乗り掛かった舟
エレナを部屋に送り届けたところで交代要員が来たため、勤務を終えて二人一緒に部屋に戻った。
「とりあえず……、よかったな」
部屋に入ってドアを閉めると、体を自分のベッドに投げ出したルームメイトがそうケインに声をかけた。
「ああ。とりあえずな」
最悪の返事は回避できたし、ひとまずエレナはケインの気持ちを受け入れてくれた。
条件については想定外だし、クリスの話を聞いてしまうと、エレナの懸念が現実のものになってしまうのではないかと思えてならないが、そこはクリスの言う通り、どうにか乗り切らなければならないだろうし、この先も似たような試練はあるだろうから、前途が明るいわけではないことくらいは想定の範囲内だ。
「もっと素直に喜べる今日を心待ちにしてたんだけどなあ」
今日結論を伝えられることはブレンダとケインの話を隣で聞いていたので知っていた。
当然傍から見ていたルームメイトとしては、当然エレナはケインを選ぶと思っていたし、当事者ではないのでケインほど結果に怯える事もなかった。
自分が立ち会うことになったのが偶然なのかクリスの配慮なのかは分からないけれど、一応良い結果にはなった。
でも、エレナの出した条件とその後のクリスの話がその喜びを二人への試練に変えてしまって、本当はおめでとうと大喜びしたかった気持ちが一気にしぼんだ。
でも、長年の願いが叶ったのだから何も言わないというのもと、言葉を選んだのだが、ケインも手放しで喜べない状況だからか、表情に複雑な感情をにじませている。
「それにしても、まさかエレナ様が条件を出してくるとも思わなかったし、計ったようにあんな連絡が来るなんて、試されてるとしか思えないな」
どうするつもりかとルームメイトが問うと、ケインもベッドに体を横たえて大きく息をついてから答える。
「それについては多難としか言えないが、ここで引き下がるつもりはない」
ケインの決心が揺らいでいないことが確認できたルームメイトが少し言葉に引っかかりを覚えて聞き返す。
「二人で乗り越える最初の試練ってことでいいんじゃないか?」
「そうなればいいんだけどな」
ルームメイトに言われたケインはその言葉を鼻で笑った。
「なんだよ、自信ないのか?」
諦めも手放しもしないと言っておきながら、試練を乗り越えられる自信がないのかと問うと、ケインは息交じりに、あぁ、と事なにならないものを吐きだしてからその疑問に答えた。
「俺は今までそういう生き方をしてきたんだから変わらないけど、エレナ様はそこに立ち向かって波風を立てることを選ぶだろうか、とは思う」
立ち向かうと決めて動き出せばエレナは逞しい。
努力だって惜しむことはない。
けれどそれは、他人の利になることに対して発揮されることが多い。
今までの教育からか、どうも自己犠牲を美徳とする考えがあるようで、自分の幸せより国民の幸せをと請われたらエレナは簡単に折れるとケインは思っている。
要は自分が我慢すれば丸く収まることは、そうして収めてしまうのだ。
「確かに彼の皇太子と縁談ってなったら、国の利益として計り知れないものがあるからな。ただ、もし取られたら、エレナ様 が戦争に巻き込まれるかもしれないということは、頭に置いておいた方がいい。どんなに国にとって有益で、本人にその覚悟があっても、そうなったら他国にいるエレナ様をお前が守ることは叶わない」
「そうだな」
ケインが悩みながら彼の言葉を肯定すると、その迷いに気がついたのか、ルームメイトは念を押す。
「ここは本人の意思を尊重するとか生温く、うやむやにしない方がいいところだぞ」
確かにその通りだ。
ここで失敗して仮に彼の大国に行くことになれば、もうエレナには二度と会えないかもしれない。
ただ、どこかでそういう日が来るかもしれないと幼い頃からそう認識していたこともあり、自分の中でそういう日が来ても折り合いが付けられるのではないかと思ってしまう部分もある。
それもケインの覚悟の中にあったものだ。
「お前の言う通りだよ。エレナ様はおそらくその話が来て引き受けることを決断する時は、自分の命を投げ出す覚悟もしているはずだから」
自分の意見をはっきり言うエレナから想像しにくかったからか、ケインの言葉にルームメイトは首を傾げる。
「そうなのか?確かにエレナ様が浅慮な決断されるとは思わないが」
引き返せない決断を射ましたばかりのはずだと彼は言うがケインはそうではないと、彼にも分かるよう、エレナならこう考えるかもしれないと説明する。
「エレナ様はおそらくそれを自分の使命として受け入れて、全うしようとすると思う。でも俺は、エレナ様にはどこにいても生きていてほしい。生きる理由がこの国にないのなら離れてもいいから生きていてほしいと思っている。俺が、エレナ様に生きる意味を与えられるとしたら、孤児院の話を持ち出すとか、そのくらいしか今はできないのが、本当に自分でも情けないと思っている」
自分がエレナに生きる意味や価値を与えられるようになるのはいつなのか。周囲の人間が生み出したものに便乗するだけの自分は、どう動くべきなのか。
先が見えず心細いけれどどうにか切り開かなければならない。
そしてその答えを瞬時に出せない自分が情けない。
「お前が人生かけてやってきたのを知った今、そんなことは思わないぞ?そりゃあ知らなければそう思うかもしれないよな。 騎士として優秀で、運よくエレナ様の護衛に任命されて、襲撃から命がけで守ったことでエレナ様に気に入られたんだって。でも違う。俺はそれを知ってる。だからできる限りのことはするし、知恵も貸すし、背中も押すつもりだ」
友人の言葉は心強いがそれでいいのかとケインは迷って、思わず口に出す。
「お前のアイデアはかなりの価値あるものだと思う。本当ならもっと評価されていいと思っているんだ。その知恵を使って自分を持ち上げるのは申し訳ない。しかも今回の件は完全に私情が入ってる。場合によってはお前に大きな迷惑をかける可能性もあるから、これ以上巻き込みたくは、本当はない」
別に巻き込まれて入るけれど、今のところ大きな害はない。
だったらここで、友人の行く末を見守りたい。
中途半端なところで下ろされた方がよほど寂しい。
ケインが言いたいのは、自分がこうして肩入れしていると、この件が派閥を生んだ時選択肢がなくなるのではないかということだ。
不利になってもケインの側に付かなければならないのは辛いだろうと。
そこは兄弟の多い弱小貴族の強みだ。
周囲はうちの動向なんてさほど気にかけないだろうし、家の総意に沿わないのが一人いても別に問題にならない。
だから自分の意思で巻き込まれにいくと決めたのだ。
「もうなあ、乗り掛かった舟だよ。ここまで関わったんだから最後まで見届けさせてくれよ」
乗ったのは小舟だし大波には弱そうだ。
それでも波を読み乗り越えれば、水の上をどこまでも進んでいける。
迷惑はかけたくないと気遣うケインに、ルームメイトはそう言って笑うのだった。




