一区切り
馬車まで男を誘導した騎士はクリスのところに馬車の出発を報告した。
彼はクリスの護衛騎士の一人で、男の送り出しを確認するよう命じられ、また、クリスのを成功させるため、タイミング良く彼を馬車まで誘導する役目を担ってっていたのだ。
執務室で報告を受けているクリスは、一つのお仕事を終えたと安堵の息を吐いた。
「そう、出発したんだね。あとは彼のお屋敷から追加の押収物を持ち帰ってくるのと、国境を越えて戻ってくるのを待てば、とりあえずしばらく余裕ができるということだね。お疲れ様」
「ありがとうございます」
まず彼をできるだけ周囲に知られることなく外に出す。
言い訳を考えてあるとはいえ、知られない方がいいのは間違いないので、最低限の人数でそれを実行した。
馬車が出発したということは、向かっているのは彼の屋敷で、到着したらすぐ、馬車に荷の積み込みを始めるはずだ。
王宮から彼の屋敷まで距離が離れていれば、少なくともすぐに彼の動向を探ろうとする者はいないだろうし、一応騎士たちを多めに動員しているから、馬車に荷物を積んでいるのは押収のためと、事情を説明せず警備を任せている騎士たちにも判断されるだろう。
そこに本人がいても、きっと家の中を案内させる目的だと思いこむだろうし、最後は騎士に連れ出されて屋敷を後にするのだから不自然ではないはずだ。
家具は外から見えない分しか積まないよう指示しているし、もし彼の姿を見られても、事情を知らない周囲の者は彼が商売に復帰したと思うだけだろう。
こうして人の勘違いを利用してうまく渡って彼を国境から外に出す。
そこまでを無事にこなすことができればこちらの仕事は終了だ。
「ところで、ここを出る前に、ちゃんと彼の声を聞かせることはできたかな」
男の出発の第一報を聞き終えて、ふと思い出したようにクリスが尋ねると、彼はうなずいた。
「はい。少なくとも私共には聞こえました。彼も声を聞いて立ち止まったので、きっと声の主がご子息と分かったと思います」
彼に声を出すことは許さなかったが、立ち止まって会話を聞くことを許したのは、最初から計画のうちだった。
報告をもたらした騎士の話を聞く限り、二人の接触はさせず、けれど男に息子が生きていると認識させるというこの計画は、一番理想の形で成功したと言える。
「じゃあ、彼も疑わずに作戦を実行してくれるよね。少なくともご子息が生きていて食事を与えられていて、酷い扱いはされていないと理解したってことで」
「おそらくは」
姿を見ていないけれど、受け答えをきちんとしていたのなら問題ないと判断するはずだ。
そこで騎士が怒鳴ったり、暴力を振るうような音がしたり、そんなことがあれば彼は自分たちを信用しなかったかもしれない。
もちろん、普段からそのようなことはしないようにと指示をしているから、特に貴族相手にそんなことをする人間はいないだろうけれど、それでも全くないとは言えない。
そういう懸念もあって食事を運ばせる人間も選んだのだが、そういう人間が紛れ込む可能性は排除しきれなかった。
けれど滞りなく終わったのなら上々だ。
「周囲にあまり知られずに実行するにはこれが限界だと思ったんだけど、うまくいったのならよかったよ」
安否確認のためとはいえ、あの父子を対面させることは避けたかった。
二人の関係が良好なものではなさそうだと調査では判明しているが、対面すれば何かしらの合図を送ることなどもできてしまうかもしれない。
また、顔を合わせずとも、会話ができるとなれば暗号などでやり取りをされる可能性がある。
自分たちがそれを見落とすようなことも避けたい。
実際に事件の時、騎士団の人間がいたにもかかわらず、内容を確認した手紙を渡した結果、事件の詳細が受け取り側に伝わるという苦い経験をしたばかりだ。
それ自体大事にはならなかったからよかったものの、掻い潜られたという事実は身過ごせるものではない。
これも他国の絡む話で、しかもこちらから仕掛けるものなのだから、失敗は許されない。
それが接触をさせない理由だった。
しかし男の信用を得るために、息子が生きているという事を何らかの形で伝える必要がある。
できれば双方に知られない形でそれを実行したい。
そうして実行されたのが、食事を渡すという日常会話を遠くから一方的に聞かせるというものだった。
だから不自然にならないよう、息子の言葉を男が聞いている事を知られないようにしたし、互いの姿を確認させる事もしなかった。
「あの、これからのことですが……」
騎士がそう切り出すと、クリスはにっこりと微笑んだ。
「まずは彼が無事、亡命に成功してくれないと話は進まない。こればっかりは様子を見るしかないよ。それに亡命してその後の監視だってしばらく必要になるし」
「それもございますが、エレナ様は大丈夫でしょうか」
小耳にはさんだ話では、現在護衛騎士は部屋の外で待機させられているという。
エレナは部屋にある椅子に座っているものの、侍女たちも声をかけられる空気ではないらしい。
「そうだね、ブレンダがエレナのところに行ってくれたから、うまくやってくれると思っているけど、二人の気持ちがあっても全てが滞りなく進むかどうかっていう問題もあるからね」
「そうですね。他国が動かないとも限りません」
二人の関係をクリスを通して見ている騎士も、クリスを通して二人の関係をよく知っている。
同時にクリスがどうしたいのかも理解しているのだ。
クリスは彼が理解していることを知っていることもあり、思わず確認した。
「私個人としてはあまり発破をかけたくないんだけど、少し離れたところから見ていてどう見えているのかな。当事者として見ているともどかしくて仕方がないんだけど、やっぱり仕方がないと見られているのかな」
「そうですね。一般的にお二人の関係は認知されていませんから、この件で急に名乗りを上げたことで、唐突だと感じる者は多いでしょう。その分反発も大きいでしょうし、特にケイン側には圧がかかるかと思います。ですから、そうなる前に全てを整えてしまうのが良いと愚考致します」
彼もクリスの思う方に事が運んでくれることを望んでいる一人だ。
それは二人を思ってのことというのもあるが、クリスの苦労を知っているからという方が大きい。
彼はクリスの味方なのだ。
「そうだよね、これも時間勝負だよね」
ブレンダに任せているとはいえ、気にならないわけではない。
エレナの方はどうなっているのか。
クリスはブレンダの報告を待ちわびて、閉まったままのドアに目をやるのだった。




