再訪と歓迎
孤児院と手紙でのやり取りを再開したエレナは、数回のやり取りを経て、久々に孤児院への訪問を叶えた。
「エレナ殿下!ご無事で良うございました……」
いつも通り馬車を降りたエレナが挨拶のために院長室を訪ねると、院長はエレナを見るなりそう声を上げた。
「院長、心配をかけてしまったわね。あと、来るのがずいぶんと遅くなってしまって……」
いつもの通り料理も、そして勉強の続きもするつもりで気合いを入れてきたエレナだったが、想像以上に自分の来訪と無事を喜んでくれている院長に少し恐縮しながらそう答えた。
同時に手いっぱいであったとはいえ、こんなに心配させてしまっているのならもっと早く来られるよう、自分から申し出るべきだったかもしれないと申し訳なく思ったのだ。
「いいのです。あのようなことがあったにも関わらず、こうしていらしてくださるなんて、こんな喜ばしいことはありません。皆もエレナ殿下がいらっしゃるのを心待ちにしておりました」
院長が感無量といった様子で目を潤ませている。
けれどエレナは院長の言葉が気になって思わずその感傷を打ち切るかのように言った。
「院長、呼び方はいつも通りにしてもらえないかしら?」
「では……、姫様……で」
今までのように名前を呼ぶのは憚られたのか、皆に合わせて姫様と呼ぶことにしたらしい。
もしかしたら、自分がいない時や皆と話をしていた時はそう呼んでいたのかもしれないので、皆と同じ呼び方ならばとそれを了承する。
「ええ。皆ともいつも通り過ごせたら嬉しいわ。それから皆、間が空いてしまったにも関わらず、きちんと勉強を続けてくれていると、報告を受けているわ。だから食後の勉強の時間を楽しみにして来たのよ」
院長が騎士に伝えてくれた内容はきちんと報告を受けているとエレナが言うと、心配そうに暗い顔をしていた院長は笑顔になった。
「はい。それはもう……。こちらに何度か騎士様が立ち寄ってくださって、エレナ様にお怪我はないけれど、安全になるまではこちらに来ることが難しいと説明を受けておりましたし、間があくかもしれないというのは、以前直接ご説明を頂いておりましたので、皆もそのつもりで復習を頑張っておりました。市場に買い物に行く面々は、読める文字が増えて、早く先に進みたいとより心待ちにしておりました。ちょっと遅れ気味の子どもたちに関しては、大人たちが懸命に教えて遅れを取り戻すことができていますから、続きを是非にお願いいたします」
エレナが来ない間、覚えている子は復習を兼ねて、忘れてしまったり、ちょっと勉強が遅れそうになっていた子どもをサポートしながら、皆が同じところから勉強を再開できるよう努力したのだという。
事件が起きた事もありどこの騎士たちも忙しくしていたが、それでも孤児院出身の騎士が孤児院を心配し、合間を縫って訪ねてきたこともあって、
そして今では遅れそうになっていた子どもも自信を持って皆と同じペースでおさらいの場に参加できているのだという。
「それは素晴らしいわ。できる人ができない人をサポートしながら勉強するという経験は、残念ながら私にはないけれど、学校などはそんな感じなのでしょうね」
得手不得手があるのは当たり前。
それを集団生活の中で補い合って、自分たちを高めていく。
それは素晴らしいことだとエレナは褒めた。
そして学校というところも集団生活の場なのだからきっとそういうところなのだろうとエレナが口にすると、院長は少し難しい表情になった。
「学校は……、場所によりましょう。足の引っ張り合いも多いと聞きます。そういった事も含め、社会生活を学ぶ場所ではありますが」
確かに学校は仲間と共に多くを学んでいくことのできる場、生涯の友を得る場のひとつかもしれない。
けれど、競争社会でもある。
平民の通える学校でも成績で優劣が付けられることが多いのだから、貴族学校などそれ以上のものがあるだろう。
平民だけしかいなければ見える能力の優劣だけで判断されるが、貴族の場合、そこに階級制度が加わってややこしいと聞いている。
だからこそ貴族学校というものが、それらの勉強の場となるということらしいが、エレナは上から片手で数えられるくらいの高位にいるため、学ばなくとも皆が頭を下げるだけだろう。
他にも貴族たちの中で色々成し枠があったらしいという話は遠巻きに聞いているし、この話を深く掘り下げるのは得策ではないと院長は考えて曖昧な言葉を選んだ。
