気分転換
クリスは報告者が誰もいなくなった執務室に、伝言を頼むため人を呼んだ。
「例の皇太子殿下から希望されていて保留にしてある面会の件、明日ならいいって伝えてもらっていいかな」
少なくともお披露目のために招いた客人のほとんどは帰国の途について王宮を離れたし、日をまたいで巡回をさせれば、街はいつもと変わらないという。
きっとこの状況を彼も把握していることだろう。
すでに緊急事態を脱しているのに客人の申し出をおざなりにすることはできない。
襲撃直後、余裕のある皇太子がエレナにその場で結論を迫るような話をしたため、クリスはエレナと彼を会わせることをしなかった。
あの状況下でクリスに提案したような申し出があれば、エレナに受けないという選択肢がなくなってしまうからだ。
例えそれが仮初のものという申し出だとしても、対外的にはそうは映らない。
彼本人というよりも、彼の国の人間がその誤解を狙ってエレナを得ようとするのは間違いないだろう。
そうして一旦はエレナの婚約話をうまく先送りにして回避したのだが、その後、正式に面会の申し入れが入ってしまった。
相手側から正式な手続きをされてしまっては、断るのにそれなりの理由が必要となる。
そしてこれを断ると、昨日の彼の話を対外的に肯定したことになってしまう。
他国の絡む誘拐未遂、人身売買事件を抱えた状態ということもあり、この申し出を断るのは得策ではない。
ただ、先日押し掛けてきた時、エレナに話すと言っていた内容を、彼はきっと口にするのだろうと思うと、こちらとしては気が気ではない。
しかもそれはあまり先延ばしできる話ではない。
相手にその気があるのだからなおさらだ。
とりあえず落ち着いたと判断できるところまできたのだから、目の前の課題を片付けるべきだろうと、クリスはため息をついた。
「お時間はいかがいたしましょう」
優秀な彼がそう尋ねると、クリスは少し考えてから言った。
「夕方前かな。そろそろエレナの息抜きも必要だし」
「エレナ様のですか?」
「そう」
クリスから予想外の答えが来たため彼が聞き返すと、クリスは間違っていないと微笑んだ。
「まだしばらくギスギスした状況は続くけど、王宮内の客人は今日でほとんど帰国して、彼しか残らないはずだから、少しエレナも自由にさせてあげたいなって思ってね。彼には散々なところを見せているし、まあ、今回に関しては、彼の皇太子殿下へのご褒美のようなものを用意してみようかなって」
客人を迎えている間、エレナの行動はいつもよりさらに制限された。
もともと狭いものをさらに狭めてしまったので、そのストレスは想像以上のものに違いない。
エレナもさすがに状況を理解しているので大人しく従ってくれているけれど、ずっと窮屈な思いをさせているのだから、そろそろ気分転換をさせた方がいいとクリスは言う。
そしてそれは、できることなら早朝の訓練ではなく、別のものに向くようにしたい。
それに適したものが料理だ。
前の会食の際、エレナが料理をするという話を出していたし、そこに悪い印象を持たれた様子はなかった。
それなら手ずから作ったものを出すのも悪くはないだろう。
それが彼へのご褒美にもなるはずだし、料理は刺繍などの物品と違って残らない。
後に関係を疑われても、証明できるようなものが相手の手元にない状態を維持できる。
何より、エレナ本人との面会を許すのだから、クリスからすれば最大の配慮だ。
クリスが彼にエレナの作ったお菓子でも出そうと思っていると伝えると、彼はようやくその意図を察したのか、材料の手配をすると申し出た。
「ご褒美……。なるほど。材料は何をご用意いたしますか?その時間ですと、お菓子か軽食になるかと思われますが」
それでなくても客人の滞在が伸びて、調理場は料理の内容を工夫することで乗り切らなければならない状況だった。
まだ客人が若干残っている事もあり、本日分については多くの材料がすでに手配されているけれど、さらにエレナが使うとなれば話は別だ。
調理場が再び不測の事態になりかねない。
あらかじめわかっているのなら本日中に届けさせた方がいいだろうと彼が提案すると、クリスは首を横に振った。
「それはエレナに選ばせるつもり。たぶんこの話をしたら、エレナが自分で調理場に行って話をすると思う。それも息抜きになると思うんだ。それにエレナは孤児院で材料を見てから調理をするって事もできてるから、どこかの貴族の道楽みたいに材料を無駄にするようなことはしないよ。何より、準備されている材料も税金だってことを理解しているしね。追加は明日で問題ないように調整するだろうし、まず料理長がそう誘導すると思う」
これからエレナにこの話をすれば間違いなくエレナは調理場で話をすると言い出すはずだ。
そもそも料理人たちとエレナは仲がいい。
エレナから騎士向けの軽食の依頼があった時も、エレナのためならと迷わず引き受けてくれたくらいだ。
調理場には事前連絡をした方がいいかもしれないが、彼らがエレナの申し出を拒むことはないだろう。
それに騒動の後、ほとんど彼らはエレナと顔を合わせていない。
人伝に無事と聞いていても、姿を見せた方が安心させることができるはずだ。
「なるほど、かしこまりました。彼の国の方には、とりあえず夕方前なら面会可能、エレナ様もいらっしゃるとお伝えすればいいでしょうか」
エレナが同席すると伝えた方がいいかと確認されたクリスは、再び首を横に振った。
「エレナが来ようが来なかろうが、彼は私と話すことがあるはずだから、私との面会だと伝えてくれたらいい。申し出の中にエレナの名前もあったけれど、聞かれたら確認するとだけ答えておいて。ああ、もしよければ、調理場に寄って、明日面会の席にお茶とお菓子が必要になることと、その件でエレナが後で訪ねるかもしれないことを伝えておいてくれおいてくれたら嬉しいな」
「承知いたしました」
皇太子殿下との面会に関しては、結果的にエレナを同席させることにはなるが、情報は小出しにした方がいいだろう。
彼ならこの面談を承諾したという連絡を受けた時点でどうなるか察するはずだ。
そうして伝言を託して人を送り出したクリスは、この後の事をどうするか考えながら、机に乗せた肘に頬をついて、ため息をつくのだった。




