クリスの家庭教師
臣下の目がクリスにばかり向いてしまうことに、頭を悩ませていたのはクリスだけではなかった。
事態を重く見た国王と王妃が、自らクリスに付ける家庭教師を選ぶことにしたのである。
最初は他国の者が殿下と親しくなること、他国に都合の良い解釈を植え付けられるのではないかと、登用に難色を示した者もいた。
もともと自分たちが引き起こした事態なので、あまり強くは出られないはずなのだが、他国からも登用されるとなれば自分たちが職を失いかねない。
すでにそうなりそうな事態となっていたこともあり、今回は失職を覚悟して彼らは発言したのだ。
国王と王妃も、彼らの不満を何とか取り除きたいと考えていた。
彼らがダメになるのはあくまでクリスの前だけであって、その他の仕事に関しては非常に有能なため、外への流出は避けたい。
そこで妥協案として、今までの家庭教師が使用人と同じように側に立ち会うこと、その内容を報告することを条件として納得してもらうことにしたのである。
落ち着かない環境に終止符を打ち、クリスの家庭教師となったのは、隣国の大使をしていた男である。
彼は多くの国で様々な価値観に触れており、殿下を可愛いという基準から外して見る目を持っていた。
また各国の文化にも精通しており、普通に家庭教師としても優秀であった。
一人で別の国に赴くことも多かったため、腕も立つらしい。
護衛と教師の二役をこなせるいい人材である。
クリスに隣国の要人を付けることで、彼に対応できないものをクリスの周囲から排除するという効果も発揮した。
クリスの側で働きたいというだけの理由で国際問題に発展するような仕事は任せられない。
そのように事情を説明すると、無責任な立候補者はいなくなり、本当に上を目指す者だけをクリスの周りに配置することができるようになったのである。
一方、現在ついている者たちも気を抜けない環境になった。
クリスの周囲にいる者が彼に見とれたり、癒されたり、妄想したりしている場合ではなくなったためである。
隣国の大使はクリスに様々なことを惜しみなく教えた。
彼は時に家庭教師を巻き込んで授業を展開する。
最初は戸惑って、あしらっていた家庭教師たちだったが、彼の授業を聞いているうちに徐々に興味を持つようになっていった。
授業の見学と言いながら、彼の後ろでこっそりメモをしている姿も見られるようになったのである。
クリスの教育だけではなく、自分たちの知らない世界の話を学ぶことの楽しさや大切さを教師たちに思い出させた大使、彼の目標は、世界の者が手を取り合い、いがみ合うことなく、皆が幸せに暮らせるよう、各国の文化を伝えて歩くこと、自分は国を司る立場にないから、それを未来の権力者に託し明るい未来に導くこと、という、かなり悟ったものである。
ちなみに彼はクリスが学校生活に入るまでという期限つきでの家庭教師であり、その任務が終わったら、また他の国へと足を運び、大使としての役割を果たすのだというから、彼もまた新しい知識を仕入れることの大切さを知っているのだろう。
大使はクリスだけではなく周囲の人間の信頼も、授業を通じて勝ち取っていったのである。
ある日、クリスは大使に自分の置かれた環境と本音を吐露した。
「みんなに可愛いって言われるけど、全然嬉しくないのです。僕はもっとかっこよくなりたいのです。こういう歴史に残るような強くてかっこいい英雄に……」
「じゃあ、殿下は戦争をしたいのですか?」
歴史の本を傍らに置いた状態で大使は質問した。
開かれたページには戦で勝利した英雄の話が書かれている。
「そうではありません。でも、かわいいって言われるのは苦痛で悔しいのです」
自分もいずれ王になるかもしれない。
そこで後にかわいい王だったなどと歴史書に残りたくないとクリスは思っていた。
「可愛いという言葉は、確かに男性に使っても褒め言葉にはならないですね」
大使は彼の意見に同意を示してから続けた。
「ですが殿下。この先、あなたの可愛らしさは必ず武器となります。ですから、その可愛らしさを失わず、強くなればいいのです」
「それでは、かっこよく見えないのではないですか」
結局かわいいということを維持する必要があるのだと言われて、クリスは思わず反論した。
「ええ、それでいいのです。本来の強さを公にしないというのも、かっこいいと思いませんか?能ある鷹は爪を隠すと申すそうですよ」
「鷹はもともとかっこいいものではありませんか」
鷹は紋章になるような獰猛な鳥である。
クリスは本物を見たことはなかったが、紋章を見る限り、強くかっこいい鳥に見える。
「確かにそう見えますね。しかし殿下。鷹は鳥でございます。鳥はかっこよさというものを鳥はどのように判断しているのでしょう。それは私達にはわかりません。私達から見たら鷹はかっこいいもの、強いものに見えますが、彼らの中にも色々な容姿があるのではないでしょうか」
大使は、見方を変えれば同じものでも、強くもかわいくも美しくも見える。
そして共通点はあるものの、考え方や感じ方の違いこそ、それぞれの国独自の文化であり、多くの国を理解するために重要だと言う。
「では、僕が大使から見てかっこよくなるためにはどうしたらいいの?」
クリスも視点を変える方法があるなら聞こうと大使に尋ねた。
「そうですね。私達国民も見た目だけを重視して強い人を認識しているわけではありません。国民を本当の意味で守れる王になることが、かっこいいと後世に伝えられるために必要なのではないでしょうか」
後世に伝えられる際、大切なのは国民がその時にどう感じたかである。
書物に残されない多くのことは、口伝で残されており、それらをまとめた者が歴史書なのだ。
その彼らが語り継いだ時、見た目のかわいいクリスでも、国民のためになる実績を積んでいれば、かっこよかったと言われる人になれるということだ。
「歴史書に残される内容の大半は実績です。あなたはこの本から彼の容姿をどのくらい正確に想像できますか?」
「……確かに、英雄の容姿は言い伝えられているけど、実際に見た人がいるわけではないし、外見に関して言うならば、伝えた人や書き残した人の主観が入ってしまうことは考えられるね」
「その通りでございます。そしてあなたの容姿は、必ずや後の武器になります。それだけは覚えておいてください」
見た目は大人になれば変わるものだと思っている。
クリスは首を傾げた。
「使いみちがわからないな。でも使えるものは何でも使うくらいの気持ちがなければいけないのだろうね。歴史に残る偉人というのは思いもつかないことをやってのけた人ばかりなのだから」
「あなたにその気があるのなら、きちんとお教えします。まずはあなた自身が、自分に自信を持つところから始めましょう」
この家庭教師により、クリスはかわいいという最強の武器を持って、貴族学校へと進学することになるのだった。