「そうなのね」
エレナがそう答えた時、あいているドアの向こうから子供たちの声がした。
「姫様来てる!」
「院長が姫様独り占めしてるー。ずるーい!」
エレナたちがその声を聞いて振り返ってみれば、開いた入口の向こうに、数人の子供が立っていて、部屋の外から院長に大きな声で抗議の声を上げ始める。
そしてその声を聞いた子どもたちがどんどん集まってきて、各々エレナを見てははしゃいでいた。
しかしそこから中に流れ込んでこないあたり、きちんとしつけられている様子がうかがえた。
院長は慌てて入口に駆け寄ると、子供たちに説明した。
「独り占めではありませんよ。姫様が本当に怪我をしたりしてなくてお料理とかしても大丈夫なのかとか、皆が勉強を頑張っていたことを伝えて次にどこから勉強を再開すればいいのかとか、大事なことを話していたのですからね。もし姫様が無理をしてここに来てくれていて、そのせいで病気になってしまったら皆悲しいでしょう?」
院長がそう諭すと、子供の一人が立ちふさがった院長を避けるようにしてエレナの方をじっと見上げた。
「姫様、お怪我してるの?」
院長と子どもたちの様子を見ていたエレナは、自分に来た質問に自ら答える。
「いいえ。大丈夫よ。お勉強の話、ちゃんと聞いたわ。でも、ちゃんとおさらいはするから、そのつもりでいてちょうだい。その前にお昼ご飯を作らないといけないわ」
お昼ごはんという言葉を聞いた子どもたちは目を輝かせた。
エレナの作るご飯はおいしい。
エレナが教えてくれた料理で孤児院の料理の味はかなり改善された。
でもエレナが来るたび、自分たちが知らない料理が出てきたりするし、味付けも孤児院の女性たちとは違っているので、子どもたちも女性たちも新しい味を知ることができて嬉しいのだ。
「楽しみにしてるね!」
一人が言うと、皆が廊下できゃっきゃとはしゃぎだした。
「皆さんはまだお仕事の途中でしょう?ちゃんとお仕事をしないとお食事できなくなりますよ。姫様の料理は人気がありますから、出てくるまでに自分の仕事を終わらせましょうね」
院長にそう言われると子どもたちはバタバタと部屋に戻っていった。
とりあえずお昼までに終わらせる仕事にノルマを割り当てていて、それが終わってからじゃないと昼食は出さないとしているらしい。
そうすることでサボる子どもを出さないようにでき、不平等感を無くせているのだという。
入口前から子どもたちがいなくなったのを確認した院長はため息をついた。
「子どもたちにはかないませんね」
エレナを待っていたのは院長だけではない。
皆がエレナを心配し、無事と聞かされていても姿を見せない事を不安に思っていたのだ。
さすがに大人の女性たちは礼儀として間違っていると理解して院長室に押し掛けて行くようなことはしなかったけれど、破天荒な子どもたちはそれを実行に移したのだ。
「そうね。でも私も皆の元気そうな姿が見られて良かったわ。それで、そろそろ調理場へ移動しようと思うのだけれど」
昼食の支度をすると子供たちに言った以上、自分がやらなければ約束を反故にすることになる。
それに自分は雑談のためではなく手伝いをするために来ているのだ。
事前に手紙でも念を押しておいたけれど、いつも通りやらせてほしいと再度直接そう告げれば院長は嬉しそうにうなずいた。
「はい。ありがとうございます。よろしくお願いいたします」
院長が頭を下げる中、エレナはその部屋を後にして調理場に向かう。
エレナが調理場に向かうため廊下を歩いていると、院長室から離れたはずの子どもたち数人がいつの間にか後ろからくっついてきていた。
おそらく自分の仕事をすでに終えて昼食を待つだけの子たちだろう。
彼らは言いつけをきちんと守って調理場の中には入ってこない。
しかし、いつもならそこで部屋に戻る子どもたちだが、エレナの様子が気になるのかなかなか入口から離れようとしない。
だからといって、許可なく料理場の中に入れるわけにはいかないし、邪魔をしていないのに追い払うのも違うので、とりあえずエレナは中に入って作業に取り掛かるため調理場を一望した。
そんな調理場の中にはいつも一緒に作業を手伝ってくれる女性たちが、エレナが調理しやすいよう、すでに準備を整えてくれていたのだった。




