貴族の猫かぶり
「孤児院はいかがでしたか?」
戻りの馬車でそれとなくされた質問にエレナは笑顔で答えた。
「ええ。皆が本当によく頑張ってくれていたわ。それに私の心配もしてくれていて、こんなことを言ってはいけないかもしれないけれど、とても嬉しかったわ。忖度なく自分の無事を喜んでくれている人がいるって幸せなことね」
一歩間違えば多くの負傷者、果ては死者を出していたかもしれないのだ。
トラブルに見舞われた事が嬉しいわけではない。
けれどこの一件の周囲の反応で、彼らが自分をどう思っているのか、彼らが自分に何を求めているのかを見ることができたように思う。
「忖度ですか……」
「ええ」
忖度と言う言葉にエレナが迷いなく返事をすると、ケインが少し呆れたように言う。
「皆がそんな思いでエレナ様を心配していたわけではないと思いますが……」
それを苦言と捉えたのか、エレナは少し口をとがらせた。
「皆とは思っていないわ。でも、私が無事ではなかったら、悲しむよりも自分たちが罪に問われることに対しての恐怖にとらわれる者が多かったと思うの。でも彼らは違う。私に何かあったら誰よりも悲しんでくれる。そして今回、純粋に私が元気であったことを喜んでもらえていると、そう感じられたのよ。きっと彼らは普段から素を見せてくれているからだと思うけれど……」
今回ほど貴族の猫かぶりを鬱陶しく思ったことはなかった。
あの後のお披露目の席では、これでもかというほど心のこもっていない言葉をたくさん聞いたように思う。
「確かに貴族の皆が普段から表面を繕って生きておりますから、本音は分かりにくいかもしれません」
だからエレナが猫を被っているように見えるというのは分かる。
心配をしていても、それを顔に出さないのもまた一つなので、心配していてもしていなくても、淡々と彼らは挨拶に加わっていた。
ただ、言葉では皆が似たように心配の言葉を掛けるので、エレナからすれば気持ちの良いものではなかったということだろう。
「もちろん、それが美徳とされているから仕方がないことは分かっているわ。私だってそうしているのだもの。でも私には、お兄様のお披露目の時に、仮面をつけたような表情で寄ってきた貴族たちの言葉より響いたの」
貴族社会の頂点にあるはずのエレナが、なぜか一番素直な言葉や表情を出している。
心のこもり方が違うと感じたとエレナがそう言ったのを聞いた騎士は、複雑な表情を浮かべた。
「確かに彼らはそういったものに長けておりませんから、見れば本音かどうか一目でわかります。どうしても貴族とばかり関わっていると本音を隠すのが当たり前になって、ついどの言葉にも裏があるのではないかと思ってしまいますが、エレナ様はそうは思われないのですね」
「そうね。考えていなかったわ」
これも貴族社会で人と接することが少なかった、特に同年代の貴族と共に過ごすことのなかった弊害かもしれないが、同時にいつかは今ある常識そのものは変わる可能性もあるのではないかと、この場にいた護衛騎士の誰もがそう感じているのだった。
孤児院訪問から数日後。 エレナのもとに院長から手紙が届いた。
手紙には先日のお礼と、別れ際に話した仕事の種類の箇条書き、最後には次回訪問もお待ちしておりますと丁寧に書かれている。
とりあえず 返事は次回訪問のお伺いとともに送れば問題ないだろうが、そこに何も書かないわけにもいかない。
「とりあえず、彼らが就けそうな仕事は、勉強をしてもかなり限られているようね」
多くの仕事があるにもかかわらず、そこに書かれていた職業は少ない。
エレナはそう感じて言った。
「そうですね。ここにはありませんが、出自の問われる仕事は難しいので、やはり当面の最高位は実力至上主義の騎士団所属でしょう。ですが、特に女性は身売りを考えなくても良くなりますから、そこは救いになるのではないかと」
収入が少なくとも、今より増やすことはできる。
それだけでも違うし、今ある選択肢から溢れて身売りを選択されるよりは、違う地ごとに挑戦できると希望を持てた方が、彼らの気も楽になるというものだろう。
「そうね。女性や子どもが自ら身売りを考えなければならない環境は健全ではないわ。あの貴族にもそこを付け込まれたのでしょう?」
あの貴族も嫌がる女性に声は掛けていたものの、無理矢理連れだすことはしていなかった。
もちろんそんな話を持ちかけている時点で、彼らの弱みに付け込む行為なので、それが良いわけがない。
ただ、うまみのある話だと、その甘言に乗ってしまうほど彼らの生活が逼迫しているというのなら、それは生活が成り立っていないのと同義だろう。
「おそらくは……。ですから迷惑と言いながらも、声をかけてきた貴族に従えばと、彼らなりに考えたのかもしれません。独立すれば、口減らしになり、皆のためになるとか……」
「そんな……」
確かに裕福な暮らしをしているわけではない。
ほとんどが共有のもので、私物をほとんど持ち合わせていないし、料理も一品ずつ作られるものではなく、たくさん作ったもの取り分ける方式だ。
貴族のパーティと異なるのは、まず並べた料理は選択するためにあるものではなく、その量しかないと彼らに見せ、かつ、料理が残ることがないよう皆で譲り合いながら食事をしましょうというものであることだ。
そして、一人自立すれば、孤児院を卒院すれば、一人の取り分は多くなる。
口減らしが残っている人たちの役に立つと、そう考える子もいるというのはそういうことだ。
ちなみにエレナたちは一緒に食事をしているものの、食事の代金は少額ながら寄付という形で院長に渡していて、それが孤児院で周知されているのでやっかみを受けることはない。
それを知らなくても、本来は大金を払わないと受けられない、文字の授業を無料で受けられているので、寄付を受け取らなくても過剰なくらいだと院長からは言われている。
ただそれでも現状、あまり改善したようには思えない。
贅沢を覚えたら戻れなくなるというのもあるようだけれど、今まで病気をしても医者に見せるのが難しかったので、今後そういうことがあった際に使いたいと、今の生活を維持しているのだという。
「エレナ様が落ち込むことはありません。少なくとも今は、できることがあります」
少なくとも手紙には、誰が見てもまっとうな仕事が複数あげられている。
彼らがこの職業に就けるようになれば、とりあえず不幸な子どもは減らせるのだ。
「そうね。きっと院長もそう考えてこの手紙を送ってきたのだと思うわ」
院長はこれ以上、そのような子どもを増やしたくないと思って送ってきたのだろう。
エレナは手元にある手紙をもう一度見て、何とかそれを実現したいと考えるのだった。




