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庇護欲をそそる王子様と庇護欲をそそらないお姫様  作者: まくのゆうき


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調理場のおぞましいもの

調理場では朝から例のものが届くのを待っていた。

ところがこういう日に限って仕入れ業者が遅い。

料理人たちは時間内に作業を終わらせることができるのか、だんだん不安に駆られてきていた。


「いつもより遅いですね……」

「まあ、そういう日もあるだろう……」


そんな心配をしながら待っていると、昼前になってようやく業者がやってきた。


「すみません。いつもより狩りの人たちの戻りが遅くてこんな時間になってしまいました。今日は不猟だったみたいで……」

「そうでしたか。とりあえずいつもの調理台に乗せてもらっていいですか?」

「かしこまりました」


そうして肉を納品した業者は調理台に持って来たままの動物を数人がかりで乗せると、いつも通りさっさと帰っていった。


「さあ、ぐずぐずしている暇はないぞ。早速はじめよう」

「はい!」


料理長の掛け声で彼らはすでに準備していたものを手にとって、動物と向かい合うのだった。



その日、調理場ではいつも通り肉をさばく準備をしていた。

いつもであれば、早朝に届く肉を新鮮なうちにさばき、調理のできる状態に加工し、調理場を片付けて、きれいな状態を保っている。

ところがその日は食材が届くのが遅かったのと、エレナがいつもより調理場に早く現れたことが重なって、タイミング悪く、その現場に出くわすことになってしまったのだ。

調理台の上には血抜きをされて皮を剥いだだけの動物が横たわったままである。


「エレナ様!」


料理長はエレナが来たことに気がついて声を上げた。

幸い、まだ動物を深く傷つけていないため、多くの血を浴びている者は少ない。

料理長の声に気がついた料理人たちは、とりあえずエレナから動物が見えないように立ち位置を変えた。

その不審な行動にエレナはすぐに気がついて言った。


「皆、どうしたの?」


不思議そうに尋ねると一人が首を横に振って言った。


「いえ、この後ろにはおぞましいものがありますので、どうかお下がりください」


その言葉にエレナは首を傾げた。


「調理場におぞましいものなんてあったかしら?」

「おぞましいと言いますか、こう、女性にお見せするには衝撃の強いものでございます」

「そうなの?」


よくわからないと言ったように話を聞いているエレナだが、やはり料理人たちが隠しているところが気になるらしい。

エレナは立ちはだかる料理人たちの顔をじっと見まわしている。

そこで料理長は諦めたように言った。


「今奥にあるのは動物の亡骸でございます」

「動物の?」

「はい。食用の肉に加工する前の動物がいるのです」

「そうなのね……」


彼らは解体中の動物を見せまいと立ちはだかっていると理解したエレナは、無理に中を見せてもらうのを止めようと決めたが、続けて料理長は意外なことを言った。


「でももし、エレナ様がこの先、調理などをするのであれば、見ておくのもいいかもしれません」

「料理長!」

「それはちょっと……」


料理人たちがエレナを庇うように声を上げた。

市井でも女性がこのような場面に関わることは少ない。

子どもや女性は悲鳴を上げたり、その様子を見て失神してしまう人がいたりするためだ。

そんなショッキングなものをエレナに見せるのかと困惑するのも無理はない。


「エレナ様、普段食べているお肉は、ご存知の通り動物の命でございます。我々はその命をいただいているのです。ですから調理場では無駄のないようにできるだけ使えるところを調理して、出した方が残さないよう、おいしいものに変えるのでございます。命を捧げた側からすれば、せめて残さずおいしく食べてもらいたいでしょう。そして食べる方は残さないことが、命を奪う側にできるせめてもの供養だと私は考えているのです。これから調理場でその肉をいただくための下準備をするのです」


料理長の説明に感化されてエレナは尋ねた。


「私にもできるかしら?」

「エレナ様?」


思わず声を上げたのは料理人の一人である。

エレナはその料理人に向かってこう答えた。


「だって、私が食べるお肉なのでしょう?私がその現実から目をそむけてはいけない気がするの」


料理長はエレナと料理人の話を聞いて見せることを決めると、エレナに指示を出した。


「分かりました。こちらをお使いください。ですが、エレナ様は最初にナイフを入れるだけです。あとは見学していてください。お肉の加工はスピード勝負になりますので」

「わかったわ。目をそらさずに見学します」


そう言ったエレナに、料理長は服が汚れないよう、上から専用のエプロンを着けるように言った。


「動物後は服についたらシミになり残ってしまいます。こちらは我々が使っているものですが、こういう加工をする時に使う専用のものです。共用のもので申し訳ありませんが、こちらを服の上からおつけいただきます」

