はこちらに非はないと明言した。
だからこそこうしてクリスのところにわざわざ許可を求めてきたのだろう。
もしこちらに何かあったなら、いつものように予告もせずに動いているはずだ。
「許可をしなくても、お忍びで勝手に動くのでしょう?」
クリスがため息をついてそれとなく嫌味を言うと、彼は口の端を上げた。
「まあ、許可が出なければそうなるな」
「許可を取りに来たのですから、うちの人間をつけても……あ、つけた方がいいから来たのですね」
うちの人間を見張りにつけますよと言いかけて、彼がなぜここに来たのかを理解したクリスはため息をついた。
「こちらとしてはその方が動きやすいな。何を嗅ぎまわっているのかはその者から聞けばいい」
探っている内容、その情報についてはくれてやるから、代わりに案内役をよこせと、どうやらそういうことらしい。
「わかりました。うちのものを同行させましょう。必要なら案内もさせます」
「ああ。そうしてくれるとありがたい」
さすがに今日のように王宮騎士団の騎士服を貸し出してというわけにはいかないが、民から話を聞くのに信頼の厚い国内の騎士の立ち合い、他国の国内を歩き回るのに土地勘のある人間がいた方が都合がいい、そんな思惑があってのことだ。
ただすぐに人を出せと言われても困る。
とりあえず騎士団長と相談して誰をつけるかを決める必要がある。
それでなくてもこちらは要人を迎えているところなのだから、いつもより人員が不足している状態だ。
「明日からでも?」
クリスがため息交じりにそう尋ねると、彼は納得のいく返答を得て満足そうに笑った。
「もちろんだ」
本当に急ぎならわざわざ来てないだろうから、そのくらいの猶予はあるといったところだろう。
「ではご夕食までごゆっくりお過ごしください。何かありましたら外にいる騎士に申し付けてくださればいいので」
「そうさせてもらおう」
彼は自分の要望をしっかりとクリスに押し付けると満足そうに部屋へと戻っていった。
その間に、向こうも誰が動くのかを決めるのだろう。クリスは仕事が増えたとため息をつくしかできないのだった。




