皇太子殿下との再会
お披露目の会も終盤に差し掛かった頃、食事を堪能していた青年が一人、クリスの元に歩み寄った。
青年が向かう先を、皆が慌てて開けるので、そこには道ができていて、そちらに目をやれば奥から誰が向かってきているのか、クリスたちからも見えた。
その存在感が主役より目立っているように見えなくもない。
彼が近付いてくると、王族一家に挨拶をしていた客人や貴族たちも慌てて離れて彼にその場を譲った。
彼はそんなことを気にする様子もなく堂々とその道を歩き、クリスの前で立ち止まった。
「おお、クリス殿下!此度は立太子、婚約おめでとう!それにしても相変わらず美しいが、今日は一段と麗しいな!」
そう楽しそうに笑う彼に怯むこともなく、クリスは口元を手で隠して笑いながら答える。
「ありがとうございます。あなたは相変わらずですね」
その様子が差ながら貴婦人のようで、周囲は思わずため息を漏らすが、二人は周囲の反応など関係ないといった様子だ。
「変わる必要はないだろう。私と殿下の仲ではないか!」
肩でもバシバシ叩きそうな勢いで話しているが、さすが一国の皇太子ともあって、この場はわきまえている。
そんなクリスとのやりとりを表情が引きつりそうになりつつ、クリスの隣で必死にこらえているのはブレンダだ。
彼の放つ異彩な圧が、過去の訪問時少し見た時に感じたものとは違う。
こうして対峙してみれば訪問時、彼がいかにその圧を出さぬよう振る舞っていたのかよくわかる。
敵対していないのにこれなのだから、敵には回したくない。
それを知っているから、対等の立場であろうものを含めた他の賓客たちが、彼のために道を開けたのだ。
さすが大国の、そして実力を認められてその地位を得た皇太子だ。
たとえ戦争にならずとも、彼にはその存在だけで周囲を黙らせる力がある。
本来の彼はこうなのだろう。
ブレンダが竦みそうになるのをどうにか挨拶を済ませると、彼は堂々と国王夫妻に声を掛ける。
「陛下、皇后も、此度を無事に迎えられ、何よりだったろう」
「ええ、本当に」
クリスもだが、彼らは内外で多くの人と接してきた事もあり、彼に怯む様子はない。
友好国なこともありいたって穏やかに話している。
ブレンダがクリスと共にその様子を見ていると、国王夫妻との挨拶を終えた皇太子が今度はエレナの方を向いた。
「エレナ殿下、会うのは久しいな!」
「ええ、お久しぶりね」
エレナが彼を真正面から見上げてそう言うと、彼はそんなエレナを面白いと思ったのか笑みを浮かべた。
「身を挺して民を守ったという噂も聞いているぞ!為政者たるものの鏡だな」
武力だけで見るのなら戦力にはならないエレナが、民のために動いたという話は有名だ。
詳細を調べたとはあえて伝えず当たり障のない言葉を並べて彼がそう言うと、エレナは彼を見上げたまま首を横に振った。
「あれは私の力ではないのよ。確かに最初に制したのは私だけれど、ここにいるケインが、結局男を追い払ってくれたのだもの。私の力だけではどうにもならなかったと思うわ」
エレナの話を聞いた彼は、その隣にいるケインをじっと見てから、わざとらしく思い出したように言った。
「そなたは確か、エレナ殿下の護衛騎士だったな」
「はい」
急に自分に話を振られて驚いたケインだったが、彼と話していても、きちんと自分のパートナーがケインであると口にしてくれたことが嬉しかった。
エレナと親しげに話す彼を目の前にして心中穏やかではなかったのだ。
ただ、その影響で彼の圧と周囲の視線がケインに集中する。
周囲も今エレナの隣にいる男を見定めようと様子を伺っているので、ここで引くようなことがあれば次はない。
ケインは頭の片隅の冷静な部分でそう考えると、皇太子に対峙した。
「今日はエレナ殿下のエスコートか」
「はい」
一言がこちらに来るたび、周囲の騎士が押されただけの圧が自分にぶつけられる。
エレナも同じだけのものを受けているのだろうが、エレナにはそれを押し返すだけの圧があり、正面切って彼と話をしても引くことはなかった。
傍から見ているだけならば問題ないが、それがいざ自分に向けられると、一歩下がりそうになる。
おそらくこういうところで引くなというのが王妃の言いたかったことなのだろうと思い、目をそらすことも引くこともせず耐える。
皇太子もそれがわかったのだろう。
彼を威圧して場を崩すことはせず、ただ一言、エレナに申し出る。
「エレナ殿下、もしその隣が空くことがあれば、次は私に声をかけてくるといい。いつでも駆けつけるぞ」
「その申し出は嬉しいけれど、遠方の国の皇太子殿下をそんなことで呼び出すことはしないわ」
エレナの答えに周囲が静まり返った。
静かになろうが小首をかしげるだけのエレナに、大きく笑って彼は言う。
「エレナ殿下は、やはり面白いな!後ろを待たせているようだ。また後ほど話そう。幸い、明日も滞在しているし、お披露目の会場ではゆっくり話ができないのは経験からわかっているのでな」
「私は幼かったので参加できませんでしたが、同じ経験をなさっているのですものね」
彼も皇太子という肩書を持っている。
自分が社交界に出る年齢ではなかったので詳細は知らないけれど、国民や諸国にお披露目をする場を設けたのは間違いないはずだ。
エレナがそう考えて返すと、彼はうなずいた。
「ああ。それにしてもクリス殿下はよくやっているな。私は途中で疲れて帰ろうかと思ったほどだと言うのに、表情を崩すことも愚痴を言うこともしない。見事だ。あれで全員のことを覚えていたら何も言うことはないな」
自分は必要のない人間の事などすぐに忘れると、冗談なのか本気なのか分からない事を言う彼に、エレナは首を傾げた。
「お兄様が会ったことのある方のことを忘れることはないと思うけれど……」
「そうか。それはすばらしい!そんな隠れた才能まで持っているとはな」
彼がそう言ってクリスの方に視線を移せば、隣に並んでいる婚約者と共に、二人はエレナの方をじっと見ていた。
クリスは自分の話が出たため、言葉には出さず、黙って彼ににっこりと微笑みかける。
ブレンダの方はエレナを心配して様子を伺っていたのだが、彼に対することに関しては問題なさそうだと判断した。
むしろ彼に関してだけ言うのなら、問題があるのは怯んでしまう自分かもしれない。
正直、他者を気にしている余裕はなくなっていた。
それはケインも似たようなもので、彼の視線がエレナの方に向くだけで少し安堵してしまう所があった。
本当ならこれを受け続けられるだけの状態でなければならないはずなのに、その部分をエレナに任せてしまっている。
守っているつもりが今は守られている状態だ。
ブレンダとケイン、騎士である二人は、彼の武力における強さにも理解が高い。
だからなおさら、彼を大きいものと感じてしまう部分はあるだろうが、それを抜きにしても、普通に会話を続けているエレナの存在は大きい。
彼と普通にやり取りができる女性がいた事を彼の国の人間が喜ぶのもうなずける。
こうして彼と当たり前のように話しているエレナは、この場において、自国だけではなく他国からも一目置かれる存在になったが、本人は全く気にしていないのだった。