「わかったわ」


料理長はエレナをくるめるくらい大きなエプロンを用意すると、エレナをすっぽりと包むようにエプロンを装着させた。


「エレナ様、では心が決まりましたら中にお入りください。匂いもきついのでその覚悟もいただいたほうがいいでしょう」

「そうね。血なまぐさい匂いをここでも感じるわ。近づけばその分匂いもきつくなるわよね……」


そう答えてからすぐ、エレナは言った。


「大丈夫よ。行きましょう」



料理人たちは諦めて動物の乗っている調理台の周りから立ち退いた。

調理台の上には白目を向いた動物が横たわっている。

もうピクリとも動かないだろうことは見ただけでよくわかる。

目に入った瞬間に思わず目を背けたが、エレナはすぐに料理長に言った。


「大丈夫よ。教えてちょうだい」

「では、こちらの刃物で、動物のこの部分をはぎ取っていきます。このままでは大きいので、ここからここまでを切って範囲を決めましょう」


エレナは料理長のサポートを受けながら肉に刃物を入れた。

焼いたステーキにナイフを通るのとは違う感触にエレナは怯んだ。

ステーキナイフよりも鋭利で大きい刃物を使っているはずなのにぐにぐにとした感触で思うようにいかない。

血抜きはされているが、それでも動物の周りにはたくさんの血がついて固まり、ナイフを入れればまだ残っている血が溢れだす。

エレナの手は自分の刺したナイフを抜いた先から出てきた血でぬるぬるとしていた。

二回目にナイフを入れようとするが、手が滑って思うようにできない。

しばらく差し込んでは引くという動作を繰り返し、決まった範囲の肉片を少し剥がすことのできたところで料理長がエレナを止めた。


「基本はそのようにいたします。この部分はすでに肉が出ておりますが、本当は皮を剥いだりすることもしなくてはなりません」


片手にナイフ、もう片手に一口大に切れた肉を持ったまま固まったように動かないエレナに料理長は声をかけた。


「エレナ様、そろそろ我々が交代いたします。手を洗ってそちらにお座りになって見学ください。もし気分がすぐれないようでしたらこちらから出てお休みになっていてもいいのですよ」

「いいえ、見学するわ。目を逸らさないと言ったのは私だもの」


料理人たちはエレナに変わって手早く動物の解体を始めた。

エレナは自分がナイフを刺した感触や、手についた血のにおいを思い出しながら、彼らが動物を解体していく様子をじっと見守っていた。

エレナはだんだんとお肉が見たことのある大きさや固まりに変化していくのを見ていることしかできない。

やがて動物の亡骸は小さくなり、調理台は片付けられ、いつも飲み慣れた調理場に戻った。


「エレナ様、最後までおられましたが大丈夫でしたか?」

「ええ……。皆すごいのね。こんなことまでするなんて」

「今日の動物は大きいものでしたからね。小さいものでしたら、鳥や魚なども同じように処理をしてからお召し上がりいただいています。もし夕食が食べにくいようでしたら言ってください。他の者も出せるように準備しておきますので」


料理長の心遣いに感謝しながらもエレナは大丈夫だと答えた。


「なんだか見ていただけなのに疲れてしまったわ。それに片付けは見ていないでお手伝いするべきだったわよね……」

「我々は慣れてしまいましたが、初めての際はどなたでも見ているだけで辛さや疲れを感じるものです。エレナ様も一度お部屋でお休みになった方がよろしいかもしれません」

「ええ、そうするわ」


ぐるぐると巻かれたエプロンを料理長に外してもらうと、エレナはふらふらと調理場を後にするのだった。



夕食には当然のように今日届いた食材の肉は使われていた。

エレナは昼間のことを思い出して思わず手を止める。


「どうしたの?顔色が悪いよ?」


クリスが心配そうに尋ねるとエレナは首を横に振った。


「いいえ、なんでもないわ」


そう言ってお肉を口の中に運ぶ。

食べてみれば調理場で感じたような生臭さはなく、香ばしい匂いと香辛料を含んだ美味しい味が口の中に広がった。

エレナはその味を噛み締めて、味わいながら食事を進めた。

もう調理場で動物のいる場面に出くわすことはないかもしれないが、この経験はきっと何かの役に立つに違いない。

複雑な感情を振り切るようにエレナはその経験を大事に胸の奥にしまうことにするのだった。

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