前進
ケインから初めて直接的に自分を求める言葉を聞いたエレナは、その言葉を咀嚼したものの、考えたことがなかったためすぐに答えを見つけられずじっと考え込んだ。
ただ黙って考えていても答えは出ない。
そして今、目の前にいるのはケインだけだ。
周囲に気を使う必要はないし、ここは二人で話し合いをするよう設けられた場所で、人の耳を気にする必要はない。
それならば黙りこんでケインを不安にさせるより、正直に今の自分の気持ちを吐き出してしまった方がいいだろう。
「考えたことものなかったわ。私はきっと、いずれ国益となる国に輿入れさせられると思っていたもの。それが私の、あの時命を救われてしまった私に課せられたものだって、そう思っていたから」
まさかエレナの立場をよく理解しているケインからそのような話が出るとは思っていなかった。
提案を受けるまで考えた事もなかったとはいえ、落ち着いて考えるなら、この先もケインと離れず一緒にいたいのであれば、伴侶という関係が一番確実なのは間違いない。
しかし同時に、自分にそんな夢みたいな提案を受け入れる資格があるのだろうか、という理性も働く。
自分がここまで生かされた理由が、この立場や利用価値であるのなら、ここで自分の希望を素直に口にするのは憚られる。
それに、ここでこの話を素直に受け入れたら、また自分は守られるだけの人間になってしまう。
でも守られるだけではだめなのだ。
少なくともケインはそれをよしとしなかったはず。
何より、自分の我儘に、これ以上ケインを巻き込みたくはない。
ただ、自分の感情に素直になっていいのなら、断りたくはないのだ。
ケインだって、自分を伴侶にと口にするまでに、覚悟も葛藤もあったはずだ。
それがエレナのためであるのならなおさら、その厚意を踏みにじることもしたくない。
過去の出来事や自分の思いが頭の中で入り乱れ、なかなか次の言葉を選ぶことができないエレナは、次々と湧き上がる感情を抑えるのに必死だった。
自分と同じで今までそのような未来について考えなかっただけ。
エレナの話からそう察したケインは、それならもっと具体的に、自分の思いつく限り、してあげられそうな事を伝えてみれば、もう少し実感を持ってもらえるかもしれないと考えた。
エレナを伴侶にと口にした自分も、正直その先の未来について深く考えてはいなかった。
クリスからの提案、同僚からのアドバイスを受け、この数日、まずは形を整えるために動きまわっただけなのだ。
でもそれは何のためなのか。
エレナと共に過ごす未来を手にするためだ。
そして手にした先にあるもの、それは自分でも曖昧なままだけれど、エレナがどういう生活を送ることになるのかは、多少想像がつく。
まずはそこから話してみよう。
エレナの理想からは遠いかもしれないけれど、もしそうだとしたら、意見さえ聞ければ近付けていくことはできるはずだ。
「じゃあ、もしそれが叶うとしたらどうだろうか。エレナは王宮じゃなくて俺の家に住むことになって、両親と同居することになる。俺はいずれ領地を継ぐことになるから、その勉強も必要になるし、エレナにも領主夫人として色々手伝ってもらうことになると思う。今の訪問の公務に、事務的な作業が増えると思ってくたらいいかもしれない。だから少し大変になると思う。でも、国を出る必要はなくなるし、クリス様とも会おうと思えばいつでも会える。立場が低くなってしまうから、自由に押しかけていくわけにはいかないけど、クリス様ならきっとアポイントを取ればエレナを優先してくれると思う」
もしエレナがうちに来たのなら、まずはその時の環境に変化からケインは切り出した。
この前提条件は、エレナが自分の申し出を受ければ確実にやってくるものなのだ。
築いていきたい未来はこの土台の上にしか成り立たない。
エレナはケインをじっと見上げながら、時折短い返事と相槌を入れながら話を聞いている。
「あと、孤児院は、あそこは国営だけど、エレナが行けるようクリス様に配慮願うつもりだから、俺と一緒なら、これからも顔を出せるようにしたいと思ってるし、これからは今までできなかったことも、一緒にできるかもしれない。領地を歩いて回ったり、街で買い物だって……。俺はエレナとそうして一緒に過ごせたらと思っている」
領地を歩いたり、買い物をしたりというのは、以前、エレナがブレンダと一緒にやったようなものだ。
ケインはあの時ほどブレンダを妬ましく思ったことはなかった。
同性だから許されたことなのだから仕方がないということは頭では分かっているけれど、自分もエレナの隣を歩いて、一緒に楽しく過ごしたいと、なぜ自分ではだめなのかと悔しく思ったのだ。
その後バザーに行くということで街にも同行したし、孤児院に通うようになってからは、他の護衛騎士たちも交えてだけれど、一緒に課題について考える機会もあった。
近衛騎士としてエレナの護衛につく前、本人に見つからないよう陰からこっそりと見守ることしかできなかった頃とは違う。
孤児院に関しては、子供たちの目があるため、そう距離を置くことはないけれど、それでもあくまで護衛と護衛対象だ。
孤児院に行くようになってから少しは中和された感情だったが、伴侶という立場になれば、もっと堂々と外出なども可能になるのだ。
エレナにしてあげられることと言いながら、気がつけば自分のしたいことを口走っていることに気がついて、ケインは思わずエレナから目を逸らした。
「どうしたの?」
急にケインの挙動がおかしくなったため、黙って聞いていたエレナがケインに尋ねる。
「ああ、いや、エレナに何をしてあげられるのかなって考えて話してたはずなんだけど、今言ったのは、自分の希望だなって思ったんだ。だからちょっと申し訳ないなって……。もちろん、無理にそう言ったことに付き合ってほしいって意味じゃないから」
いくつかは叶えられたら嬉しいけれど、全部なんて贅沢は言わない、あくまでこれは自分の希望だとケインが付け加えると、エレナは自分の考えとは違ったのかと首を傾げた。
「私は……、ケインって私のしたい事をよくわかっているのねって驚いたのだけれど、本当にケインがさっき口にした事を望んでくれているなら、私はその全てを一緒にやってみたいと思うわ」
こうしてエレナから前向きな言葉を引き出すことができたのだから、まずはいい滑り出しだ。
ケインは手ごたえを感じて、ようやく緊張を解くことができたのだった。




